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*「世界一有名で変装はしないスパイ」といわれるボンドだが、本作では日本人になりすますために変装を用いている。そもそも当時の日本人とは体格からしてまるで違うボンドを、タイガー・田中配下の公安専属美人エステティシャンたちが肌を染めたり眉毛を切ったりして「[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1c/Bond_disguised_as_Japanese.jpg ちょっと見た目には日本人と区別できない]」ほどの出来にしてしまうというのは、ボンド映画ならではお愛嬌。胸毛を剃られようとするとボンドが勘弁してくれと懇願するくだりは、意図的に挿入された内輪ジョークである。当時ショーン・コネリーはセックスシンボルとして女性の間で人気が高く、その毛むくじゃらの広い胸板は[http://www.impawards.com/1967/you_only_live_twice.html 彼の看板になっていた]。世間受けするセクシーな男性の胸は今でこそ剃毛したスムーズなものが主流となっているが、当時はその逆で、胸毛は男らしさの代名詞だったのである<ref>このコネリー版ボンドのイメージを踏襲して、以降の歴代のボンドも一様に胸毛を露出していた。[[ロジャー・ムーア]]は胸毛がないと不評をかこうとこれを生やし、彼には似合わないと不評をかこうとこれをまた剃ったりしている。しかしかし時代の流れには逆らえず、胸毛は作を追うごとに薄くなり、6代目の[[ダニエル・クレイグ]]からはついに[http://us.movies1.yimg.com/movies.yahoo.com/images/hv/photo/movie_pix/mgm/casino_royale/daniel_craig/royale17.jpg 胸毛なしのボンド]にイメージチェンジしている。</ref>。 |
*「世界一有名で変装はしないスパイ」といわれるボンドだが、本作では日本人になりすますために変装を用いている。そもそも当時の日本人とは体格からしてまるで違うボンドを、タイガー・田中配下の公安専属美人エステティシャンたちが肌を染めたり眉毛を切ったりして「[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/1c/Bond_disguised_as_Japanese.jpg ちょっと見た目には日本人と区別できない]」ほどの出来にしてしまうというのは、ボンド映画ならではお愛嬌。胸毛を剃られようとするとボンドが勘弁してくれと懇願するくだりは、意図的に挿入された内輪ジョークである。当時ショーン・コネリーはセックスシンボルとして女性の間で人気が高く、その毛むくじゃらの広い胸板は[http://www.impawards.com/1967/you_only_live_twice.html 彼の看板になっていた]。世間受けするセクシーな男性の胸は今でこそ剃毛したスムーズなものが主流となっているが、当時はその逆で、胸毛は男らしさの代名詞だったのである<ref>このコネリー版ボンドのイメージを踏襲して、以降の歴代のボンドも一様に胸毛を露出していた。[[ロジャー・ムーア]]は胸毛がないと不評をかこうとこれを生やし、彼には似合わないと不評をかこうとこれをまた剃ったりしている。しかしかし時代の流れには逆らえず、胸毛は作を追うごとに薄くなり、6代目の[[ダニエル・クレイグ]]からはついに[http://us.movies1.yimg.com/movies.yahoo.com/images/hv/photo/movie_pix/mgm/casino_royale/daniel_craig/royale17.jpg 胸毛なしのボンド]にイメージチェンジしている。</ref>。 |
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*映画の冒頭で、マネーペニーがボンドに渡す日本語の本は ''"Instant Japanese: A Pocketful of Useful Phrases"''(インスタント・ジャパニーズ: ポケットいっぱいの役に立つフレーズ集)という本。Masahiro Watanbe、Kei Nagashima 共著の1964年に初版された実在する本である<ref>1996年に洋版出版から改訂版が出ている。ISBN 9784896847253</ref>。これをボンドは「[[ケンブリッジ大学]]では東洋言語を専攻して学位を得ている<ref>実際にはそのように漠然とした学問は専攻のしようがない。</ref>」と言ってマネーペニーに放り返すが<ref>ボンドが話すことのできる言語はイアン・フレミングの原作と映画とでは異なっており、またボンド映画シリーズの中でも矛盾があるが、共通しているのは英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、そして日本語で、これらはいずれもペラペラということになっている。</ref>、残念ながら劇中でボンドが使った日本語は「コンニチワ」などごくわずかで、真偽のほどは確かではない。 |
*映画の冒頭で、マネーペニーがボンドに渡す日本語の本は ''"Instant Japanese: A Pocketful of Useful Phrases"''(インスタント・ジャパニーズ: ポケットいっぱいの役に立つフレーズ集)という本。Masahiro Watanbe、Kei Nagashima 共著の1964年に初版された実在する本である<ref>1996年に洋版出版から改訂版が出ている。ISBN 9784896847253</ref>。これをボンドは「[[ケンブリッジ大学]]では東洋言語を専攻して学位を得ている<ref>実際にはそのように漠然とした学問は専攻のしようがない。</ref>」と言ってマネーペニーに放り返すが<ref>ボンドが話すことのできる言語はイアン・フレミングの原作と映画とでは異なっており、またボンド映画シリーズの中でも矛盾があるが、共通しているのは英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、そして日本語で、これらはいずれもペラペラということになっている。</ref>、残念ながら劇中でボンドが使った日本語は「コンニチワ」などごくわずかで、真偽のほどは確かではない。 |
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*なお本作でボンドは全編を通じて「覆面捜査」を行っているので、「Bond, James Bond」というシリーズお馴染みの決めセリフを使っていない。劇中ボンドが「Bond, James Bond」と言わないボンド映画は、 |
*なお本作でボンドは全編を通じて「覆面捜査」を行っているので、「Bond, James Bond」というシリーズお馴染みの決めセリフを使っていない。劇中ボンドが「Bond, James Bond」と言わないボンド映画は、『007は二度死ぬ』と『[[慰めの報酬]]』の2本である。 |
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== 日本語吹き替え == |
== 日本語吹き替え == |
2009年2月4日 (水) 14:01時点における版
007は二度死ぬ You Only Live Twice | |
---|---|
監督 | ルイス・ギルバート |
脚本 | ロアルド・ダール |
製作 |
ハリー・サルツマン アルバート・R・ブロッコリ |
出演者 |
ショーン・コネリー 丹波哲郎 若林映子 浜美枝 ドナルド・プレザンス 島田テル |
音楽 | ジョン・バリー |
主題歌 | ナンシー・シナトラ『You Only Live Twice』 |
撮影 | フレディ・ヤング |
編集 | ピーター・ハント |
配給 | ユナイテッド・アーティスツ |
公開 |
1967年6月12日 1967年6月13日 1967年6月17日 |
上映時間 | 117分 |
製作国 | アメリカ、イギリス |
言語 | 英語 |
製作費 | $950万0000 |
興行収入 | $1億1160万0000(世界) |
前作 | 007 サンダーボール作戦 |
次作 | 女王陛下の007 |
文学 |
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ポータル |
各国の文学 記事総覧 出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
『007は二度死ぬ』(ぜろぜろせぶんはにどしぬ[1]、You Only Live Twice)は、イアン・フレミングの長編小説007シリーズ第11作[2][3]。また、1967年公開の007シリーズ映画第5作。ユナイテッド・アーティスツ提供。
概要
原作と脚本
1964年に発刊されたイギリス人作家イアン・フレミングの小説『You Only Live Twice』をもとに、アルバート・ブロッコリとハリー・サルツマンの共同製作、ルイス・ギルバートの監督で、1967年に製作された。原題はフレミングが来日した際に「松尾芭蕉の俳句にならって[4]」詠んでみたという俳句調の詩[5]、「人は二度しか生きることがない、この世に生を受けた時、そしてその顔に死を見た時」に由来する。脚本はイギリス人作家のロアルド・ダール[6]。
日本が舞台
本作は、オープニングの香港のシーンと、米ソの軍関係者が非難の応酬をするレーダー基地のシーン(イギリス国内で撮影)を除き、舞台はすべて日本国内である[7]。そのため当時としては大掛りなロケ撮影が日本各地の観光名所で行われ、当時日本でも高まっていたボンド人気はいやがうえにも高まった。
東京オリンピック開催直後の高度経済成長期真っ只中の東京を中心にロケが行われたため、開業したばかりの地下鉄丸ノ内線やホテルニューオータニ、旧蔵前国技館、東京タワー、銀座4丁目交差点などの現在の東京でもおなじみの風景が随所に出てくる。
また特殊部隊の訓練場を姫路城に設定しているほか、鹿児島県坊津の漁村や霧島山新燃岳などでもロケを行い、付近一帯ではボンドのオートジャイロ「リトル・ネリー」とスペクターのヘリコプター部隊の空中戦シーンの一部を空中撮影するなど大規模なロケを行った[8]。
多彩な登場人物
丹波哲郎が日本の情報機関[9]のボスとしてほぼ全編に亙って登場するほか、初の日本人ボンドガールとして若林映子と浜美枝が登場し、日本人に化けたボンドが日本の公安エージェントと偽装結婚したり、第50代横綱佐田の山が本人役で登場したり[10]、丹波演じる日本の公安のトップの移動手段が丸ノ内線の専用車両だったり[11]、さらに公安所属の特殊部隊が忍者[12]だったりと、その現実性はさておき、日本人にとってはいろいろな意味で楽しめる作品である。
また、それまで顔が映ることのなかったスペクターの首領・ブロフェルドが、本作で初めてその姿を表わす。
個性的な作品
その荒唐無稽なストーリーと(振返って見れば)時代相応な特撮、日本文化の表現が「"別の意味で"素晴らしい」などの理由で、日本の007マニアには「シリーズ有数の傑作」とする人もいる。逆にアメリカやイギリスでは「荒唐無稽」という評価が一般的である。いずれにしても本作品には独自のファンが多く、アメリカのコメディ映画『オースティン・パワーズ』シリーズでは多くのシーンが引用された。
事故
本作は歴代の007作品の中でも関係者の事故が多い作品である。映画の撮影中の1966年3月5日、英国海外航空のボーイング707型機が富士山山麓に墜落、乗員乗客124人全員が死亡したが、その中にはイギリスに帰国するスタッフが含まれていた(詳細は「英国海外航空機空中分解事故」を参照)。同機には監督のルイス・ギルバート、製作のハリー・サルツマンとアルバート・ブロッコリ、撮影のフレディ・ヤング、プロダクション デザインのケン・アダムも搭乗する予定だったが、出発の2時間前になってそれまで都合がつかなかった忍法指南による忍者術の披露が急遽行われることになり、この5名はフライトをキャンセルしている。数時間後、同機遭難の知らせをうけた一行は青ざめ、「これが二度目の命だ[13]」と胸を撫で下ろしたという。
また「リトル・ネリー」とヘリコプター部隊の空中戦の撮影シーンでは、イギリス人カメラマンのジョニー・ジョーダンが片足を切断する事故に遭うなど、本作は航空事故との因縁が深い作品となった。
ストーリー
注意:以降の記述には007は二度死ぬに関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
謎の宇宙船
アメリカとソ連の宇宙船が謎の飛行物体に捉えられるという事件が起こり、米ソ間が一触即発の状態になるものの、イギリスの情報機関である MI6 はその宇宙船が日本周辺から飛び立っているという情報をつかむ。その情報の真偽を確かめるために、ジェームズ・ボンドがMI6により日本に派遣されることになる。
“一度目” の死
ボンドは敵の目を欺くため、イギリスの植民地の香港で、情報部により用意された現地の女性リンの手引きによって寝室になだれ込んだ殺し屋に銃撃され「死ぬ」。
その後ビクトリア・ハーバー内に停泊するイギリス海軍の巡洋艦上で水葬され、その「遺体」を回収したイギリス海軍の潜水艦で隠密裏に日本へ。日本上陸後は、横綱佐田の山の仲介により蔵前国技館で謎の女「アキ」と会い、彼女を通じて日本の公安のトップ・タイガー・田中に会うが、在日オーストラリア人の捜査協力者のヘンダーソンは直後に殺されてしまう。
その殺し屋は大里化学工業の本社から送られた者だと知ったボンドは、ビジネスマンを装って大里社長とその秘書ヘルガと接触するが……
以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。
スタッフ
- 監督 - ルイス・ギルバート
- 製作 - ハリー・サルツマン、アルバート・ブロッコリ
- 脚本 - ロアルド・ダール
- 撮影 - フレディ・ヤング
- 編集 - ピーター・ハント
- 主題歌 - 『You Only Live Twice』
- 歌 - ナンシー・シナトラ[14]
- プロダクション・デザイン - ケン・アダム
- 美術 - ハリー・ポットル
- 特殊効果 - ジョン・ステアズ
- メインタイトル・デザイン - モーリス・ビンダー
キャスト
- ジェームズ・ボンド - ショーン・コネリー
- タイガー - 丹波哲郎
- アキ - 若林映子
- キッシー鈴木 - 浜美枝
- ブロフェルド - ドナルド・プレザンス
- 大里 - 島田テル
- ヘルガ・ブラント - カリン・ドール
- ヘンダーソン - チャールズ・グレイ
- リン - ツァイ・チン
- M - バーナード・リー
- Q - デスモンド・リュウェリン
- マネーペニー - ロイス・マクスウェル
ロケ地
都内
- 旧蔵前国技館
- 銀座四丁目交差点(風景)
- ニューオータニ(大里化学本社)
- 営団地下鉄丸ノ内線(タイガー・田中の移動手段)
- 丸ノ内線中野新橋駅(タイガー・田中のオフィス)
- 駒沢オリンピック公園(カーチェイス)
- 代々木第一体育館付近(カーチェイス)
国内
海外
- 香港、香港島、ビクトリア・ハーバー(オープニング水葬シーン)
-
旧蔵前国技館
-
銀座四丁目交差点
-
中野新橋駅
-
ホテルニューオータニ
-
駒沢オリンピック公園
-
代々木第一体育館
-
姫路城
エピソード
配役
- 脚本に起用されたロアルド・ダールは、プロデューサーのブロッコリとサルツマンから、「女性を三人出し、最初の女はボンドの味方で敵方に殺され、二番目の女は敵の手先でこれも殺され、三番目の女は殺されず映画の終わりにボンドがものにするように」と指示された。これにより原作に登場するキッシーに、スキとヘルガを加えた三人の登場が決まった。二人の準主役級ボンドガール(敵方のヘルガを除く)が登場するという、異例のキャスティングになったのはこのためである[15]。
- 当初は若林映子が海女の「キッシー鈴木 (Kissy Suzuki)」役で、浜美枝が公安エージェントの「スキ (Suki)」役の予定だった。撮影が始まる前、若林、浜、そしてタイガー・田中役の丹波哲郎の3人は英語特訓のため数週間ロンドンに留学するが、ギルバート監督は浜の英語力ではセリフが難しいスキ役は無理と判断して更迭を考え、丹波に浜の説得を依頼した。渋々承知した丹波に、翌日ギルバートが結果を尋ねると、「浜はホテルの窓から飛び降りると言っている」と聞かされた。そこでギルバートはブロッコリと相談の上、キッシーのセリフを大幅に減らして、逆にスキの出番を増やすことになった[16][17][18]。
- この際、当初の「スキ」という日本人には馴染まない名前が、若林映子の名前「あきこ」を取って「アキ」に変更されている。
- 一方「キッシー鈴木」という役名は原作通りだが、「鈴木」の姓は劇中ではなぜか言及されていない。これはキッシーの出番を大幅にカットしたことから生じた「うっかりミス」で、そもそも仮編集の段階では「キッシー」のキの字もなく、これに気づいた監督が慌ててひとつだけ撮ってあった「キッシー」入りのシーンを差し込んだのだという。このようにして、名無しボンドガールという不名誉は辛くも回避された。
- なお若林や浜とは違って日常会話程度の英語は話せた丹波は、この後もなにかにつけてプロデューサーや監督と日本人俳優やスタッフとの間に立って潤滑油としての役割を果たしたという。丹波は、早口で難しい言葉を連発するタイガーのセリフをすべて英語でこなしたが、彼の英語は残念ながら「日本の公安のトップとしての説得力に欠けるものがあった」(= 発音が悪かった)ため、本編ではイギリス人俳優が丹波のセリフを吹替えている[19] [20] [21]。
- 大里化学の社長室で格闘する相手は、ハワイ出身のプロレスラー、ピーター・メイビアである。
- ブロフェルドの手下で要塞エンジニアの「スペクターNo.3」役で登場するバート・クォクは、『ゴールドフィンガー』でも同じようなゴールドフィンガーの手下でエンジニアの「リン氏」役で出演している。クォクは複数のボンド映画に出演した数少ない悪役の一人である。
撮影
- 本作には大相撲本場所の様子が登場したり、忍法や居合術を見せる場面があったり、日本式の結婚式の模様が詳しく紹介されているが、これらにはそれぞれ劇中の数分間を割いており、従来のボンド映画とは一線を画す演出となっている。これはイアン・フレミングの原作がやはりそのような書き方になっているため。後半が原作を大幅に脚色したスペクタクル巨編となっている一方で、全体としては日本文化に並みならぬ興味を持っていたフレミングの精神を尊重するという、独特な作風が本作の大きな特徴である。
- ロケハンのために、監督をはじめとするスタッフは全日空の前身である日本ヘリコプターのヘリコプターを借りて日本全国を飛び回った。
- 神戸港の第8突堤で撮影されたスポットは、1995年1月の阪神大震災で倒壊してしまった。その神戸での格闘シーンでは、かつて笑点の座布団持ちで親しまれた松崎真が出演している。
- 大里化学本社の外観はホテルニューオータニでを使って撮影した。ただし映画の中でボンドはヒルトンホテルに宿泊しているといっている。これはショーン・コネリーが日本滞在中に東京ヒルトンに宿泊する際、このセリフを入れるかわりに宿泊費を大幅に割り引いてくれないかとプロデューサーが頼んだため。いわゆるタイアップ宣伝のはしりである[22]。
- コネリーらの一行は東京に到着するなりファンとマスコミに取り囲まれ、プロデューサーのブロッコリは宿泊先の東京ヒルトンで急きょ記者会見を設けた。疲労し苛立っていたコネリーは、会見に開襟シャツとスラックス姿でソックスを履かず、(当時から薄毛で撮影時は使用していた)かつらもつけずに現れ、無愛想に振舞った。この会見で、コネリーはボンド役を引退することも明らかにした[23]。
- ブロフェルドの隠れ家は、原作では海岸沿いの古城ということになっている。しかしプロダクション デザイナーのケン・アダムは、日本で撮影に使用できるそのような城はありえないことを知り[24]、これが火山火口内の秘密基地というアイディアにつながる。一方「画になる」古城の方はタイガーの忍者部隊の訓練施設として甦ることになる。国宝姫路城である。
- 姫路城では現在映画の撮影を一切許可していないが、これはこの映画が原因。特殊部隊訓練シーンの撮影の際、城壁に畳を掛け、そこに手裏剣を投げ込むシーンの撮影で外れた手裏剣が城壁にブスブスと当たったり、長刀を振り回した拍子にザクリと傷を刻んでしまったため。これに閉口した文化庁は、以後姫路城での映画撮影を原則的に禁止した。また、1995年に放送された「探偵!ナイトスクープ」に、ロケ当時の姫路城の館長が出演し、そのような行動に立腹し、映画会社に城壁を全部綺麗に修復させた、というエピソードを語っていた。
- 漁村のシーンが撮られた鹿児島県坊津は、「神戸と上海の間にある島」として登場する[25]。撮影はハリウッドらしく、町民の長年の陳情によって前年に作られたばかりのコンクリートで補強された桟橋が「映画の雰囲気に合わない」と一夜にして撤去、木製のものに作り替えられるなど、トラブルも多かったという[26]。一方毎日大勢のスタッフ等が大量のビールを消費するなどしたため、近所の商店で大儲けをしたところもあったという[27]。現在は町を見下ろす高台にショーン・コネリー、丹波哲郎らのサインの入った記念石碑が建てられ、観光スポットとなっている。
- 坊津で撮影が始まると、困ったのは肝心の海女が潜れないという、笑うに笑えない確認漏れだった。浜美枝は泳げるのがやっと、海女役の日本人エキストラたちも泳げるが潜水は自信がないと及び腰。「それならわたしがやるわ」と名乗り出たのがショーン・コネリーに同伴していた妻のダイアン・シレントだった。シレントは子供の頃から泳ぎが得意で、潜水も長時間息を継がずにできるという、願ってもない助け舟。映画の中でキッシーが潜っているシーンはすべてこのシレントが演じている[16][17]。
- 海女の少女役で、松岡きっこがほんの数秒出演しているが(ボンドの操縦する小型のオートジャイロを見上げる役)、この僅か数秒の出演でさえ厳しいオーディションがあったと本人が語っている。
- 米ソのロケット打上げのシーンでは、実際のロケット打ち上げの映像が使用されている。アメリカの打ち上げシーンは、当時進行していたジェミニ計画のタイタンロケットの打ち上げをクルーがケネディ宇宙センターにおもむいて撮影した。困ったのはソビエトの打ち上げシーンで、ボストーク計画は当時まだ最高機密に属していたため、R-7ロケットの形状や打ち上げの模様などを記録した画像は西側はおろかソ連国内でも公開されていなかった。そこで製作スタッフはジェミニの前のマーキュリー計画で使われたアトラスロケットの打ち上げを記録したストック映像を入手、これをボストークの打上げシーンに使用している。
- ブロフェルドの要塞が忍者隊の総攻撃を受けて爆発炎上するラストのシーンを撮影中に、爆発の轟音に驚いたブロフェルドのペルシャネコが膝の上から飛び跳ねて逃げだし、行方をくらましてしまった。広いセットの中で怯えた猫一匹を探し出すのは至難の業で、セット用の木材の陰に潜んでいたのが発見されたのは何日も経ってからのことだった。ところが誰が何を思ったのか、この発見されたときの震えが止まない哀れな猫の姿をフィルムに収めていた者がいて、しかもそれが本編の中で使用されている。要塞総攻撃が始まり司令室の防御シャッターが鋭い金属音をたてて閉ると、これに驚いたペルシャネコがアップで映し出されるカットがそれである。
- なお本作には、ロンドンのシーンがない。イギリス本土のシーンが一つもないボンド映画は、後にも先にもこの『007は二度死ぬ』一作のみである。
ボンドカー
- 本作ではトヨタ自動車が自動車のプロダクトプレイスメントの独占契約を結んでいたため、ボンドカーの2000GTをはじめ、二代目クラウンや三代目コロナなどが登場する。
- いまや伝説的存在となった2000GTは、人気投票では常に上位にランクされるシリーズのなかでも代表的なボンドカーのひとつ。しかしながらこの車はアキの車で、しかも運転するのもアキなので、ボンドマニアの中には2000GTをボンドカーとはみなさない者もいるという。
- 映画に使われたのはコンバーチブル仕様の特注車。2台製作された。2000GTは車高が非常に低く車内が狭いため、長身のショーン・コネリーが座ると肩をすくめて首を傾げても窮屈なほどだった[28]。そのような状態ではボンドの顔を満足に撮ることができないので、撮影開始の二週間前になって急遽これを屋根が着脱できるタルガトップ式に改装することになった。ところが出来上がった車にコネリーが乗ってみると、今度はコネリーの頭が開口部からひょこんと出てしまい、実に滑稽な有様になってしまった。そこで改めてこれを、フロントガラスのフレームだけを残しあとはすべて取り払ったコンバーチブルに再改装したが、大至急の改造だったため幌屋根が付けられず、座席後方には幌カバーらしく作ったダミーを装着してごまかすことにした。こうして出来上がった車は、屋根がないのでさすがに「コンバーチブル」とは呼べず、そのため名称は「2000GT オープントップ」に落ち着いた。
- ところがいざ撮影が始まると、今度はアキ役の若林映子が車の運転ができないことが判明する。そもそも当初の脚本ではボンドがこの車を運転することになっていたが、ストーリーの展開上スキ(アキ)がこれを運転することに変更された。この後で若林と浜美枝の役柄が交換されたが、その際誰も若林に運転免許の有無を確認しなかったのである。このためクロースアップのシーンは停車している車をスクリーンプロセス撮影で撮り、遠景は日本人の男性ドライバーにかつらとスカーフを被せてこれを運転させた。
- この2台のボンド仕様車のうち、1台は現在トヨタ博物館に展示されている。もう1台は早くから行方が分からなくなっており、所在や所有者についてのさまざまな憶測はあるものの、詳細は不明である。
- なおボンドは本作では車をまったく運転しない。劇中ボンドが車を運転しないボンド映画は、後にも先にもこの『007は二度死ぬ』一作のみである。
ボンド
- ボンドが M やマネーペニーと会うのは香港のビクトリア・ハーバーの海底で待機していたイギリス海軍の原子力潜水艦の中という設定。ここでボンドとマネーペニーは007映画の中で初めて海軍制服を着た姿で登場する。またマネーペニーがボンドに「中佐 (Commander)」と呼びかけるのに対して、ボンドはマネーペニーのことを「中尉 (Sub-Lieutenant)」と呼んでおり、彼女の階級もここで初めて明らかにされている。
- ボンドの結婚は『女王陛下の007』でのテレサ(トレーシー)との一度きりだが、本作でのキッシー鈴木との偽装結婚もあわせて厳密には二度。なおジョン・ピアソンの仮想ボンド伝によれば、キッシーはボンドの子を身籠っており、秘かにこの子を出産、鈴木ジェームズ太郎 (James Taro Suzuki) と名づけたことになっている。「太郎」はボンドが本件の任務で使用した日本名でもある。
- 「世界一有名で変装はしないスパイ」といわれるボンドだが、本作では日本人になりすますために変装を用いている。そもそも当時の日本人とは体格からしてまるで違うボンドを、タイガー・田中配下の公安専属美人エステティシャンたちが肌を染めたり眉毛を切ったりして「ちょっと見た目には日本人と区別できない」ほどの出来にしてしまうというのは、ボンド映画ならではお愛嬌。胸毛を剃られようとするとボンドが勘弁してくれと懇願するくだりは、意図的に挿入された内輪ジョークである。当時ショーン・コネリーはセックスシンボルとして女性の間で人気が高く、その毛むくじゃらの広い胸板は彼の看板になっていた。世間受けするセクシーな男性の胸は今でこそ剃毛したスムーズなものが主流となっているが、当時はその逆で、胸毛は男らしさの代名詞だったのである[29]。
- 映画の冒頭で、マネーペニーがボンドに渡す日本語の本は "Instant Japanese: A Pocketful of Useful Phrases"(インスタント・ジャパニーズ: ポケットいっぱいの役に立つフレーズ集)という本。Masahiro Watanbe、Kei Nagashima 共著の1964年に初版された実在する本である[30]。これをボンドは「ケンブリッジ大学では東洋言語を専攻して学位を得ている[31]」と言ってマネーペニーに放り返すが[32]、残念ながら劇中でボンドが使った日本語は「コンニチワ」などごくわずかで、真偽のほどは確かではない。
- なお本作でボンドは全編を通じて「覆面捜査」を行っているので、「Bond, James Bond」というシリーズお馴染みの決めセリフを使っていない。劇中ボンドが「Bond, James Bond」と言わないボンド映画は、『007は二度死ぬ』と『慰めの報酬』の2本である。
日本語吹き替え
映画が公開されてから約10年後の1970年代にテレビ放映された際、丹波哲郎と浜美枝が日本語吹き替えを行って話題になった。若林映子は当時、手の怪我のために吹き替えに参加できなかった(映画秘宝のインタビューより)。
なお、月曜ロードショーのガンバレル~タイトルバックまではオリジナルとは前後異なる編集をされていた。これは本家イギリスでのテレビ放送でも同様の編集をされていた。一説には1970年代に日本でリバイバル上映された際、同様の編集をされていたという噂があり、その編集の真意は現在も不明である。
役名 | 俳優 | 日本語版1 | 日本語版2 |
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ボンド | ショーン・コネリー | 若山弦蔵 | 若山弦蔵 |
タイガー | 丹波哲郎 | 本人 | 谷口節 |
アキ | 若林映子 | 小宮和枝 | 八十川真由野 |
キッシー | 浜美枝 | 本人 | 小林沙苗 |
ブロフェルド | ドナルド・プレザンス | 辻村真人 | 稲垣隆史 |
M | バーナード・リー | 今西正男 | 藤本譲 |
マネーペニー | ロイス・マクスウェル | 花形恵子 | |
Q | デスモンド・リュウェリン | 田中康郎 | |
大里 | 島田テル | 藤本譲 | |
No.3 | バート・クウォーク | 伊武雅刀 | |
No.4 | マイケル・チョー | 西村知道 |
- 日本語版1 - TBS『月曜ロードショー』
- 日本語版2 - 2006年11月22日発売 DVD アルティメット・コレクション
- 翻訳 - 平田勝茂
注釈・出典
- ^ 公開時。今日「007」は日本でも原語とおなじように「ダブルオーセブン」と読んでいるが、その昔は「ゼロゼロセブン」と読んでいた(シリーズ第7作『007 ダイヤモンドは永遠に』ごろまで)。本作でも劇中でタイガーがボンドのことをちゃんと「ゼロゼロ」と呼んでいる。
- ^ この小説がイアン・フレミングの生前に出版された最後の作品である。
- ^ 日本語版: 『007は二度死ぬ』 イアン・フレミング 著、井上一夫 訳、早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)ISBN 9784150706562
- ^ “after Basho” – You Only Live Twice epigraph
- ^ “You only live twice: Once when you're born, And once when you look death in the face.” – You Only Live Twice epigraph
- ^ ダールとフレミングは交友があり、ダールはほかにフレミング原作のミュージカル映画『チキ・チキ・バン・バン』の脚本も務めている。
- ^ 全編の舞台が一つの国という007作品は本編と、ジャマイカが舞台の『ドクター・ノオ』だけである。
- ^ ただし国立公園内でそうした大規模な撮影の許可は下りなかったため、その大部分はスペインの地形が似た場所で行い、これらを合成で処理している。
- ^ ハヤカワ版では公安調査局(実在の公安調査庁とは異なる訳語になっている)。
- ^ その佐田の山と土俵場で相撲を取る相手は関脇時代の琴櫻である。
- ^ 撮影に使用されたのは営団地下鉄丸ノ内線の中野新橋駅だが、原作では田中の事務所は横浜にある工事中の地下鉄の駅構内ということになっている。
- ^ 忍者は映画ほど活躍しないが原作にも登場し、田中が訓練についていけない部下を見殺しにする厳しさを見せたり、ボンド自身が訓練を受けたりする描写がある。
- ^ 原題の You Only Live Twice を直訳すると「人は二度だけ生きる」という意味になる。
- ^ フランク・シナトラの娘。
- ^ 『007の東洋の素敵な美女たち』常盤新平訳『EQ』昭和53年3月号 早川書房 掲載。『探偵たちよ スパイたちよ』丸谷才一編 集英社(文藝春秋 文春文庫 ISBN 9784167138080) にも収録。オリジナルは、アメリカ雑誌「PLAYBOY」におけるダールへのインタビュー。
- ^ a b メイキング・オブ・007は二度死ぬ(DVD特別編・アルティメット・エディション特典映像)
- ^ a b 紀平照幸 編集・執筆『Junior SCREEN Vol.12 スクリーン特別版 SPY MOVIES特集 007のすべて』近代映画社 ISBN 9784764881730
- ^ 本作で若林映子と浜美枝は同じシーンに登場しないが、この5年前に公開された東宝の『キングコング対ゴジラ』で両者は友人役として出演し競演していて、製作者側も「『キングコング対ゴジラ』に出ていた若林と浜を」と彼女らを指名してきたそうである。
- ^ タイガーの声はイギリス人俳優のロバート・リーティーが吹き替えている。リーティーは『サンダーボール作戦』でイタリア人俳優アドルフォ・チェリ扮する敵役のエミリオ・ラルゴの声を吹き替えているほか、『ドクター・ノオ』ではジャマイカ在住のイギリス人エージェントの声を、ユア・アイズ・オンリーではオープニングシーンで車いすにのったブロフェルドの声を吹き替えている。
- ^ 丹波自身の声は、初登場シーンの笑い声と、部下に日本語で指示を出す短い一言、そしてタイガーとボンドが浴槽つきのマッサージルームでリラックスするシーンで、従業員に日本語で話しかける二言三言を聞くことができる。なおこの際丹波は、ボンドにのみサービスを行おうとする従業員に対して「主人を忘れちゃダメだよ主人を」とのセリフを入れているが、アドリブであるために翻訳されていなかった。また丹波は、1999年公開のアニメーション映画『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』に本人を模したキャラクター“温泉の精・丹波”の声で出演したが、この際の「俺はジェームズ・ボンドと一緒に風呂に入ったこともあるんだ」というセリフは、このシーンのことを指したものである。
- ^ 丹波の著書「大俳優 丹波哲郎」などによれば彼独特の声質が英国人が抱いていた平均的日本人男性の甲高いイメージとはかけ離れ、下手をすれば主役のコネリーの存在感を食いかねないほどのトーンに仕上がったとの理由で吹き替えられたという後述談もある。実際生前の彼は低音で非常によく通る地声で知られるためにあながちありえない話でもない。
- ^ なお原作でボンドが泊まるのはホテルオークラ。「帝国ホテルでアメリカ人旅行者が殺されたためそこを避けた」という設定になっている。
- ^ ジョン・ハンター 『ショーン・コネリー』 池谷律代訳、キネマ旬報社、1995年、125-126頁。ISBN 9784873760964
- ^ 台風被害や攻城された時、追い込まれるのを防ぐため伝統的に日本の城は海岸部を避けて築城される。
- ^ 確かに坊津は「神戸と上海の間」ではあるが、弧島ではなく九州本島と陸続きである。
- ^ 『探偵!ナイトスクープ』による。ただし、撮影終了後は全て元通りに直したという。
- ^ 『探偵!ナイトスクープ』
- ^ 2000GTの車内の狭さは伝説的で、くつろいで座れるのはせいぜい身長173cm前後までだという。当時コネリーの身長は188cmだった。
- ^ このコネリー版ボンドのイメージを踏襲して、以降の歴代のボンドも一様に胸毛を露出していた。ロジャー・ムーアは胸毛がないと不評をかこうとこれを生やし、彼には似合わないと不評をかこうとこれをまた剃ったりしている。しかしかし時代の流れには逆らえず、胸毛は作を追うごとに薄くなり、6代目のダニエル・クレイグからはついに胸毛なしのボンドにイメージチェンジしている。
- ^ 1996年に洋版出版から改訂版が出ている。ISBN 9784896847253
- ^ 実際にはそのように漠然とした学問は専攻のしようがない。
- ^ ボンドが話すことのできる言語はイアン・フレミングの原作と映画とでは異なっており、またボンド映画シリーズの中でも矛盾があるが、共通しているのは英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、そして日本語で、これらはいずれもペラペラということになっている。
関連項目
外部リンク
- Toyota 2000GT Open-top(豊富な画像と逸話を載せる)
- 予告編(アメリカ劇場公開のもの)