「フーガの技法」の版間の差分

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第14コントラプンクトゥスは、3つ目の主題が導入された後の239小節で突然中断されている。
第14コントラプンクトゥスは、3つ目の主題が導入された後の239小節で突然中断されている。


自筆譜には、バッハの息子であるC・P・E・バッハによって、「作曲者は、"BACH"の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った("Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.")」と記されている(譜面右下参照)。しかしながら、現代の学者たちはこの記述について強く疑問を抱いている。なぜなら、自筆譜の音符は疑いなくバッハ自身の手によって書かれているものであり、視力の悪化のために筆跡が乱れるより前の1748年から1749年の間に書かれたとされている。
自筆譜には、バッハの息子である[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|C・P・E・バッハ]]によって、「作曲者は、"BACH"の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った("Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.")」と記されている(譜面右下参照)。しかしながら、現代の学者たちはこの記述について強く疑問を抱いている。なぜなら、自筆譜の音符は疑いなくバッハ自身の手によって書かれているものであり、視力の悪化のために筆跡が乱れるより前の1748年から1749年の間に書かれたとされている。


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2009年4月5日 (日) 05:55時点における版

フーガの技法 BWV 1080、ニ短調( - ぎほう、独Die Kunst der Fuge、英The Art of Fugue)は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハにより1740年代に作曲され、彼の死後に出版された未完成の作品である。様々な様式・技法による14曲のフーガと4曲のカノンが現行の多くの版に収録されている。彼は、熟練した対位法技法を用いて、単純な主題を入念に組み合わせることによって、音楽性を引き出すことに成功している。フーガの技法は、他に例を見ない緊密な構築性と創造性によって、クラシック音楽の名作の一つだと考えられている。


音楽

フーガの技法の初版はオープンスコアで書かれているものの、バッハの時代に一般的に使用された鍵盤楽器の音域内に収まるように書かれており、また単独の奏者により演奏可能なのにもかかわらず、楽器指定がなされていない。これは当時の対位法的鍵盤作品にしばしば見られる形態であり、鍵盤以外の楽器で演奏されても良い旨を明言している作曲家もいた。また逆に協奏曲などを鍵盤用に編曲して演奏することもしばしばあった。こうしたことからバッハは、鍵盤独奏で演奏可能なフーガの技法について、いくつかの楽器の組み合わせによる演奏を容認していた可能性がある。現代ではチェンバロピアノオルガン、そして弦楽四重奏オーケストラなど、様々な楽器の組み合わせで録音されたり、演奏されている。例えばWolfgang GraeserやHermann Scherchenはカノン以外の全てのフーガをオーケストラ用に編曲している。また2004年にはKenneth Amisがフーガとカノンを木管合奏用にアレンジしている。

未完成の最終フーガを除く全てのフーガは、上下転回されたり装飾もしくは変形された主題をもとに書かれている。最終フーガの主題については、単純化された主題にすぎないとする説もある一方で、まったく別の主題であるとする説もある。一部の学者及び演奏家は後者の説に従い、未完成の最終フーガはフーガの技法とは別の、独立した作品であるとしている。

初版曲集の未完成については、上記のほかにも研究者によって様々な説が出された。本当はもっと早くに完成していたが譜面が紛失したという説や、未完成のフーガはフーガの技法に含まれず、他の曲をもって曲集は完成していたという説もある。さらには、バッハのチェンバロ曲の多くが3の倍数組で構成されている事から、最初に完成した12曲の後に、もう一組の12曲を完成させる意向であったという推測もなされている。長年、これらの説を裏付けるような楽譜や資料は発見されていなかったが、近年の研究では、バッハがこの作品の出版について問い合わせた文献が残っており、少なくともこの作品を完成させる意図はあったこと、完成した曲はすでに校正願いを出していたこと、そして恐らく絶筆ではなかったことが指摘されている。

図らずも未完となってしまった曲集はバッハの意思を汲み出版されたが、わずか30部足らずほどしか売れず、同時代の評判はあって無きが如しであった。とはいえ一部の愛好家には次第に受け入れられ、1700年代以降の筆写譜が少なからず残されており、さらに1838年にはツェルニー校訂によるピアノ譜が出版された。この曲集が演奏家にクローズアップされるようになったのは、19世紀後半以降にサン=サーンスなどの優れたピアニストがピアノで演奏することが広まってからであった。ちなみに、ゴルトベルク変奏曲の名演奏で知られるグレン・グールドが演奏した未完成のフーガは、ツェルニー校訂版によるものである。

原典

1740年代前半に書かれたとされる自筆譜(いわゆるベルリン自筆譜)と、出版譜がある。

自筆譜では15曲が1冊にまとめられている。最初の数曲は整然とした書体で書かれており、浄書譜のように思われるが、次第に書体は乱雑となり、多くの修正が書き込まれている。自筆譜に含まれるのは以下の各曲である(カッコ内は初版でのタイトル)。

I.(コントラプンクトゥスI)
II.(コントラプンクトゥスIII)
III.(コントラプンクトゥスII)
IV.(コントラプンクトゥスV)
V.(コントラプンクトゥスIX)
VI.(コントラプンクトゥスX)
VII.(コントラプンクトゥスVI)
VIII.(コントラプンクトゥスVII)
IX.(8度のカノン)
X.(コントラプンクトゥスVIII)
XI.(コントラプンクトゥスXI)
XII.(拡大及び反行形によるカノンの初期稿)
XIII.(コントラプンクトゥスXII)
XIV.(コントラプンクトゥスXIII)
XV.(XIIの発展稿)

またこれら以外に個々に伝えられた自筆譜として、拡大及び反行形によるカノン(初版の版下原稿)、XIVの編曲および未完成のフーガがある。

出版譜には、1751年(バッハの死の翌年)に出版された初版と、1752年に出版された第2版がある。様々な対位法の技法が用いられ、それらは後の研究者によって「単純」、「反行」、「拡大および縮小」、「多重フーガ」(「フーガ」および対位法の項を参照のこと)などに大別された。曲全体を上下転回しても演奏可能であるように書かれた、「鏡像フーガ」という珍しい様式も見られる。

出版譜では、対位法の技法の種類ごとに曲が配列されている。また、個々の曲は"Contrapunctus"(対位)もしくは"Canon"と名づけられている。

単純フーガ

1.コントラプンクトゥス I: 単一主題による4声のフーガ
2.コントラプンクトゥス II: 単一主題による4声のフーガ
3.コントラプンクトゥス III: 主題の反行形による4声のフーガ
4.コントラプンクトゥス IV: 主題の反行形による4声のフーガ

反行フーガ、装飾された主要主題とその反行形を含むもの

5.コントラプンクトゥス V: 多くの密接進行を含む。これは第6曲及び第7曲においても同じである。
6.コントラプンクトゥス VI 主題の縮小を含む、フランス風の4声のフーガ: この曲中に用いられているような付点のリズムは、バッハの時代にはフランス風として知られていた。
7.コントラプンクトゥス VII 主題の拡大および縮小を含む4声のフーガ: 拡大とは主題の音価を二倍に引き伸ばすこと、縮小とは主題の音価を半分に縮めることである。

2つの主題による2重フーガ及び3つの主題による3重フーガ

8.コントラプンクトゥス VIII 3声の3重フーガ。
9.コントラプンクトゥス IX 12度の転回対位法による2重フーガ
10.コントラプンクトゥス X 10度の転回対位法による2重フーガ
11.コントラプンクトゥス XI 4声の3重フーガ

鏡像フーガ楽譜に記されている音符を全て上下逆に読み替えても、音楽的な損失なしに演奏できるフーガのことである。

12.コントラプンクトゥス XII 4声。正立形および倒立形は、一般的に続けて演奏される。
13.コントラプンクトゥス XIII 3声。鏡像フーガであり、また反行フーガでもある。

カノンは、主題と応答の音程差や技法によって名前が付けられている。

14. 8度のカノン
15. 3度の転回対位法による10度のカノン
16. 5度の転回対位法による12度のカノン
17. 拡大及び反行形によるカノン

コントラプンクトゥスXIIIの編曲

18. Fuga a 2 (rectus), and Alio modo Fuga a 2 (inversus)

未完成のフーガ

19. 3つの主題による4声のフーガ(コントラプンクトゥス XIV)。おそらく4重フーガを意図して書かれたと思われる。3つ目の主題にバッハの名前をもとにした音形が見られる(B-A-C-H)

当時の資料によると、出版譜のための銅板彫刻はバッハが死に至る前に始められた。しかし、すでに健康を害していたバッハが、試し刷りをもとにして校正を実際に行ったかどうかは疑わしいと考えられている(現在残っている初版の正誤表はバッハの息子の手によるものである)。

また、出版譜はその巻末にいわゆる「アンコール」のような関係のない作品を含んでいる。これは『われ汝の御座の前に進み出て ( Vor deinem Thron tret Ich hiermit)』 BWV 668aとして知られるコラール前奏曲であり、バッハはこの作品を死の床で口述筆記させたと言われている。この曲は未完成に終わったフーガの穴埋めとして付け加えられたことが序文に記されている。

未完成のフーガについて

Motiv.bach.mid B-A-C-H のモチーフ[ヘルプ/ファイル]

第14コントラプンクトゥスは、3つ目の主題が導入された後の239小節で突然中断されている。

自筆譜には、バッハの息子であるC・P・E・バッハによって、「作曲者は、"BACH"の名に基く新たな主題をこのフーガに挿入したところで死に至った("Über dieser Fuge, wo der Nahme B A C H im Contrasubject angebracht worden, ist der Verfasser gestorben.")」と記されている(譜面右下参照)。しかしながら、現代の学者たちはこの記述について強く疑問を抱いている。なぜなら、自筆譜の音符は疑いなくバッハ自身の手によって書かれているものであり、視力の悪化のために筆跡が乱れるより前の1748年から1749年の間に書かれたとされている。

譜面

また、未完成のフーガを補筆し、完成させて演奏した例もある。しかし、多くの演奏家は原典通りに未完成のまま演奏しているようである。録音においては、最後のいくつかの音符にフェードアウト処理を施していることもある。

音源

関連項目

外部リンク