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'''エルフウェルド'''('''Ælfweard''', [[904年]] - [[924年]][[8月2日]])は、[[イングランド王]][[エドワード長兄王|エドワード長兄王]]とその2番目の妻エルフフェド([[:en:Ælfflæd, wife of Edward the Elder|Ælfflæd]])の最初の子で、エドワード長兄王にとっては2番目の子になる。
'''エルフウェルド'''('''Ælfweard''', [[904年]] - [[924年]][[8月2日]])は、[[イングランド王]][[エドワード長兄王]]とその2番目の妻エルフフェド([[:en:Ælfflæd, wife of Edward the Elder|Ælfflæd]])の最初の子で、エドワード長兄王にとっては2番目の子になる。


==生涯==
==生涯==

2009年7月25日 (土) 04:19時点における版

エルフウェルド
Ælfweard
イングランド王? ウェセックス王?
在位 (推定)924年7月17日 - 924年8月2日

出生 不明
イングランドの旗 イングランドウェセックス
死去 924年8月2日
イングランドの旗 イングランドオックスフォード
埋葬  
家名 ウェセックス家
父親 エドワード長兄王
母親 エルフフェド
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エルフウェルドÆlfweard, 904年 - 924年8月2日)は、イングランド王エドワード長兄王とその2番目の妻エルフフェド(Ælfflæd)の最初の子で、エドワード長兄王にとっては2番目の子になる。

生涯

唯一の記録である『アングロサクソン年代記』には、924年7月17日の父親の死から数週間後に亡くなり、一緒にウィンチェスター大聖堂(Winchester Cathedral)に埋葬されたと、簡単に書かれている。

最近の歴史家の中には、エルフウェルドが(異母兄アゼルスタンの前に)父の王位を継承した、またおそらく、アゼルスタンがマーシア王に認められたという記録から、二人に王国が二分されたという推論がある。一方で、エドワード長兄王の王位継承者はアゼルスタンしかいないという説もある[1]。王だとしても、エルフウェルドは戴冠しなかったのかも知れない。ちなみにアゼルスタンはエルフウェルドが亡くなってから1年以上経った925年9月4日まで、ウェセックス王を戴冠しなかった。

参考文献

  • Miller, Sean, "Æthelstan" in M. Lapidge et al (eds), The Blackwell Encyclopedia of Anglo-Saxon England. Blackwell, London, 1999. ISBN 0-631-22492-0
  • Walker, Ian, Mercia and the Making of England. Sutton, Stroud, 2000. ISBN 0-7509-2131-5
  • Chart of "The Kings & Queens of Great Britain showing their descent and relationships", compiled by Anne Tauté, Edited by John Brooke-Little, MVO MA FSA Richmond Herald of Arms, copyright 1976, Published by Elm Tee Books/Hamish Hamilton, Ltd., Garden House, 57-59 Long Acre, London,revised 1979, ISBN 0 241 89453 0 (folded)

脚注

  1. ^ イギリス王室の公式ホームページではエルフウェルドをイングランド王に含めていない。[1]とおよび[2]参照。