「パンアメリカン航空202便墜落事故」の版間の差分

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以上の機体の状況から、202便が夜明け前の巡航中に空中分解して墜落したと推定された。まず第二エンジンのプロペラに異常振動が起こりエンジンが崩壊し、それを引き金に機体に異常振動が起こり、[[水平尾翼]]の一部が脱落し、エレベータが上向きになり仰角が増大した。そのため主翼にかかる上向きの力に左主翼が耐えきれず切断して脱落した。さらに残された機体も左主翼が消失したため機首を下げる力と尾翼からの機首を上げる力が衝突し、機体尾部が引き裂かれて空中分解して墜落した。
以上の機体の状況から、202便が夜明け前の巡航中に空中分解して墜落したと推定された。まず第二エンジンのプロペラに異常振動が起こりエンジンが崩壊し、それを引き金に機体に異常振動が起こり、[[水平尾翼]]の一部が脱落し、エレベータが上向きになり仰角が増大した。そのため主翼にかかる上向きの力に左主翼が耐えきれず切断して脱落した。さらに残された機体も左主翼が消失したため機首を下げる力と尾翼からの機首を上げる力が衝突し、機体尾部が引き裂かれて空中分解して墜落した。


なお、この第二エンジンを崩壊させたプロペラの異常振動の原因であるが、プロペラブレードの設計ミスが原因であると推測された。それはボーイング377が、[[空冷エンジン|空冷]]四重[[星型エンジン|星型]]28気筒で、71,450cc の排気量から 3500 馬力を搾り出す[[プラット・アンド・ホイットニー R-4360]]-B6 「ワスプ・メジャー」という、最大級のレシプロエンジンを搭載しながら、プロペラはそれよりも馬力が低いエンジンを想定したものを多少強化した程度であり、プロペラ内部が空洞(中空)のタイプであった。そのため、エンジンが生み出す推進力に対して耐え切れずに破断し、エンジン崩壊を招いたことが直接の原因とされた。
なお、この第二エンジンを崩壊させたプロペラの異常振動の原因であるが、プロペラブレードの設計ミスが原因であると推測された。それはボーイング377が、[[空冷エンジン|空冷]]四重[[星型エンジン|星型]]28気筒で、71,450cc の排気量から 3500 馬力を搾り出す[[プラット・アンド・ホイットニー R-4360]]-B6 「ワスプ・メジャー」という、最大級のレシプロエンジンを搭載しながら、プロペラはそれよりも馬力が低いエンジンを想定したものを多少強化した程度であり、プロペラ内部が空洞(中空)のタイプであった。そのため、エンジンが生み出す推進力に対して耐え切れずに破断し、エンジン崩壊を招いたことが直接の原因とされた。


しかしアメリカ連邦民間航空局(CAB)ボーイング377のレシプロエンジンに装着されていた中空式のプロペラを、ソリッドタイプ(中実、ムク)のプロペラに変更するよう勧告を出したのは、3年後に再びボーイング377が飛行中にプロペラを飛散させる事故を起こした後であった。また、同時期に就航した[[DC-7]]も含め、大型レシプロ旅客機はエンジンの複雑な構造を原因とするエンジントラブルが多かった。そのためパンアメリカン航空のボーイング377は、その後もエンジントラブルで不時着水や墜落する事故を起こしている。
しかしアメリカ連邦民間航空局(CAB)ボーイング377のレシプロエンジンに装着されていた中空式のプロペラを、ソリッドタイプ(中実、ムク)のプロペラに変更するよう勧告を出したのは、3年後に再びボーイング377が飛行中にプロペラを飛散させる事故を起こした後であった。また、同時期に就航した[[DC-7]]も含め、大型レシプロ旅客機はエンジンの複雑な構造を原因とするエンジントラブルが多かった。そのためパンアメリカン航空のボーイング377は、その後もエンジントラブルで不時着水や墜落する事故を起こしている。


==関連項目==
==関連項目==

2008年10月12日 (日) 12:02時点における版

パンアメリカン航空 202便
出来事の概要
日付 1952年4月29日
概要 プロペラの設計ミスで空中分解
現場 ブラジルパラ郡南東部
乗客数 41
乗員数 9
負傷者数 0
死者数 50
生存者数 0
機種 ボーイング377ストラトクルーザー
運用者 パンアメリカン航空(PAN AM)
機体記号 N1039V
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パンアメリカン航空202便墜落事故(Pan American World Airways Flight 202)とは、ボーイング377ストラトクルーザー旅客機ブラジル奥地に墜落した航空事故である。後に事故はプロペラの設計ミスが引き金となって機体破壊が発生したものと判明した。

事故の概要

1952年4月28日パンアメリカン航空202便はアルゼンチンブエノスアイレスを出発し、途中ウルグアイモンテビデオ、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロトリニダードトバコポート・オブ・スペインを経由してアメリカ合衆国ニューヨーク行きとして運航されていた。

202便は当時パンアメリカン航空の豪華旅客機として有名であったボーイング 377 ストラトクルーザー機体記号:N1039V)で運航されており、当日運航便であったN1039V機には「クリッパー・グッドホープ」のシップネームが付けられていた。

4月29日午前3時06分(以下世界標準時間)にリオ・デ・ジャネイロのガレオン国際空港を離陸し、北北西に針路を向けて、次の経由地であったポート・オブ・スペインに10時間30分後に着陸する、有視界飛行によるフライトプランであった。午前6時16分にアマゾンにあるバレリアス附近の位置通報地点で航空管制に対し「現在14,500フィートを巡航中、次の位置通報地点カロリナは午前7時45分に通過予定」と報告したのを最後に消息を絶った。202便を最期に目撃したのはフォルモサ(Formosa)とサンフランシスコ(Saő Francisco)という村の住民で、最期の報告が行われた時間であった。証言によれば202便は通常の飛行をしていたという。

202便が消息を絶ってから、ブラジル海軍は海上を捜索するとともに、ブラジル空軍とアメリカの空軍・海軍機による大規模な捜索が行われ、5月1日になってリオデジャネイロから北北西約1600km、アマゾン川河口にあるベレンから南に1050km離れたパラ郡南東部のアマゾン熱帯雨林に墜落した202便の残骸を発見した。この事故で運航乗務員5名、客室乗務員4名、乗客41名の合せて50名全員の死亡が確認された。後に墜落したのは午前6時40分(現地時間午前3時40分)ごろと推定された。

事故調査

202便が墜落した地点は予定された航路下であったが、現地の地形は複雑であり、附近の川も小さかったため、飛行艇による搬出も不可能であった(当時は現在ほどヘリコプターが発達していなかったため)。またアメリカ軍による落下傘部隊投入も、生存者がいないことや地形のため、機体や遺体の搬出は難しいとして断念された。そのため、調査隊を陸路派遣することになった。

事故調査団が40マイル(約60km)まで飛行艇で向かい、そこから陸路で墜落現場に到着したのは5月16日であった。しかしこの調査隊は途中で7名以外は引き返した上、水や食料が欠乏し人手不足のため撤退を余儀なくされた。そのため、最初の調査団は、搭乗者全員が死亡していたこと、そして202便の残骸は、おそらく原住民が衛生のために火をつけたと見られる火事で胴体が焼失したことを確認しただけであった。

大幅に人員と装備を増強した第二次調査団が墜落現場に入ったのは事故から4か月経った8月15日であった。そこで202便の残骸が大きく3つに分かれて墜落していることを発見した。第二エンジン附近の主翼、反対側の左翼主翼、胴体に分かれていた。なお第二エンジンとプロペラは発見されなかったが、そのことが最初に機体から脱落した証拠とされた。

事故原因

以上の機体の状況から、202便が夜明け前の巡航中に空中分解して墜落したと推定された。まず第二エンジンのプロペラに異常振動が起こりエンジンが崩壊し、それを引き金に機体に異常振動が起こり、水平尾翼の一部が脱落し、エレベータが上向きになり仰角が増大した。そのため主翼にかかる上向きの力に左主翼が耐えきれず切断して脱落した。さらに残された機体も左主翼が消失したため機首を下げる力と尾翼からの機首を上げる力が衝突し、機体尾部が引き裂かれて空中分解して墜落した。

なお、この第二エンジンを崩壊させたプロペラの異常振動の原因であるが、プロペラブレードの設計ミスが原因であると推測された。それはボーイング377が、空冷四重星型28気筒で、71,450cc の排気量から 3500 馬力を搾り出すプラット・アンド・ホイットニー R-4360-B6 「ワスプ・メジャー」という、最大級のレシプロエンジンを搭載しながら、プロペラはそれよりも馬力が低いエンジンを想定したものを多少強化した程度であり、プロペラ内部が空洞(中空)のタイプであった。そのため、エンジンが生み出す推進力に対して耐え切れずに破断し、エンジン崩壊を招いたことが直接の原因とされた。

しかしアメリカ連邦民間航空局(CAB)がボーイング377のレシプロエンジンに装着されていた中空式のプロペラを、ソリッドタイプ(中実、ムク)のプロペラに変更するよう勧告を出したのは、3年後に再びボーイング377が飛行中にプロペラを飛散させる事故を起こした後であった。また、同時期に就航したDC-7も含め、大型レシプロ旅客機はエンジンの複雑な構造を原因とするエンジントラブルが多かった。そのためパンアメリカン航空のボーイング377は、その後もエンジントラブルで不時着水や墜落する事故を起こしている。

関連項目

参考文献

  • 藤田日出男 『あの航空機事故はこうして起きた』新潮社 2005年
  • デビッド・ゲロー 「航空事故」(増改訂版) イカロス出版 1997年

外部リンク