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地元のサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザによる主催で、毎年[[11月23日]]前後に[[沖縄国際カーニバル]]のメインイベントとして開催される。
地元のサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザによる主催で、毎年[[11月23日]]前後に[[沖縄国際カーニバル]]のメインイベントとして開催される。
沖縄市の目抜き通りである[[コザ]]ゲート通りを全面通行止めにし、[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]バンドによるステージ、サンバダンスコンテスト、サンバパレードなど多彩なイベントが繰り広げられる。
沖縄市の目抜き通りである[[コザ]]ゲート通りを全面通行止めにし、[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]バンドによるステージ、サンバダンスコンテスト、サンバパレードなど多彩なイベントが繰り広げられる。
パレードには地元市民らを中心に約300名が参加し、[[東京]]や[[大阪]]、[[福岡]]などのサンバチームからの参加者も数多い。
パレードには地元市民らを中心に約300名が参加し、[[東京]]や[[大阪]]、[[神戸]]、[[福岡]]などのサンバチームからの参加者も数多い。


== 歴史 ==
== 歴史 ==

2009年7月10日 (金) 22:17時点における版

沖縄サンバカーニバル(おきなわさんばかーにばる)は、毎年11月に沖縄県沖縄市で開催されるサンバのイベントである。

概要

地元のサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザによる主催で、毎年11月23日前後に沖縄国際カーニバルのメインイベントとして開催される。 沖縄市の目抜き通りであるコザゲート通りを全面通行止めにし、サンババンドによるステージ、サンバダンスコンテスト、サンバパレードなど多彩なイベントが繰り広げられる。 パレードには地元市民らを中心に約300名が参加し、東京大阪神戸福岡などのサンバチームからの参加者も数多い。

歴史

2000年沖縄市TMO(タウンマネージメント協議会)が主催した地域活性化のための新規事業誘致企画、ドリームショップコンテストが行われ、沖縄サンバカーニバル開催を事業計画に盛り込んだ飲食店舗、「サンバ居酒屋オ・ペイシ」がグランプリに選出される。ちなみにこのときの審査委員長は、沖縄民謡界の重鎮、故・照屋林助氏 。また俳優、玉城満氏も審査員として参加。

サンバ居酒屋オ・ペイシは同年7月、沖縄で初めての本格的なサンバチーム、オ・ペイシ・キ・リ・ダ・コザ(略称オ・ペイシ)を結成。ピースフル・ラブ・ロック・フェスティバルや世界のウチナーンチュ大会、オリオン・ビアフェストなどに出演するなど、活動を開始。なお、このチーム名はポルトガル語で「コザの笑う魚」という意味。

オ・ペイシは2001年11月に沖縄国際カーニバル・民族芸能大パレードにて初めて大掛かりなパレードを開催。同実行委員会よりパレード演舞部門最優秀賞を授与される。これを機に、オ・ペイシは沖縄国際カーニバル実行委員会に対し、サンバチーム単独でのイベント開催を陳情。それが認められた2003年から、イベント名を沖縄サンバカーニバルと定め、沖縄国際カーニバル内のメインイベントのひとつとして、単独のステージ、パレードを開催することとなった。

沖縄サンバカーニバル立ち上げ時には、コンテスト形式のパレードを目指し、オ・ペイシを分割して第2のサンバチーム、イーリャ・ド・スウを結成。2003年のパレードでは2チームがテーマソング、山車、仮装、等を別個に制作し、チーム対抗形式をとった。この年の審査員にはうちなー噺家俳優の藤木勇人氏、元ディアマンテスキーボード、ボブ石原氏など、県内の著名人が多く協力している。

現在ではイベント開催の便宜上、統一のテーマソングが演奏される中で、2チームが同時にパレードする形式となっている。

特徴

テーマを沖縄に関する事象に限定し、沖縄の歴史、文化を参加者、観客が一体となって見つめなおせる演出を心掛けている。パレードでのテーマソングは必ず日本語で作られ、ウチナーグチ(沖縄方言)も多くまじえた歌詞となっている。

各年のテーマ

沖縄サンバカーニバルの歴代のテーマは以下の通り。

  • 2001年 - 「平和〜基地の島から歌おう」
  • 2002年 - 「本土復帰30周年〜全ての過去は未来のために」
  • 2003年 - 「ゆいレール開通記念〜明日に続く道に歌うえていこう」(オ・ペイシ) 「カンカラ三線〜我ら艦砲ヌクェーヌクサーの子」(イーリャ)
  • 2004年 - 「偉大なワタブー(照屋林助氏)〜歌おう踊ろう!コザ独立国の大統領と共に」
  • 2005年 - 「キジムナー・カデ・ヴォッセ〜生まれ島を救うのは私利私欲なき小さな手」
  • 2006年 - 「みんなで沖縄サンバカーニバル」
  • 2007年 - 「万人(ウマンチュ)カーニバル」
  • 2008年 - 「集え!100年目の記念日 アリガトウにこめて」
  • 2009年 - 「ウージサトウキビ)〜甘い雫満たせ、未来の杖となれ」

2004年のテーマは、当時闘病中であった照屋林助氏を励ます意味で企画されたもの。残念ながら同氏は翌年(2005年)3月死去。

2005年のテーマは、当時から問題になっていた泡瀬干潟干拓問題や辺野古への米軍基地移設問題など環境問題を扱ったもの。

2008年のテーマは、日本人ブラジル移住100周年記念として企画され、そのテーマソングは同年6月、ブラジルサンパウロ市で開催された日本人ブラジル移住100周年記念式典、同年8月、ジアデーマ市で開催された沖縄県人移民100周年祭典でも演奏された。

参考文献

関連項目

サンバをテーマにした作品

外部リンク