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* イメージカラーは黒、金、銀。 ユニットロゴのダイヤモンドはメンバーの強い結束を表している。
* イメージカラーは黒、金、銀。 ユニットロゴのダイヤモンドはメンバーの強い結束を表している。
* 結成後間も無い頃は、土井と吉野が[[TNA]]に遠征したため、ほとんどの大会ではハルク、谷嵜、KZのみで活動していた。
* 結成後間も無い頃は、土井と吉野が[[TNA]]に遠征したため、ほとんどの大会ではハルク、谷嵜、KZのみで活動していた。
* [[2009年]]8月30日に谷嵜がオープン・ザ・ブレイブゲート王座を獲得したため、WORLD-1全員がチャンピオンというチームになった。(土井がオープン・ザ・ドリームゲート、吉野、ハルク、PACがオープン・ザ・トライアングルゲート)


== 外部リンク ==
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2009年9月29日 (火) 15:20時点における版

WORLD-1(ワールドワン)は、日本プロレス団体、DRAGON GATEに所属するユニットの名称。

歴史

2006年4月に結成されたヒールユニットのマッスル・アウトローズ。当然のように反則行為等を多く行うが、土井成樹吉野正人のタッグの試合の時だけは反則等は行わず正攻法のファイトをしていた。いつしかヒールでありながらも反則をほとんど行わなくなり、ファンからベビーフェイス並みの声援が送られる。

2008年春頃から正攻法のファイトで戦う土井吉派と反則等のファイトで戦うGamma派が分裂。そして5月5日の名古屋大会で土井・吉野はマッスル・アウトローズを離脱表明。新たなユニットを結成する。

5月14日の後楽園大会でNEW HAZARDが消滅となり孤立したB×Bハルク、更に谷嵜なおき、そしてメキシコ遠征中であったm.c.KZ.が加入した。

5月31日の神戸大会でユニット名が『WORLD-1』と発表された。

2009年6月7日、吉野・ハルク・PAC組がトライアングルゲートを奪取。結成以来初めてトライアングルゲートを手に入れた。

メンバー

外国人メンバー

サポートメンバー

元メンバー

テーマ曲

  • ALL FOR ONE, ONE FOR ALL/ACMA

補足

  • イメージカラーは黒、金、銀。 ユニットロゴのダイヤモンドはメンバーの強い結束を表している。
  • 結成後間も無い頃は、土井と吉野がTNAに遠征したため、ほとんどの大会ではハルク、谷嵜、KZのみで活動していた。
  • 2009年8月30日に谷嵜がオープン・ザ・ブレイブゲート王座を獲得したため、WORLD-1全員がチャンピオンというチームになった。(土井がオープン・ザ・ドリームゲート、吉野、ハルク、PACがオープン・ザ・トライアングルゲート)

外部リンク

タイトルとなる選手は土井。