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2009年10月3日 (土) 09:18時点における版

カルロ・サルヴァトーレ(1880年頃)

カルロ・サルヴァトーレ・ダズブルゴ=トスカーナ(Carlo Salvatore d'Asburgo-Toscana, 1839年4月30日 - 1892年1月18日)は、トスカーナ大公レオポルド2世の次男で、最後の大公フェルディナンド4世の弟。トスカーナ系ハプスブルク家の一員であり、またオーストリア=ハンガリー帝国陸軍の将軍となった。ドイツ語名はカール・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ(Karl Salvator von Österreich-Toskana)。オーストリア皇族としての大公(Erzherzog)の称号を有する。

レオポルド2世と、2番目の妃である両シチリアフランチェスコ1世の娘マリア・アントニアの間の第5子として、フィレンツェに生まれる。1860年にトスカーナ大公国はサルデーニャ王国に併合され(翌1861年にイタリア王国が成立)、以後トスカーナ大公家はオーストリアのハプスブルク家宗家を頼ることになった。

1861年9月19日、元両シチリア王フランチェスコ2世(両シチリア王国も1860年にサルデーニャに併合された)の妹である従妹のマリア・インマコラータと、ローマで結婚した。2人の間には11人の子供が生まれた(名前はドイツ名で記す)。

  • マリア・テレジア(1862年 - 1933年) 同族のカール・シュテファン大公と結婚
  • レオポルト・ザルヴァトール(1863年 - 1931年)
  • フランツ・ザルヴァトール(1866年 - 1939年) オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の娘マリー・ヴァレリーと結婚
  • カロリーネ・マリー(1869年 - 1945年)
  • マリア・アントニア(1871年 - 1896年)
  • アルブレヒト・ザルヴァトール(1871年 - 1896年)
  • マリア・アントイネッテ(1874年 - 1891年)
  • マリア・インマクラータ(1878年 - 1968年)
  • ライナー・ザルヴァトール(1880年 - 1889年)
  • ヘンリエッテ(1884年 - 1886年)
  • フェルディナント・ザルヴァトール(1888年 - 1891年)

カルロ・サルヴァトーレは1892年にウィーンで死去した。