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[[熊本県立熊本工業高等学校]]では高校球児(2番[[左翼手]])として活躍し、[[1995年]]には現・[[中日ドラゴンズ]]の[[荒木雅博]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[松本輝]]、元・[[オリックス・ブルーウェーブ]]の[[田中雅興]]とともに[[第67回選抜高等学校野球大会]]でベスト16入りを果たした経験をもつ。卒業後は競輪に転向し、81期生として競輪学校に入学。同期には[[長塚智広]]、[[加藤慎平]]がいる。デビューから4年後、2002年の[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]でGI初優出(5着)を果たし、その頃からS級上位に定着した。2006年10月には[[岐阜競輪場]]で行われた[[共同通信社杯競輪]]でGII初優勝を果たし、さらにその直後の[[いわき平競輪場]]で行われた[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]では直線で[[神山雄一郎]]を差し切り、見事にGI初優勝を飾った。
[[熊本県立熊本工業高等学校]]では高校球児(2番[[左翼手]])として活躍し、[[1995年]]には現・[[中日ドラゴンズ]]の[[荒木雅博]]、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[松本輝]]、元・[[オリックス・ブルーウェーブ]]の[[田中雅興]]とともに[[第67回選抜高等学校野球大会]]でベスト16入りを果たした経験をもつ。卒業後は競輪に転向し、81期生として競輪学校に入学。同期には[[長塚智広]]、[[加藤慎平]]がいる。デビューから4年後、2002年の[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]でGI初優出(5着)を果たし、その頃からS級上位に定着した。2006年10月には[[岐阜競輪場]]で行われた[[共同通信社杯競輪]]でGII初優勝を果たし、さらにその直後の[[いわき平競輪場]]で行われた[[読売新聞社杯全日本選抜競輪|全日本選抜競輪]]では直線で[[神山雄一郎]]を差し切り、見事にGI初優勝を飾った。

[[2008年]]は3月に[[日本選手権競輪]]の決勝で2着に入ったものの、その後大きく成績を崩したため[[KEIRINグランプリ]]出場は果たせなかったが、年間獲得額賞金上位により[[2009年]]はS級S班格付となった。


==主な獲得タイトルと記録==
==主な獲得タイトルと記録==

2009年2月1日 (日) 03:12時点における版

合志正臣
Masaomi Goushi
個人情報
本名 合志 正臣
ごうし まさおみ
生年月日 (1977-06-22) 1977年6月22日(46歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 162cm
体重 60kg
チーム情報
所属 日本競輪選手会熊本支部
期別 81期
分野 競輪
役割 選手
特徴 追込
プロ所属チーム
1998-
日本競輪選手会熊本支部
グランツール最高成績
主要レース勝利
全日本選抜競輪 2006
共同通信社杯競輪 2006
S級S班 2009
最終更新日
2008年12月23日

合志 正臣(ごうし まさおみ、1977年6月22日 - )は競輪選手である。熊本市出身 (龍田小学校-楠中学校-熊工)。 日本競輪学校第81期卒業。ホームバンクは熊本競輪場日本競輪選手会熊本支部所属。師匠は青木宏親。初出走は1998年8月8日の熊本競輪場で初勝利は同レース。血液型はA型

戦績

熊本県立熊本工業高等学校では高校球児(2番左翼手)として活躍し、1995年には現・中日ドラゴンズ荒木雅博東北楽天ゴールデンイーグルス松本輝、元・オリックス・ブルーウェーブ田中雅興とともに第67回選抜高等学校野球大会でベスト16入りを果たした経験をもつ。卒業後は競輪に転向し、81期生として競輪学校に入学。同期には長塚智広加藤慎平がいる。デビューから4年後、2002年の全日本選抜競輪でGI初優出(5着)を果たし、その頃からS級上位に定着した。2006年10月には岐阜競輪場で行われた共同通信社杯競輪でGII初優勝を果たし、さらにその直後のいわき平競輪場で行われた全日本選抜競輪では直線で神山雄一郎を差し切り、見事にGI初優勝を飾った。

2008年は3月に日本選手権競輪の決勝で2着に入ったものの、その後大きく成績を崩したためKEIRINグランプリ出場は果たせなかったが、年間獲得額賞金上位により2009年はS級S班格付となった。

主な獲得タイトルと記録

競走スタイル

捲り足を備える追込型として活躍している。身長162cmという小柄ながら最終4コーナーから直線にかけての伸びは凄まじいものがあり、トップレーサーとして活躍する原動力となっている。しかし、その豪快なスタイルが時に仇となり、落車するという事態を招くことも度々ある。落車するたびに調子を崩し悲運のレーサーと呼ばれている。

関連項目

外部リンク


先代
加藤慎平
全日本選抜競輪優勝者
2006年
次代
山崎芳仁