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'''カーズ'''('''The Cars''')は[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン]]出身の[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]。バンド名は「全員、車好きだから」という理由から名付けられている。
'''カーズ'''('''The Cars''')は[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]][[ボストン]]出身の[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]。バンド名は「全員、車好きだから」という理由から名付けられている。


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バンドが持っていった「燃える欲望 (Just What I Needed)」のデモテープを気に入った地元FM局の人気DJが自分の番組で繰り返しかけたところ、リクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、この曲をデビューシングルとしてカーズはセンセーショナルにデビューを飾った。
バンドが持っていった「燃える欲望 (Just What I Needed)」のデモテープを気に入った地元FM局の人気DJが自分の番組で繰り返しかけたところ、リクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、この曲をデビューシングルとしてカーズはセンセーショナルにデビューを飾った。


『錯乱のドライブ/カーズ登場』(6xプラチナディスク獲得)『キャンディ・オーに捧ぐ』(全米アルバムチャート最高3位)、[[グラミー賞]]新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットを続け、その地位を確立していった。最初の2枚のアルバムはロック色が強かったが、3枚目では実験音楽的要素が強まり、4枚目5枚目ではポップ色が強まっていっており、その音楽のタイプはアルバム毎にどんどん変化していった。MTVが開局してからは、ユニークなミュージックビデオが評判を呼び、次々大ヒットが生まれた。5枚目のアルバム『ハートビートシティ』(全米アルバムチャート最高3位)からは、4曲のヒットがチャートを賑わせた。中でも[[1984年]]の[[シングル]]「ユー・マイト・シンク (''You Might Think'')」は、多くの強敵を押しのけ第1回[[MTV Video Music Awards|MTVアウォードを]]受賞した(この年は[[マイケル・ジャクソン]]の「スリラー」や、[[シンディ・ローパー]]の「[[ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン]]」やマドンナなどが候補に挙がっていた)。カーズの最大のヒットとなった「ドライブ (Drive)」は、1985年のライブエイドのテーマ曲としても選ばれ、この曲にあわせてエチオピア飢餓の映像のビデオが、デ・ボウの司会で世界中に流されるなど、特別な注目も集めた。
『錯乱のドライブ/カーズ登場』(6xプラチナディスク獲得)『キャンディ・オーに捧ぐ』(全米アルバムチャート最高3位)、[[グラミー賞]]新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットを続け、その地位を確立していった。最初の2枚のアルバムはロック色が強かったが、3枚目では実験音楽的要素が強まり、4枚目5枚目ではポップ色が強まっていっており、その音楽のタイプはアルバム毎にどんどん変化していった。MTVが開局してからは、ユニークなミュージックビデオが評判を呼び、次々大ヒットが生まれた。5枚目のアルバム『ハートビートシティ』(全米アルバムチャート最高3位)からは、4曲のヒットがチャートを賑わせた。中でも[[1984年]]の[[シングル]]「ユー・マイト・シンク (''You Might Think'')」は、多くの強敵を押しのけ第1回[[MTV Video Music Awards|MTVアウォードを]]受賞した(この年は[[マイケル・ジャクソン]]の「スリラー」や、[[シンディ・ローパー]]の「[[ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン]]」やマドンナなどが候補に挙がっていた)。カーズの最大のヒットとなった「ドライブ (Drive)」は、1985年のライブエイドのテーマ曲としても選ばれ、この曲にあわせてエチオピア飢餓の映像のビデオが、[[ヴィ・ボウイ]]の司会で世界中に流されるなど、特別な注目も集めた。
しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。
しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。


作詞・作曲は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲の一部やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。
作詞・作曲は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲の一部やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。
リードボーカルは、リック・オケイセックとベンジャミン・オールの2人が曲により分けあっている。
リードボーカルは、オケイセックとベンジャミン・オールの2人が曲により分けあっている。


[[1988年]]2月、カーズは記者会見や解散理由の説明もなくグループをすでに解散していることを確認した。最後にリリースされたアルバム『ドア・トゥ・ドア』の音楽の方向性があまりにも多様化しすぎ、ファンが戸惑い、それまでのアルバムの売り上げに比べてセールスが伸びず(アメリカビルボードアルバムチャ-ト最高26位)、それに伴いツアーの観客動員数も減ってきたことにショックを受けた事が原因と言う説もあるが定かではない。メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。ベンジャミン・オールが癌で死亡したため、完全な形での再結成は不可能となった。
[[1988年]]2月、カーズは記者会見や解散理由の説明もなくグループをすでに解散していることを確認した。最後にリリースされたアルバム『ドア・トゥ・ドア』の音楽の方向性があまりにも多様化しすぎ、ファンが戸惑い、それまでのアルバムの売り上げに比べてセールスが伸びず(アメリカビルボードアルバムチャ-ト最高26位)、それに伴いツアーの観客動員数も減ってきたことにショックを受けた事が原因と言う説もあるが定かではない。メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。ベンジャミン・オールが癌で死亡したため、完全な形での再結成は不可能となった。
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* エリオット・イーストン(''Elliot Easton'' 1953年12月18日生) - [[ギター]]
* エリオット・イーストン(''Elliot Easton'' 1953年12月18日生) - [[ギター]]
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* グレッグ・ホークス(''Greg Hawkes'' 1952年10月22日生) - [[キーボード (楽器)|キーボード]]
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* デヴィッド・ロビンソン(''David Robinson'' <!--業界引退一般人のためコメントアウトしています 1953年4月2日生 -->) - [[ドラムセット|ドラム]]
: 解散後は音楽業界から引退。
: 解散後は音楽業界から引退。


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2009年9月19日 (土) 01:55時点における版

カーズ
The Cars
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州ボストン
ジャンル ロック
ニュー・ウェイヴ
活動期間 1976年 - 1988年
レーベル エレクトラ
共同作業者 ニュー・カーズ
トッド・ラングレン
旧メンバー リック・オケイセック(vog
ベンジャミン・オール(vo、b
エリオット・イーストン(g
グレッグ・ホークス(key
デヴィッド・ロビンソン(dr

カーズThe Cars)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身のロックバンド。バンド名は「全員、車好きだから」という理由から名付けられている。

概要

長年共に活動を行ってきたリズムギター・ボーカルのリック・オケイセックとベース・ボーカルのベンジャミン・オールを中核に1976年に結成され、1978年にメジャー・デビューしたアメリカのニュー・ウェイヴバンド。その革新的でユニークな音楽とレコードに劣らぬ音質の正確で高い技術のライブが話題をさらった。

バンドが持っていった「燃える欲望 (Just What I Needed)」のデモテープを気に入った地元FM局の人気DJが自分の番組で繰り返しかけたところ、リクエストが殺到し、レコード会社の注目を集め、この曲をデビューシングルとしてカーズはセンセーショナルにデビューを飾った。

『錯乱のドライブ/カーズ登場』(6xプラチナディスク獲得)、『キャンディ・オーに捧ぐ』(全米アルバムチャート最高3位)、グラミー賞新人賞にノミネートされるなど、デビュー作から立て続けにヒットを続け、その地位を確立していった。最初の2枚のアルバムはロック色が強かったが、3枚目では実験音楽的要素が強まり、4枚目・5枚目ではポップ色が強まっていっており、その音楽のタイプはアルバム毎にどんどん変化していった。MTVが開局してからは、ユニークなミュージックビデオが評判を呼び、次々大ヒットが生まれた。5枚目のアルバム『ハートビートシティ』(全米アルバムチャート最高3位)からは、4曲のヒットがチャートを賑わせた。中でも1984年シングル「ユー・マイト・シンク (You Might Think)」は、多くの強敵を押しのけ第1回MTVアウォードを受賞した(この年はマイケル・ジャクソンの「スリラー」や、シンディ・ローパーの「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」やマドンナなどが候補に挙がっていた)。カーズの最大のヒットとなった「ドライブ (Drive)」は、1985年のライブエイドのテーマ曲としても選ばれ、この曲にあわせてエチオピア飢餓の映像のビデオが、デヴィッド・ボウイの司会で世界中に流されるなど、特別な注目も集めた。 しかし、日本での人気は、アメリカではかなりの実績があるにも関わらず低い。

作詞・作曲は全般的にリック・オケイセックが担当しているが、作曲の一部やジャケットデザインなどは他のメンバーが担当している。アートワークの良さも評価されている。 リードボーカルは、オケイセックとベンジャミン・オールの2人が曲により分けあっている。

1988年2月、カーズは記者会見や解散理由の説明もなくグループをすでに解散していることを確認した。最後にリリースされたアルバム『ドア・トゥ・ドア』の音楽の方向性があまりにも多様化しすぎ、ファンが戸惑い、それまでのアルバムの売り上げに比べてセールスが伸びず(アメリカビルボードアルバムチャ-ト最高26位)、それに伴いツアーの観客動員数も減ってきたことにショックを受けた事が原因と言う説もあるが定かではない。メンバーはその後、ソロ活動などで活躍。ベンジャミン・オールが癌で死亡したため、完全な形での再結成は不可能となった。

2005年、オリジナルメンバーのエリオット・イーストン(ギター)、グレッグ・ホークス(キーボード)が再結成を拒否したリック・オケイセックと、ベンジャミン・オールの代わりのボーカルとしてトッド・ラングレンを迎えて「ニュー・カーズ」を結成。カーズのヒット曲を中心に、トッド・ラングレンの旧ヒット曲やオリジナルの新作も少し加えてライブ活動を行っている。

メンバー

解散後は、ソロ活動の他、ウィーザーのプロデューサーとしても手腕を発揮している。妻は元スーパーモデルのポーリーナ・ポリスコワ (en:Paulina Porizkova)。
  • ベンジャミン・オール(Benjamin Orr 1947年8月9日 - 2000年10月3日) - ボーカル/ベース
カーズの代表曲「燃える欲望」「ドライヴ」などでリードボーカルを担当している。2000年10月3日、すい臓ガンのため死去。
  • エリオット・イーストン(Elliot Easton 1953年12月18日生) - ギター
  • グレッグ・ホークス(Greg Hawkes 1952年10月22日生) - キーボード
  • デヴィッド・ロビンソン(David Robinson ) - ドラム
解散後は音楽業界から引退。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

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