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[[2000年]]12月に開催された[[女性国際戦犯法廷]]で国際実行委員会共同代表の1人となり、日本側主催者の代表となった。
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[[テレビ朝日]]『[[朝まで生テレビ!]]』(1998年[[10月30日]]放送分)において、日本軍が中国で残虐行為をしたという自説を展開した後、司会者の[[田原総一]]により彼女の父が陸軍で中国での作戦に参加していたことを問われると、兵隊ではあるがキリスト教の牧師であるので、軍隊の中でこっそりハンストなどをおこなった、殴るのではなく殴られていた、通信隊に移ったので悪い事はしなかったなどと主張し、父親だけは残虐行為はしていないと述べたため、他のパネリストから失笑を買った。この時の映像は、数多く残されており、今でも閲覧が比較的容易にできる。
[[テレビ朝日]]『[[朝まで生テレビ!]]』(1998年[[10月30日]]放送分)において、日本軍が中国で残虐行為をしたという自説を展開した後、司会者の[[田原総一]]により彼女の父が陸軍で中国での作戦に参加していたことを問われると、兵隊ではあるがキリスト教の牧師であるので、軍隊の中でこっそりハンストなどをおこなった、殴るのではなく殴られていた、通信隊に移ったので悪い事はしなかったなどと主張し、父親だけは残虐行為はしていないと述べたため、他のパネリストから失笑を買った。この時の映像は、数多く残されており、今でも閲覧が比較的容易にできる。


また、同番組において、パネリストの[[金美齢]]と議論が白熱した際、「あの、でもね、キムさん…」と呼びかけ、金美齢から 「わたしの名前は、"きん"です。」と抗議された事が知られている。
また、同番組において、パネリストの[[金美齢]]と議論が白熱した際、「あの、でもね、キムさん…」と呼びかけ、金美齢から 「わたしの名前は、"きん"です。」と抗議された事が知られている。

2008年7月4日 (金) 13:58時点における版

松井 やより(まつい やより、1934年4月12日 - 2002年12月27日)はジャーナリストフェミニスト。本名は松井耶依。

父の平山照次は牧師で、東京都渋谷区東京山手教会を創立した。本名の「耶依」もキリスト教に由来する。

人物

1961年東京外国語大学英米科を卒業して朝日新聞社に入社。社会部記者として福祉、公害、消費者問題、女性問題などを取材し、立川支局長、編集委員から1981~85年シンガポール・アジア総局員。1994年朝日新聞社定年退職。

朝日新聞社在職中の1977年に「アジア女たちの会」を設立し、退職後の1995年アジア女性資料センターを、1998年VAWW-NETジャパンを設立して代表となる。朝日時代から上智大学千葉大学日本福祉大学日本女子大学琉球大学の非常勤講師、横浜国立大学大学院の客員教授を務めた。

2000年12月に開催された女性国際戦犯法廷で国際実行委員会共同代表の1人となり、日本側主催者の代表となった。

テレビ朝日朝まで生テレビ!』(1998年10月30日放送分)において、日本軍が中国で残虐行為をしたという自説を展開した後、司会者の田原総一朗により彼女の父が陸軍で中国での作戦に参加していたことを問われると、兵隊ではあるがキリスト教の牧師であるので、軍隊の中でこっそりハンストなどをおこなった、殴るのではなく殴られていた、通信隊に移ったので悪い事はしなかったなどと主張し、父親だけは残虐行為はしていないと述べたため、他のパネリストから失笑を買った。この時の映像は、数多く残されており、今でも閲覧が比較的容易にできる。

また、同番組において、パネリストの金美齢と議論が白熱した際、「あの、でもね、キムさん…」と呼びかけ、金美齢から 「わたしの名前は、"きん"です。」と抗議された事が知られている。

2002年10月、渡航先のアフガニスタンにて体の不調を感じ急遽帰国、重度の肝臓ガンと診断され、ガンであることを公表したが、2ヶ月半の闘病後に死去。葬儀は、同年12月30日に東京山手教会で行われた。

著書

単著

  • 『女性解放とは何か』未来社、1975年
  • 『人民の沈黙』すずさわ書店、1980年
  • 『魂にふれるアジア』 朝日新聞社、1985年
  • 『女たちのアジア』岩波書店、1987年
  • 『アジア・女・民衆』新幹社、1988年
  • 『市民と援助』岩波書店、1990年
  • 『アジアに生きる子どもたち』労働旬報社、1991年
  • 『魂にふれるアジア』朝日新聞社、1992年
  • 『アジアの観光開発と日本』新幹社、1993年
  • 『日本を問うアジア』部落解放研究所、1994年
  • 『アジア・女性・子ども』NCCキリスト教アジア資料センター、1995年
  • 『女たちがつくるアジア』岩波書店、1996年
  • 『北京で燃えた女たち』岩波書店、1996年
  • 『アジアの女たち』旬報社、1998年
  • 『グローバル化と女性への暴力』インパクト出版会、2000年
  • 『若い記者たちへ 松井やよりの「遺言」』樹花舎、2003年
  • 『愛と怒り闘う勇気』岩波書店、2003年

共著・編著

  • 『日本の医療. 5』(朝日新聞社編)朝日新聞社、1973年
  • 『講座おんな. 2』(吉武輝子ほかとの共著)筑摩書房、1973年
  • 『新国際秩序と平和』(日本平和学会編集委員会編)早稲田大学出版部、1986年
  • 『アジアから来た出稼ぎ労働者たち』(内海愛子と共編)明石書店、1988年
  • 『NGO,ODA援助は誰のためか』(R.ルプレヒトと共編)明石書店、1992年
  • 『フェミニズムはだれのもの?』(共著)増進会出版社、1996年
  • 『日本のお父さんに会いたい』(編著)岩波書店、1998年
  • 『あしたを拓く女たち』(監修)アジア女性資料センター、1998年
  • 『地球をめぐる女たちの反戦の声』(編著)明石書店、2001年
  • 『女性国際戦犯法廷の全記録. 1』(編著)緑風出版、2002年
  • 『女性国際戦犯法廷の全記録. 2』(編著)緑風出版、2002年
  • 『20人の男たちと語る性と政治』(編著)御茶の水書房、2002年

関連項目

外部リンク