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2008年5月8日 (木) 05:05時点における版
金砂城の戦い(きんさじょうのたたかい)とは治承・寿永の乱のうちの一つで、源頼朝率いる軍と常陸佐竹氏との戦いである。
概要
治承4年(1180年)10月、富士川の戦いに勝利した源頼朝は敗走する平家を追撃すべしと命じるが、上総広常、千葉常胤、三浦義澄らが、まず佐竹氏を討つべきと主張した。その意見を取り入れた頼朝は平家追撃を諦め佐竹討伐に向かうことにする。
10月27日、頼朝は軍勢を引き連れ佐竹氏のいる常陸に向かって出発する。11月4日頼朝は常陸国府に入る。そこで軍議が開かれた。
まず、佐竹一族の一人佐竹義政が謀略により暗殺された。次に金砂城にこもる佐竹秀義らに対して総攻撃が仕掛けられる。佐竹氏の守りは強固であることを見た頼朝軍は翌5日金砂城には入城していなかった秀義の叔父佐竹義季を味方につくよう勧誘する。義季は上総広常の薦めに従い、頼朝軍に加わって金砂城を攻撃した。城のつくりに詳しい義季の案内で金砂城は攻め落とされた。