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2008年6月28日 (土) 12:07時点における版
ツヴィ・ヒルシュ・カリシャー(Zwi(英:Zevi) Hirsch Kalischer, 1795年3月24日 ポーゼン管区リッサ Lissa(現レシュノ Leszno)- 1874年10月16日 トールン(トルニ))は、プロシア(ポーランド)のタルムード学者で、ドイツにおけるシオニズム運動の先駆者。
正統派ユダヤ教徒のうちで、旧来のようにひたすらメシアを待つのではなく、積極的にパレスチナへの移住(シオンへの帰還)を実現すべきであると新たに説いた。実行のために1836年の手紙で、知己である二代目アムシェル・ロスチャイルドに、イェルサレムの地を時のオスマン・トルコ帝国の君主マフムト2世から買い取るよう提案した。
1860年トルン[現ポーランドのヴィスワ川流域の都市。ワルシャワの北西。]にある自宅で集会を開き、それに基づいて1862年に出された「シオンを求めて」は、同年出版されたモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム」と共に、シオニズム運動の成立に大きな影響を与えた。翌1863年には、「パレスチナへのユダヤ人の殖民のための中央委員会」を設立。