「池田政和 (オートレース選手)」の版間の差分
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2008年12月5日 (金) 18:39時点における版
池田 政和(いけだ まさかず、1973年2月11日 - )は、日本のオートレース選手。埼玉県出身。23期。船橋オートレース場所属。呼名は「ミオン / マンティス / カイザー / カイザー2 」
選手データ
- 選手登録 1993年7月2日
- 身長 164.0cm
- 体重 49.3kg
- 血液型 O型
- 趣味 魚釣り
- 同期レーサー 浦田信輔(飯塚) 佐々木啓(山陽)など
- 平成19年前期全国ランキング S-12(全国473選手中12位)
- 平成19年後期全国ランキング S-12(全国467選手中12位)
経歴
- 1997年
- 優秀新鋭賞
- 1999年
- 川口 SG第31回日本選手権オートレース優勝
- 最優秀新鋭賞
- 日本プロスポーツ大賞 功労賞
- 2000年
- 船橋 SG第19回オールスターオートレース優勝
- 川口 SG第14回スーパースター王座決定戦優勝
- 川口 GI開設48周年記念グランプリレース優勝
- 2001年
- 船橋 GII第2回期別対抗チャレンジカップ優勝
- 2002年
- 川口 SG第16回スーパースター王座決定戦優勝
- 船橋 GI第25回黒潮杯争奪戦優勝
- 浜松 GI第44回秋のスピード王決定戦優勝
- 優秀選手賞
- 2002年賞金王(9072万8100円)
- 2003年
- 伊勢崎 SG第35回日本選手権オートレース優勝
- 船橋 GII第1回さざんかカップ・東西対抗戦優勝
- 優秀選手賞
- 特別賞
- 2004年
- 川口 SG第18回スーパースター王座決定戦優勝
- 船橋 GIプレミアムカップオートレース2004 in summer 優勝
- 優秀選手賞
- 2005年
- 浜松 SG第18回全日本選抜オートレース優勝
- 川口 SG第20回スーパースター王座決定戦優勝
- 川口 GI開設53周年記念グランプリレース優勝
- 最優秀選手賞
- 2005年賞金王(1億1226万2200円)
- 2005年後期全国ランキング第1位
- 2008年
- 船橋 GI第31回黒潮杯争奪戦優勝
人物
池田政和は、「王国」船橋の新時代を築いたエース選手である。
デビュー当時こそ華やかな活躍は無かったものの、1997年頃から徐々に全国区に名を売り出した。 そして、1999年に日本選手権オートレースを制覇すると、一躍トップレーサーの仲間入りを果たしたのである。
女性並の小柄な体躯ながら、身軽さを生かした走法が持ち味である。
1999年の初頭に池田の師匠であった藤川順二選手が殉職してしまった。その後、日本選手権で優勝した際には、人目を憚らず号泣した。
2000年のSGオールスターオートレースで3度目のSG載冠を果たした後、スランプに陥った池田は片平巧、高橋貢という歴戦の強豪の後塵を拝むことになる。エンジンが仕上がらず苦戦が続いた池田が復活の狼煙を上げた超抜エンジン「マンティス」。一般戦ながらも船橋開催で天才と呼ばれた片平等を10m前に置くスーパーハンデに位置することになる。2002年初頭の第16回スーパースター王座決定戦では、スーパースターフェスタの開催期間を通じて決定戦8車の練習走行が行われたが余りの試走タイムに下馬評が釣り上がる。本番で3.22という抜群の試走タイムを叩き出し、スタートに遅れながらもミズスマシのように強豪前車を抜き去り自身4度目のSG制覇に優勝インタビューで感極まった。
オートレースにおいて初めて競艇のように「超抜」エンジンと呼ばれた「マンティス」を駆り2002年濱野淳との日本選手権での激戦、2003年日本選手権優勝で借りを返す。また2004年に船橋で開催された第36回日本選手権優勝戦における高橋貢との死闘は有名。池田自身が準優勝となりながらも周囲からの反響に驚いた。そして翌2005年第20回スーパースター王座決定戦にて、高橋とまたもや鍔迫り合いを演じて優勝し借りを返した。雑草のように一度敗れても次に借りを返す執念のレースが池田をレース界最高峰に押し上げた。
同門で弟弟子にあたる永井大介とは非常に仲がよく、兄弟のような関係でさえある。また、非常に後輩思いでもあり、2007年のSG第11回オートレースグランプリの優勝戦後には、SG初優出初優勝を飾った後輩の武藤博臣を祝福する姿が見られた。
この優勝戦には自身も優出しており、グランドスラムを狙いながらも敗退してしまったのだが、素直に後輩の偉業を祝う姿に池田の優しさが現れていたと言えよう。
ドラえもんのファンであり、以前は競走車の呼名に「ドコデモドア」や「デキスギクン」といった、ドラえもんにまつわる名称を使用していた。また、以前使用していた呼名「ミオン」は自身の娘の名前でもある。