「良遍 (法相宗)」の版間の差分

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'''良遍'''(りょうへん、[[建久]]5年([[1194年]]) - [[建長]]4年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]([[1252年]][[10月3日]]))は、[[鎌倉時代]]前期の[[法相宗]]の[[僧]]。俗姓は[[藤原氏]]。字は蓮阿。三位已講・生駒僧都とも称される。


奈良[[興福寺]]で法相教学を学び、法印・権大僧都に任じられた。[[覚盛]]から戒を受け、[[戒律]]の復興に尽力した。生駒竹林寺の住持となり、[[東大寺]]知足院を復興している。
奈良[[興福寺]]で法相教学を学び、法印・権大僧都に任じられた。[[覚盛]]から戒を受け、[[戒律]]の復興に尽力した。生駒竹林寺の住持となり、[[東大寺]]知足院を復興している。以下の文献で、業績を辿れる。

*太田久紀訳著 『観心覚夢鈔』<[[仏典]]講座42>(大蔵出版 1981年 新装版2001年)
*竹村牧男 『唯識のこころ 「観心覚夢鈔」を読む』<新[[興福寺]]仏教文化講座4> ([[春秋社]] 2001年)
*[[横山紘一]] 『[[唯識]]とは何か 「法相二巻抄」を読む』(春秋社 2001年 増補版2005年)

*北畠典生 『日本中世の唯識思想』 <[[龍谷大学]]仏教文化研究叢書7>(永田文昌堂 1997年)
**同 『「観念発心肝要集」の研究』 (永田文昌堂 1994年)
**同 『「信願上人小章集」 の研究』(永田文昌堂 1987年)
*山崎慶輝 『大乗伝通要録講読』(永田文昌堂 1964年)



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2009年2月10日 (火) 04:39時点における版

良遍
1194年 - 1252年
宗派 法相宗
寺院 生駒竹林寺
著作 『観心覚夢鈔』
『法相二巻抄』ほか
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良遍(りょうへん、建久5年(1194年) - 建長4年8月28日1252年10月3日))は、鎌倉時代前期の法相宗。俗姓は藤原氏。字は蓮阿。三位已講・生駒僧都とも称される。

奈良興福寺で法相教学を学び、法印・権大僧都に任じられた。覚盛から戒を受け、戒律の復興に尽力した。生駒竹林寺の住持となり、東大寺知足院を復興している。以下の文献で、業績を辿れる。

  • 太田久紀訳著 『観心覚夢鈔』<仏典講座42>(大蔵出版 1981年 新装版2001年)
  • 竹村牧男 『唯識のこころ 「観心覚夢鈔」を読む』<新興福寺仏教文化講座4> (春秋社 2001年)
  • 横山紘一 『唯識とは何か 「法相二巻抄」を読む』(春秋社 2001年 増補版2005年)
  • 北畠典生 『日本中世の唯識思想』 <龍谷大学仏教文化研究叢書7>(永田文昌堂 1997年)
    • 同 『「観念発心肝要集」の研究』 (永田文昌堂 1994年)
    • 同 『「信願上人小章集」 の研究』(永田文昌堂 1987年)
  • 山崎慶輝 『大乗伝通要録講読』(永田文昌堂 1964年)