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'''ニコライ・プラトノヴィッチ・パトルシェフ'''('''{{Lang|rus|Николай Платонович Патрушев}}'''、'''Nikolai Platonovich Patrushev'''、 [[1951年]][[7月11日]] - )は、[[ロシア]]の[[政治家]]。[[連邦保安庁|ロシア連邦保安庁]](FSB)長官。[[上級大将]]。[[シロキ]]の有力者の一人。[[ロシア連邦英雄]]。
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==経歴==
1951年7月11日、[[レニングラード]](現在の[[サンクトペテルブルク]])に生まれる。[[小学校]]時代の同級生に内相、下院議長、与党「[[統一ロシア]]」党首を歴任した[[ボリス・グルイズロフ]]がいる。[[1974年]]、レニングラード造船大学を卒業する。大学卒業後の[[1975年]]からソ連国家保安委員会([[ソ連国家保安委員会|KGB]])の要員となる。KGB高等学校、特技向上課程を修了し、レニングラード市及び同州のKGB支部において、初級作戦係、市班長、地区課副課長、密輸・汚職対策課長として勤務する。
1951年7月11日、[[レニングラード]](現在の[[サンクトペテルブルク]])に生まれる。[[小学校]]時代の同級生に内相、下院議長、与党「[[統一ロシア]]」党首を歴任した[[ボリス・グルイズロフ]]がいる。[[1974年]]、レニングラード造船大学を卒業する。大学卒業後の[[1975年]]からソ連国家保安委員会([[ソ連国家保安委員会|KGB]])の要員となる。KGB高等学校、特技向上課程を修了し、レニングラード市及び同州のKGB支部において、初級作戦係、市班長、地区課副課長、密輸・汚職対策課長として勤務する。


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==パーソナル==
==パーソナル==

妻帯、2児を有する。法学科学博士。ロシア連邦英雄の称号、「武勲に対する」勲章、メダル7個を有する。
妻帯、2児を有する。法学科学博士。ロシア連邦英雄の称号、「武勲に対する」勲章、メダル7個を有する。


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{{先代次代|ロシア連邦保安庁長官|[[1999年]] - |[[ウラジーミル・プーチン]]|}}
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2008年6月8日 (日) 05:51時点における版

ニコライ・プラトノヴィッチ・パトルシェフНиколай Платонович ПатрушевNikolai Platonovich Patrushev、 1951年7月11日 - )は、ロシア政治家ロシア連邦保安庁(FSB)長官。上級大将シロヴィキの有力者の一人。ロシア連邦英雄

経歴

1951年7月11日、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に生まれる。小学校時代の同級生に内相、下院議長、与党「統一ロシア」党首を歴任したボリス・グルイズロフがいる。1974年、レニングラード造船大学を卒業する。大学卒業後の1975年からソ連国家保安委員会(KGB)の要員となる。KGB高等学校、特技向上課程を修了し、レニングラード市及び同州のKGB支部において、初級作戦係、市班長、地区課副課長、密輸・汚職対策課長として勤務する。

ソ連崩壊後は、KGBの解体を受けて、ロシア保安省(MB)に移り、1992年カレリア共和国保安相に就任する。1994年からモスクワ勤務。ロシア連邦防諜庁(FSK)内査局長、FSB組織・人事業務部組織監察局長。1998年8月、ロシア大統領府副長官兼監督総局長。同年10月、FSB経済保安部長を歴任した。

1999年8月9日エリツィンがFSB長官兼安全保障会議書記だったプーチンを首相代行(後に首相)に任命したため、同日プーチンの後任として、FSB長官代行、8月16日に正式に長官に就任した。以後、プーチン政権発足以来、同庁長官として、チェチェンなどに関するテロ事件に対応している。2001年大将となる。プーチンに対し絶対的な忠誠心を持ち、プーチンから全幅の信頼を寄せられていると言われる。

パーソナル

妻帯、2児を有する。法学科学博士。ロシア連邦英雄の称号、「武勲に対する」勲章、メダル7個を有する。

外部リンク

先代
ウラジーミル・プーチン
ロシア連邦保安庁長官
1999年 -
次代