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'''池田 政美'''(いけだ まさよし、[[享保]]10年([[1725年]]) - [[宝暦]]6年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]([[1756年]][[10月4日]]))は、[[江戸時代]]の[[旗本]]。[[池田由道]]の3男。[[池田政休]]の[[養子]]。妻は[[藤堂良端]]の娘。子に金七郎(早世)、[[池田政朗]]がいる。[[幼名]]は震五郎。
'''池田 政美'''(いけだ まさよし、[[享保]]10年([[1725年]]) - [[宝暦]]6年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]([[1756年]][[10月4日]]))は、[[江戸時代]]の[[旗本]]。[[池田由道]]の男。[[池田政休]]の[[養子]]。妻は[[藤堂良端]]の娘。子に金七郎(早世)、[[池田政朗]]がいる。[[幼名]]は震五郎。


享保10年(1725年)池田由道の3男として生まれる。後に池田政休の養子となり、[[寛保]]元年([[1741年]])[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]、遺領を継ぐ。[[延享]]3年([[1746年]])[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]、火事場見廻役をつとめ、宝暦4年([[1754年]])[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]、[[使番]]となったが、同6年(1756年)9月11日、32歳で死去。後を子の[[池田政朗|政朗]]が継いだ。
享保10年(1725年)池田由道の男として生まれる。後に池田政休の養子となり、[[寛保]]元年([[1741年]])[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]、遺領を継ぐ。[[延享]]3年([[1746年]])[[12月14日 (旧暦)|12月14日]]、火事場見廻役をつとめ、宝暦4年([[1754年]])[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]、[[使番]]となったが、同6年(1756年)9月11日、32歳で死去。後を子の[[池田政朗|政朗]]が継いだ。


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2008年12月5日 (金) 18:48時点における版

池田 政美(いけだ まさよし、享保10年(1725年) - 宝暦6年9月11日1756年10月4日))は、江戸時代旗本池田由道の三男。池田政休養子。妻は藤堂良端の娘。子に金七郎(早世)、池田政朗がいる。幼名は震五郎。

享保10年(1725年)池田由道の三男として生まれる。後に池田政休の養子となり、寛保元年(1741年12月27日、遺領を継ぐ。延享3年(1746年12月14日、火事場見廻役をつとめ、宝暦4年(1754年1月11日使番となったが、同6年(1756年)9月11日、32歳で死去。後を子の政朗が継いだ。