「志筑藩」の版間の差分

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'''志築藩'''(しずくはん)は、[[常陸国]]の小藩。 慶長七年([[1603年]])[[佐竹氏]]の国替に伴い、[[出羽国]]([[秋田県]][[美郷町 (秋田県)|美郷町]])より当地へ移封になった[[本堂茂親]]が志筑藩の領主となって、正保二年([[1645年]])ここに陣屋を構えて[[廃藩置県]]まで[[本堂氏]]十二代が治めた。また、[[幕末]]に活躍する[[新撰組]]隊士・のち[[御陵衛士]]の[[伊東甲子太郎]](鈴木大蔵)、[[鈴木三樹三郎]](三木三郎)兄弟は、この藩の脱藩者である。
'''志築藩'''(しずくはん)は、[[常陸国]]の小藩。 慶長七年([[1603年]])[[佐竹氏]]の国替に伴い、[[出羽国]]([[秋田県]][[美郷町 (秋田県)|美郷町]])より当地へ移封になった[[本堂茂親]]が志筑藩の領主となって、正保二年([[1645年]])ここに陣屋を構えて[[廃藩置県]]まで[[本堂氏]]十二代が治めた。また、[[幕末]]に活躍する[[新撰組]]隊士・のち[[御陵衛士]]の[[伊東甲子太郎]](鈴木大蔵)、[[鈴木三樹三郎]](三木三郎)兄弟は、この藩の脱藩者である。
[[Category:藩|しすくはん]]

2005年6月20日 (月) 12:51時点における版

志築藩(しずくはん)は、常陸国の小藩。 慶長七年(1603年佐竹氏の国替に伴い、出羽国秋田県美郷町)より当地へ移封になった本堂茂親が志筑藩の領主となって、正保二年(1645年)ここに陣屋を構えて廃藩置県まで本堂氏十二代が治めた。また、幕末に活躍する新撰組隊士・のち御陵衛士伊東甲子太郎(鈴木大蔵)、鈴木三樹三郎(三木三郎)兄弟は、この藩の脱藩者である。