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{{by|2007年}}も前年に引き続き二軍で主に[[リリーフ]]として登板。11試合に投げて防御率1.29と好投した。同年12月7日に同郷である明石市の女性と入籍。
{{by|2007年}}も前年に引き続き二軍で主に[[リリーフ]]として登板。11試合に投げて防御率1.29と好投した。同年12月7日に同郷である明石市の女性と入籍。


{{by|2008年}}は[[サイドスロー]]に転向したものの二軍でわずか3試合の登板に終わり、同年[[11月4日]]に戦力外通告を受けた。
{{by|2008年}}は[[サイドスロー]]に転向したものの二軍でわずか3試合の登板に終わり、同年[[11月4日]]に戦力外通告を受けた。1回目の[[12球団合同トライアウト]]を受験し、その後[[阪神タイガース]]が[[育成選手]]として獲得することを表明した。


==プレイスタイル==
==プレイスタイル==

2008年11月17日 (月) 10:30時点における版

大西 正樹
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県明石市
生年月日 (1987-10-25) 1987年10月25日(36歳)
身長
体重
175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト3巡目
年俸 660万円(推定)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大西 正樹(おおにし まさき、1987年10月25日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属したプロ野球選手投手)である。

来歴

プロ入り前

兵庫県明石市出身。明石市立二見北小学校3年時にソフトボールを始め、当初は外野手だったが「サウスポーがいない」という理由から投手にコンバートされた[1]。その後、地元の少年軟式野球クラブチーム二見フレンズに入部。明石市立二見中学校野球部では高校でチームメイトとなる明石市立大久保中学校の有元一真と何度も投げ合ったという。神戸国際大学附属高等学校に進学後は1年時から公式戦で登板し、2年夏も控え投手として投げ兵庫大会4強入りに貢献。3年生が引退した秋にはエースとなり、有元との2枚看板で若竹竜士擁する育英高等学校とは地区予選、県大会決勝、近畿大会決勝で対戦しいずれも勝利。新チーム結成以降、明治神宮野球大会準決勝で山口俊擁する柳ヶ浦高等学校に敗れるまで公式戦無敗だった。2005年第77回選抜高等学校野球大会に出場。準決勝で柴田亮輔擁する愛工大名電高校に敗れたものの、夏春連覇がかかっていた駒大苫小牧高校を二回戦で完封するなど、チームの4強入りに貢献した。夏は兵庫大会準優勝。同年の高校生ドラフト3巡目で福岡ソフトバンクホークスに指名され入団。

プロ入り後

ルーキーイヤーの2006年は新人合同自主トレでいきなり故障してしまい出遅れたが、ウエスタン・リーグでは6試合5投球回と少ない登板数ながら防御率1.80を記録。

2007年も前年に引き続き二軍で主にリリーフとして登板。11試合に投げて防御率1.29と好投した。同年12月7日に同郷である明石市の女性と入籍。

2008年サイドスローに転向したものの二軍でわずか3試合の登板に終わり、同年11月4日に戦力外通告を受けた。1回目の12球団合同トライアウトを受験し、その後阪神タイガース育成選手として獲得することを表明した。

プレイスタイル

球速は速くないが、テンポの良さとカーブスライダー等の変化球が持ち味。一方で、投球回数に近い四死球数を記録している制球面が課題。

50mを6秒で走るなど身体能力が高く、高校時代は5番を打つなど野球センスも優れている。

「体は大きくないがキレの良い球で成績を残している」との理由でチームメイトの杉内俊哉を憧れの選手に挙げている。

脚注

  1. ^ 神戸新聞Web News

関連項目

外部リンク