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2008年12月13日 (土) 08:02時点における版

東 浩紀(あずま ひろき、1971年5月9日 - )は日本の批評家である。専攻は現代思想表象文化論情報社会論社会学的な仕事も多く、サブカルチャーへの言及、評論でも知られる。東京都三鷹市出身。博士(学術)。

1993年、「ソルジェニーツィン試論」『批評空間』で評論家としてデビュー。なお、この原稿は柄谷行人が当時教えていた法政大学での講義に潜り込んで参加した東が、直接柄谷に手渡したものである。

妻は作家・詩人のほしおさなえで1児あり。義父は『探偵物語』の原案者で翻訳家の小鷹信光


来歴

概要

デビュー以後多数の人文科学系誌に評論を掲載、柄谷行人浅田彰が編集委員を務めた「批評空間」で連載した『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』[1](1999)を最初の著書として新潮社から上梓。発売から3週間で1万3千部[2]と人文書としては異例の売れ行きを見せ、1999年10月4日号のAERAの表紙を若干28歳で飾った。また同書によりサントリー学芸賞を受賞。三島由紀夫賞でもノミネート。帯に浅田彰による自著『構造と力』が過去のものとなったことを自認した言葉が載る[3]博報堂が編集している雑誌『広告』1999年11・12月号では、「東浩紀のすごいでかい話」という特集が組まれた[11]

また、複数の雑誌に掲載された論考等を集めた評論集『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行。ポストモダン論からオタク文化などについて現代社会・ 文化・思想に関する幅広い発言・論考を展開。『存在論的、郵便的』で主題としたジャック・デリダ[4]のほかに、精神分析のジャック・ラカンを援用しつつ[5]、独自の思考を展開している。1996年の『エヴァンゲリオン論』(『郵便的不安たち』所収)以来、一般にはオタクサブカルチャーとの関わりの面からの注目度が高い[6] 。『動物化するポストモダンオタクから見た日本社会』(2001)は、そのエッセンスを圧縮して示したものである[7]。また『新現実』(大塚英志編集 2002-)、『ファウスト』(太田克史編集 2003-)、といったサブカルチャー系、あるいはライトノベル系文芸誌の立ち上げにも関わっている。

2000年には、村上隆が企画して渋谷パルコで開催された「SUPER FLAT展」のコンセプトブック『スーパーフラット』に村上隆論を寄稿。村上の作品をデリダを援用しつつラカンの「想像界」から「象徴界」への移行を軸として理論化し、「スーパーフラット」をポストモダンの最もラディカルな表現形態であると評価した[8]

2001年には、『小説トリッパー』2001年冬季号の「誤状況論」と題する連載の最終回で、「教養の復活などより、むしろ「工学的な知」[9]に本格的に取り組むべき」という主旨の発言を行った。

2002年には、情報社会と自由の関係を主題とした「情報自由論」[12]を『中央公論』(2002.7~2003.10)に発表。東によれば、「『動物化するポストモダン』と対をなし、東浩紀の現代社会論の中核」である。

2003年には、RIETI独立行政法人経済産業研究所)において、「デジタル情報と財産権」に関する研究会に加わった[13]。また、自身の作成するHPではメールマガジン『波状言論』を配信した(2003年12月から2005年1月まで)。

波状言論の終了と前後するように、GLOCOM[14]の東浩紀研究室にて「ised」(情報社会の倫理と設計についての学際的研究。Interdisciplinary Studies on Ethics and Design of Information Society)を2004年10月に立ち上げ、情報社会に関する精力的な研究に取り組んだ。研究会は2006年1月に予定通り最終回の議論を行い、同年8月に最終回の議事録の公開が行われた[15]。またGLOCOMの機関誌『智場』[16]の発信編集局長を務め、WinnyなどのP2PSNSWeb2.0について特集、金子勇の講演レポートや梅田望夫公文俊平の対談(司会鈴木健)を掲載するなど、新しいタイプの情報社会系批評誌を模索した。

2006年以降は、ライトノベル作家の桜坂洋GLOCOM研究員の鈴木健との共同プロジェクトとして「GEET STATE」を開始した[17]。当初はGLOCOMにおけるisedの後継プロジェクトと位置づけられていたが、東のGLOCOM辞任[10]をうけて個人ベースの共同プロジェクトとして開始された。このプロジェクトは2045年の日本社会を舞台とした世界観の上で未来予測とエンターテインメントの両立を図ろうとするものであり、CNET Japanで製作日誌が公開されていた(2006年末に連載を終了)。また2ちゃんねるに東本人が、「ギートステイト」に関するスレッドを立てる[18]ポッドキャストラジオ対談を配信する[19]など、さまざまなコミュニケーションの拡張が試された。2007年1月31日より本格的に物語がスタートし[20](この本編には鈴木は多忙を理由として参加していない)、2007年8月17日をもって、連載は一時休載されている。

2007年3月には、『ゲーム的リアリズムの誕生ー動物化するポストモダン2』を刊行。そこでは、ライトノベルやノベル系のアドベンチャーゲーム美少女ゲームを通して、「コミュニケーション志向メディアの台頭」、「キャラクターのデータベースの整備」という事態を分析し、今までの純文学のような、「単線的な物語」と「文体面での透明性」が確保できなくなり、「メタ物語的構造とデータベース的文体による新しい文学の組織化が生まれている」という結論を導いている。そして、この新しい組織化を、東は「ゲーム的リアリズム」と名づけている。

同年10月には、文芸誌『新潮』上に桜坂洋との共作で「実在の批評家とライトノベル作家による、前代未聞の「批評」の「キャラクター小説」化」を試みた『キャラクターズ』を発表。小説の中のキャラクター「東浩紀R」の弁によれば、桜庭一樹佐藤友哉という「私小説化したライトノベル作家」が相次いで文学賞を受賞した[11]ことに、「なぜか深い衝撃」を受け、彼らの受賞が「ライトノベル的想像力の文学への侵入」の記念碑として「文学史に刻まれる」ことを、「なんとかして阻止する」あるいは「横槍を入れる」ために書かれた。キャラクター「東浩紀R」によれば、作家と主人公を同一視する「私」を扱う私小説は「退屈」であり[12]、「小説を書くと言うのは、内部から言葉や物語が出てくるとか出てこないとか以前に、言葉や物語をもって他人とコミュニケーションするということであり、またその環境を操作するということなのに、制度に守られた純文学はその点の自覚が決定的に欠け、佐藤友哉もそれを忘れている」。そして、そのために、「批評などキャラクター小説と同じくらいに虚構的なもの」であり、「人格に還元」できないということを「実践的に証明」する。「かって23歳の新井素子が宣言したように、小説とは、作家のためでもなく、ましてや編集者や書店員のためでもなく、なによりもまず、現実と言う単独性の支えを失い、可能世界の海を亡霊のように漂っている「キャラクター」という名の曖昧な存在の幸せのために書かれるのだということ、そしてそれこそが、文学が人間に自由と寛容をもたらすと言われていることの根拠なのだ」とキャラクター「東浩紀S」は、朝日新聞社をタンクローリーで襲撃、炎上させようとする前に、遺言する。

同年には、いままでのエッセイや論考をまとめ、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』『情報環境論集―東浩紀コレクションS』『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』を講談社から刊行した。

2008年、年間を通して評論家を選考、育成する企画『東浩紀のゼロアカ道場[13]を「講談社BOX」にて開始した。 2月には『動物化するポストモダンオタクから見た日本社会』の仏訳版が、フランスHachette社から『Génération Otaku : Les enfants de la postmodernité 』(「オタクジェネレーションーポストモダンのこどもたち」)として出版された。この出版をきっかけとして、3月には、フランスのエコールノルマルパリ日本文化会館などで講演を行った[21]。 同年4月にNHK出版から北田暁大と共編で、思想誌『思想地図』を刊行。論考を広く一般から募っている。5月には『キャラクターズ』が新潮社から出版された。第23回早稲田文学新人賞の選考委員となった。

2008年6月8日に起こった秋葉原通り魔事件についても積極的に発言している[22][23]

近年は、「人々はすでに(「人間」ではなく)動物化した」[14]「そもそも、ポストモダニズムというのは、政治的には本質的に現状肯定しかできないロジック」[15]「なぜなら、それはあらゆる理念を脱構築するから」[16] として、「その前提の上で、コントロールの肥大性」を避ける、情報工学的制度設計に関して関心が高い[17]。「理想的な国家のイメージ」をコンビニから考え、「市民や公民を増やすことなど不可能だというあきらめの上で、でもそれでもいい社会をつくるにはどうすればいいか」「倫理的な公共性を経済的な合理性がのみこむようなシステム」[18]に関して思考を重ねている。その場合グーグルのサービスがヒントになるとしている。「知識人は倫理を担うべきだ」という言説にも否定的で、「僕たちの世代の言論人は(・・・)なにが政治で何が政治じゃないのか、何がアクチュアルでなにがアクチュアルじゃないのか、それが分からない」「自分の好きなことに関してはいろいろ考える、それしかない」「いまのこのポストモダン化し動物化した世界、あまり肩肘を張って大人になろうとか公的になろうとかするとむしろ欝になるので、適当にぬるぬる消費者をやって、小さくハッピーに生きるべきではないか」と述べている。[19]。また「君の言説と言うのは、君が現実と定義するものにあっさり白旗上げ」るのか?「なんで批評をやっているの?商売?」という大塚英志の問いかけには「上げていますよ。そうだっていっているじゃないですか」「だからさっきから言っているじゃない。あんまり意味がないしやる気がない」「それをしつこくいってもしょうがない」「それって人格攻撃」と応答している。また「では伺いますが、ぼくはこれから、どういうやり方をしてどういう方向に行ったらよろしいのでしょうか。」「そこまで苛立っているのであれば、逆に教えて欲しい」とも問いかけている[20]

本人的には「Wikipediaはてなよりも、ニコニコ大百科の方が最先端として(東浩紀についての解説が)いい」[24]そうである。

波状言論

波状言論(はじょうげんろん)とは東を中心に作られた同人サークル。また、それが発行していたメールマガジンと一連の企画も指す。メールマガジンは、2003年12月から2005年1月にかけて発行・配信されていた。

主な作品

  • 美少女ゲームの臨界点(同人誌、コミックマーケット66で発表)
  • 美少女ゲームの臨界点+1(同人誌、コミックマーケット67で発表)
  • 波状言論S改(商業誌)

著書

単著

  • 『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』(新潮社1998年
  • 『郵便的不安たち』(朝日新聞社1999年
  • 『不過視なものの世界』(朝日新聞社、2000年) - 対談集
  • 『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』(講談社講談社現代新書]、2001年
  • 『郵便的不安たち#』(朝日新聞社[朝日文庫]、2002年
  • 『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』(講談社[講談社現代新書]、2007年)
  • 『文学環境論集東浩紀コレクションL』(講談社[講談社BOX]、2007年)
  • 『情報環境論集東浩紀コレクションS』(講談社[講談社BOX]、2007年)
  • 『批評の精神分析東浩紀コレクションD』(講談社[講談社BOX]、2007年)


共著

  • 笠井潔『動物化する世界の中で』(集英社[集英社新書]、2003年) - 往復書簡形式
  • 大澤真幸『自由を考える―9・11以降の現代思想』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2003年)
  • 北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2007年)・『思想地図』(日本放送出版協会[NHKブックス]、2008年)
  • 桜坂洋『キャラクターズ』(新潮社、2008年)…『新潮』2007年10月号掲載のものを単行本化
  • 大塚英志『リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか』(講談社[講談社現代新書]、2008年)

編著

  • 『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』(青土社、2003年)
  • 『波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由』(青土社、2005年)
  • 『コンテンツの思想―マンガ・アニメ・ライトノベル』(青土社、2007年)

論文

  • 『存在論的、郵便的 -後期ジャック・デリダの思想と精神分析』博士論文(1999年、東京大学)

自主流通本

  • 『美少女ゲームの臨界点』(波状言論、2004年) - 編集責任、多くの人物との共著
  • 『美少女ゲームの臨界点+1』(波状言論、2004年)

テレビ

脚注

  1. ^ 浅田彰は、「東浩紀は『存在論的、郵便的』というシャープなデリダ論において、この時期(『グラ』1974・『葉書』など)を中期と呼び、その中期のテクストにデリダの可能性の中心を見ていますが、それには僕もおおむね賛成」と述べている。(「Re-membering Jacques Derrida」『新潮』2005年2月号「小特集=ジャック・デリダ」参照。)東は、「意図しない妊娠・その結果生まれた子・誤配」をデリダの言う「散種」である、として見出し、ラカンの「ファルス」と対置する。ラカン「ファルス」とデリダ「散種」の「対決」、及び浅田と東の「郵便」「散種」の捉え方の差異については、浅田彰ラカンアルチュセールデリダジジェクの『汝の症候を楽しめ』をきっかけに」及び「「投壜通信」について」参照。また浅田は「誤解や誤配は「情報一般に伴う条件」だから不可避だし、それでいいのだ、と言い切ってしまうとすれば、それは安易な居直りでしかないでしょう。(デリダに即して言えば、徹底的に正確に読もうとするにもかかわらず、いやむしろそれゆえにこそ、どうしてもズレが生じてしまう、簡単に言えばそういった問題を考えているのであって、安易なコピーが氾濫しオリジナルが雲散霧消していくのが「情報一般に伴う条件」としての「散種」だ、というようなことを言っているのではありません。」とも述べている[1]
  2. ^ 「哲学研究者 東浩紀さん(表紙の人 坂田栄一郎のオフカメラ)」AERA 1999.10.4参照。1年後には2万部に達した。「[21世紀クリエーター](5)哲学研究家・東浩紀さん」読売新聞夕刊2000.09.29参照。またそこでは「学問の輸入業者になる気はない」「勝負はこの十年」とも述べている。
  3. ^ この帯の元の文章の全文は以下の通り。「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。もちろん私の世代の「ポストモダン知識人」もサブカルチャーに興味をみせはしたが、それはまだハイカルチャーサブカルチャーの垣根を崩すためのジェスチャーである場合が多く、サブカルチャーに本気で情熱を傾けるようなことはなかったと思う。20歳代半ばも超えて、自室にアニメのポスターを張り、アニメ監督(註:庵野秀明である)に同一化して髭までのばしたりするような人間ーハイカルチャーが崩壊し尽した後の徹底した文化的貧困の中に生まれた正真正銘の「おたく」が、それにもかかわらず、自分では話せないフランス語のテクストと執拗に格闘し、しかも読者に本気でものを考えさせるような論文を書く。それはやはり驚きであり、その驚きとともに私は「構造と力」がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである。この「おたく哲学」が「哲学おたく」とはまったく非なるものであることは、東浩紀の今後の活躍が証明していくことになるだろう。」(『批評空間』Ⅱ-18編集後記1998)
  4. ^ 「僕にとってはデリダアニメも同じサブカルチャーなんです。普通の人の意識のなかで、その二つの世界が分断されているから、意外な感じがするんでしょう。でも、論壇誌だってアニメだって僕にとっては同等」と述べる。「哲学研究者 東浩紀さん(表紙の人 坂田栄一郎のオフカメラ)」AERA 1999.10.4参照。また、「僕の評論は一種のエミュレーション」「デリダ論もそうだったんだけど、背景となる知識や大前提がなくても、ある題材が与えられれば、その内部で整合的に話が繋がるように読み方を捏造するというか、そういう感覚がある」と述べる。『リアルのゆくえ』p39参照。
  5. ^ 東の、ラカンのターム「象徴界」の用い方ー例えば現在の文化状況をさして「象徴界が機能していない」としたりするーについては、精神科医斎藤環などからの、トポロジカルな関係であり、実体化できない三界(象徴界・創造界・現実界)の区分に関する、「ラカンの誤読」であり「誤り」である、という指摘がある。『戦闘美少女の精神分析』pp40-41参照。もっとも斎藤は、この本の出版以降、東が主催したメールマガジン『波状言論』に、当時、東の招待で友好的に参加していた。『波状言論』でも二人は,「戦闘美少女」や「おたく」についてML上で交わした議論を公開している[2]。 また、斎藤は『メディアは存在しない』(NTT出版2007)1章においても、同様の指摘をし、東の情報技術メディア論を「内破主義」であるとして、かなりの疑問を呈している(本書の一貫したモチーフである)。とはいえ、この書物の末尾には東も鼎談相手として登場する。
  6. ^ 東は「2000年代の日本の最大の文化的発明はWiiでもケータイでもなくて2ちゃんねる」と発言している。また「小松左京先生は戦争がなければSFにいかなかったと発言されましたが、東さんは「これ」がなければ現代思想にいかなかったものはありますか?」という質問に対し、「作家名なら、小松左京新井素子押井守。これはまじです。そして彼らがもともとベースなので、現代思想からも外れるのだと思う。」とも述べる。また「東浩紀先生の前期(郵便本)と後期(動物本以降)の仕事の乖離を結びつける試みについてどう思われますか?」という質問に対し、「オレ的には乖離してない」とも述べている東浩紀 2ちゃんねる東スレ発言記録(2008.2)。最近の「オタク」的嗜好は、以下の動画[3]を参照。そこでは高橋留美子展にあわせ、過去在籍した「うる星やつら」ファンクラブ会員証を披露した。もっとも「僕は基本的にオタクは好きじゃない、オタクという集団は好きじゃないが、やはり秋葉原へ行くとこの人たちが僕を支えているという実感がある。彼らの代表者としての論壇のポジションがある」と述べている。宇野常寛との決断主義トークラジオ(2008.2.9)参照[4]。しかし同時に宇野常寛に「二次元になりたいと思ったことないだろ?俺はあるよ」とも述べる。また東自身も「ゲーム的リアリズムの誕生」で論じた「コンテンツ」より「コミュニケーション優位」、「二次製作優位」のネットメディアに身をさらしている[5]。また2008年ゼロアカインタビューでは[6]、「批評は一回ゼロ地点に戻るしかない。文学の「全体性」を回復したい。僕は日本文学史を引き受けている。僕は柄谷行人浅田彰の弟子であって、僕がやるしかない。俺が放棄したらどうなるの?正確に言うと文学でなく文学的想像力の全体性について考えたい。それは純文学でもライトノベルでもケータイ小説でもない。そんなのは全部サブジャンルだ」と述べている。同時に「世界がうまくいくように、なんてことは何も考えていない」とも述べる。
  7. ^ 「それはそれで面白い物語ではあるものの、それが極めて強くバイアスのかかったヘーゲル的な物語だということは、言っておかなければならない」という浅田彰の指摘がある。「「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年参照。
  8. ^ これには、浅田彰[7]斉藤環からの批判[8]がある。
  9. ^ その場しのぎのように見えるが、「教養」という蓄積を必要としないシステムとしての知
  10. ^ GLOCOM辞任に関しては以下を参照。ただし私的所感である。http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/db5b209a6411bbaf480b97a8a43a152e 及び http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/84e1469c85ff818b60d17175b66f78a9 東の『キャラクターズ』においても、「キャラクター小説」の形で、少し触れられている。東本人の弁としては、 http://www.hirokiazuma.com/archives/cat_glocom.html
  11. ^ 佐藤友哉は『1000の小説とバックベアード』で2007年5月、第20回三島由紀夫賞を受賞。桜庭一樹は、2007年、『赤朽葉家の伝説』で、第60回日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。また2008年、『私の男』で第138回直木三十五賞を受賞した。
  12. ^ しかし、東がこれまで関わった人物の固有名詞が、私小説のパロディ的にか、数多く登場する。柄谷行人浅田彰公文俊平太田克史北田暁大宮台真司大塚英志鈴木謙介前島賢鈴木健矢野優山形浩生蓮實重彦唐沢俊一舞城王太郎笠井潔笙野頼子など。実名ではないが、かなりのパートを占めるトイレで出てくる「映写技師」とは阿部和重がモデルである。東は80年代セゾンPARCO文化の凋落・現在の郊外型ショッピングモールの台頭の象徴としてトイレ清掃人として出したという[9]。しかし「映写技師」は、桜坂洋が書いたパートで、「船橋ヘルスセンター東京ディズニーランド、そしてあんたの好きなラゾーナ川崎は、消費社会のシミュラークルどころか、現実には、とことん日本的な、昭和期の権力構造にどっぷりとつかった箱物の連鎖にすぎない。それがこの国のリアルってもんで、ポストモダンとか人間工学とか広告都市とか、全部表面だけ眺めた子供の言葉でしかないんだよ。あんたも、そろそろ大人になるべきじゃないかね。」「後付けの理論でなんでも逃げようとするおまえのそういうところが気に入らないんだ。だからおまえはリアリティーがないんだ。」と「東浩紀S」を暴行・制裁する。そして瀕死の東を少女妖精が救う。二人は2008年10月に久しぶりの再会を果たし(東によれば「和解」し)、早稲田文学10時間連続公開シンポジウムで対談している。
  13. ^ ゼロアカ門下生のustreamに現れ[10]、「動物化とセカイ系は永遠に死なない」「そういう環境でもういちど「作品」作るってなのか、を考えてよ」「作品の制作者より消費者のほうが強い、というのはそうなんだよ」「でもそれでもときどきひとはもの作るのはなぜなのか」「いや、作品が作りにくい雰囲気ではあるだろう」「というより、「作品」の意味が変わってきていて 」「消費環境について話したほうが頭よく見える状況はあるだろう」「たとえば福嶋亮大とか濱野智史はそういう認識について話しているだろう 」「それはわかるのだが」「 ぼくはもう一回回って作家性の話を聞きたいんだよね」「ひとはなぜものを作るのだろう 」「だってこの環境下では作らなくていいはずだ」「楽しいとか金儲けとか以外にもの作りの動機はあるのか」と述べている。
  14. ^ 「動物」とはアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門』の用語からとられている。「歴史の終焉」後の人間のありかたをさす。浅田彰は、東が依拠するコジェーブの「闘争が終わる、歴史が終わる」という「予言が全く間違っていたことは、旧ユーゴスラビア紛争から二度の湾岸戦争にいたる現代史の激動、冷戦と言う歴史の中吊りが解けたような歴史の激動を見れば、誰の目にも明らか」と指摘する。「「現在」を考える:こどもたちに語るモダン/ポストモダン」(岡崎乾二郎との公開トークショー)、『InterCommunication』no.58、2006年参照。
  15. ^ 東の「リベラル」の定義は以下の通り。「リアルのゆくえ」207ページ「東  リベラルは、みんながリベラルになることを望んでいる。たとえば、みんなが在日に対して優しくしようとリベラルは言う。でも世の中には、在日を差別する人がいっぱいいる。その現実はどうするのか。/ネット右翼の問題も同じです。彼らが言っているのは、左翼は出版メディアを握っている、みなが自分たちのようにリベラルになるべきだと言っている。しかしそれこそが抑圧だということです。そういう意見に対する処方箋はひとつしかない。リベラルでない立場も認めるような「拡張されたリベラル」しか実践的にとりようがない。それが現在の日本で唯一リアルな政治的ポジション 」ちなみにジャック・デリダホロコーストなどに関する歴史修正主義に関して晩年インタビューに答えて、次のように述べている。東浩紀との差異に留意「ジャン・ビルンバウム──この観点から(大学の無条件的自由に対する絶対的な要求)、ガス室の存在とショアーの現実性を否定する否定論者たちのケースをどのように考えるべきでしょう? ジャック・デリダ──あらゆる問いを提出する権利はあります。その上で、問いに応答する仕方が偽造や明らかに事実に反する断言を言い募ることであるなら、その挙措がもはやまっとうな知批判的思考に属さないものであるなら、その場合には事情は違ってきます。それは能力欠如あるいは正当化されない道具化であって、その場合には制裁を受けることになります。出来ない生徒が制裁を課されるように。教授資格を持っているからといって、大学で何を言ってもよいということにはなりません。しかし、問いを提出し、再検討する可能性は、大学に残しておかなくてはなりません。もしフォリソン(註:ホロコーストは存在しなかった論者)が、単に、「私が歴史研究をする権利を残しておいて下さい、私にあれこれの証言を言葉通り信じない権利を残しておいて下さい」と言っただけなら、私としては、彼に仕事をさせておくことに賛成したでしょう。彼が、大量の証拠に反して、これらの批判的問いから、確証され証明された真理の観点からは受け入れられない断言へと移行すると主張するときには、その場合には、彼は能力が欠如していることになります。その上、悪事を働いていることに。しかし、まず能力が欠如しているのです。したがって、大学で教授を自任するにはふさわしくないということになります。その場合には、討論は不可能です。しかし、原則として、大学は、批判的討論が、無条件的に開かれたままでなくてはならない唯一の場所であり続けています。それこそが、私が固執する遺産なのです。たとえ私の大学への関係が複雑なものであったとしても、それはヨーロッパの、そしてギリシャ哲学の遺産であり、他の場所で生まれたものではありません。そして、この哲学を主題として私が提起するあらゆる脱構築的問いにもかかわらず、私はそれに、ある種の〈然り〉を言い続けており、けっしてそれを投げ捨てることを提案したりはしないでしょう。 哲学にも、ヨーロッパにも、私が背を向けたことは一度もありません。私の挙措はそれとは別のものです。私はけっして言わないでしょう──私の視線を追って下さい──「ヨーロッパを忘れなさい、哲学よ、さようなら!」とは……。私がけっして、「婚姻は社会の基本的価値である」とは言わないのと同様に。(『生きることを学ぶ、終に』(鵜飼哲 訳、みすず書房) p.58-60)  
  16. ^ ちなみに脱構築という言葉を広めたジャック・デリダは、1993年に過去の自分の脱構築の仕事を振り返ってこう述べている。東の「脱構築」・ポストモダン・「大きな物語の終わり」コンセプトとの違いに留意。「(・・・)ヘーゲルマルクスハイデガーにたいして歴史の終わり没歴史性を対立させるためではなく、逆にこの存在-神学-始原-目的論(ヘーゲルマルクスハイデガーらを指す)が歴史性に閂をかけ、歴史性を無力化し、そして最終的にはそれを無化してしまうことを示すためであった」「(・・・)もうひとつ別の歴史性を考えることであった。歴史性を断念しないことを可能にし、むしろ逆に約束としてのメシア的かつ解放的な約束の肯定的思考へアクセスを開くことを可能にするような歴史性としての出来事の別の開口を考えることであった」「それはあくまで約束としてであって、プログラムとしてではない。というのも解放への欲望を断念すべきかどうか。むしろかってないほど、その欲望に執着しなければならないと思われるからである。しかも「ねばらなない」の「破壊不可能性」そのものに対してと同様に執着しなければならないと。これこそ、再-政治化の条件であり、もしかすると別の「政治的なもの」の概念の条件でもあるかもしれない。」(「マルクスの亡霊」p168) 」
  17. ^ 斉藤環『メディアは存在しない』での斉藤・東の鼎談p278参照。 その場合強い意思を持っている人は、考察から除外される。同p280参照。また2008年現在「新潮」で連載中の小説「ファントム、クォンタム」では、主人公・葦船往人はこう述べる。「ぼくたちは、人類の全員に尊厳を配分することはできない。だとすれば、ぼくたちにできるのは、地下室人(註:ドストエフスキーの「地下室の手記」からくる)を地下室人のまま生かし続けることにしかない。彼らの呪詛を呪詛として受け止め、その言葉を決してどこにも届けることなく、尊厳が奪われた亜人間の生をそのまま受容する空間を用意するしかない。地下室人を人間に引き上げること、昇華=止揚することは、決して彼らを救うことにならない。それはまた別の地下室人を作るだけだからだ」「地下室人を地下室に放置しながらその宿命から仮想的に解き放つ可能性、言い換えれば、富はそのままにして、尊厳だけを無限の可能世界から調達することでその総量を爆発的に増やす」「そして、その実現のためには、ぼくたちは、いまのグローバル化新自由主義化、監視社会化をおしとどめるのではなく、むしろその流れをはるかに徹底して、臨界まで推し進めなければならないのだ。マルクスがかってブルジョワ資本主義について述べたように」「ぼくは未来の地下室人たちは、宗教的にではなく工学的に救われるべきだと思うのだ。それこそが僕たちの希望だ」(新潮2008.8)
  18. ^ 大塚英志との共著『リアルのゆくえ』「第3章──おたく/オタクは公的になれるか」参照
  19. ^ 大塚英志との共著『リアルのゆくえ』「第3章──おたく/オタクは公的になれるか」参照
  20. ^ 大塚英志との共著『リアルのゆくえ』「第3章──おたく/オタクは公的になれるか」p225及びp216参照。

関連項目

外部リンク