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* [[2004年]] [[第76回選抜高等学校野球大会|第76回]] 今大会から準々決勝を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。決勝戦当日は雨天だったため開始時刻を大幅に遅らせ決勝戦史上初のナイターとなる。
* [[2004年]] [[第76回選抜高等学校野球大会|第76回]] 今大会から準々決勝を選手の健康負担を理由に「1日2試合ずつ、2日間の日程」で開催。決勝戦当日は雨天だったため開始時刻を大幅に遅らせ決勝戦史上初のナイターとなる。
* [[2005年]] [[第77回選抜高等学校野球大会|第77回]] 天候を理由に、[[第77回選抜高等学校野球大会#概要|大会第0日目]]が設定された。[[香川県立高松高等学校|高松]]が史上最高年ブランクで出場(72年ぶり)。
* [[2005年]] [[第77回選抜高等学校野球大会|第77回]] 天候を理由に、[[第77回選抜高等学校野球大会#概要|大会第0日目]]が設定された。[[香川県立高松高等学校|高松]]が史上最高年ブランクで出場(72年ぶり)。
* [[2006年]] [[第78回選抜高等学校野球大会|第78回]] 新潟県勢([[日本文理高等学校|日本文理]]が勝利を挙げたのを最後に未勝利県が消える。
* [[2006年]] [[第78回選抜高等学校野球大会|第78回]] 新潟県[[日本文理高等学校|日本文理]]が勝利を挙げ未勝利県が消える。
* [[2007年]] [[第79回選抜高等学校野球大会|第79回]] 今大会から本塁周辺に[[ダートサークル]]のラインが追加([[高校野球]]の公式戦では初)。
* [[2007年]] [[第79回選抜高等学校野球大会|第79回]] 今大会から本塁周辺に[[ダートサークル]]のラインが追加([[高校野球]]の公式戦では初)。
*[[2008年]] [[第80回選抜高等学校野球大会|第80回]] 今大会では右翼側に「第80回記念選抜高等学校野球大会」、「今ありて 未来も扉を開く 主催:日本高等学校野球連盟・毎日新聞社」、左翼側には「主催:日本高等学校野球連盟・毎日新聞社」と書かれている。
*[[2008年]] [[第80回選抜高等学校野球大会|第80回]] 今大会では右翼側に「第80回記念選抜高等学校野球大会」、「今ありて 未来も扉を開く 主催:日本高等学校野球連盟・毎日新聞社」、左翼側には「主催:日本高等学校野球連盟・毎日新聞社」と書かれている。

2008年4月1日 (火) 11:52時点における版

選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、例年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市阪神甲子園球場で行われる高校野球の大会。センバツと略されることもある。通称「の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」とも。英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。主催は毎日新聞社財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。優勝は紫紺。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。歴代優勝校は、選抜高等学校野球大会歴代優勝校に記述。

概要

出場校の選抜

出場校は、選考委員会によって定められる。一般に、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地域大会(全国10ブロック)がこの大会出場校・並びに補欠校の選考資料となる。また、出場校が最大32校と定めている。そのため、1つのブロックに定められているため確実に1校は選出される東京都北海道を除けば、夏の高校野球とは違い、出場校が1校もない府県は毎回生じる。逆に、同一府県から2校出ることもあるのが夏の大会と違う点の1つでもある。

選考会における出場校の決定には、高野連の役員の意思が反映されるため、地域的なバランスを考えた選考、秋の地区大会で初戦敗退だった高校が選ばれるなど、時々首をかしげたくなるような選考が起こる。そしてこれら一連のことが選考後に毎年といっていいほど物議を醸しているのも事実である。「明確な選考基準」を示すことを望む高校野球ファンは多い。

出場校決定後に組み合わせ抽選会を行い、トーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。

一般選考

基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定。ここで出場28校と補欠(各地区につき1、2チーム程度)を選出。 しかし野球と何ら関係のない地域性という選考基準を、商業的理由により採用する事に対して、批判の声が存在する。

  • 北海道: 1
  • 東北: 2
  • 関東(4)・東京(1): 6
  • 東海: 2
  • 北信越: 2
  • 近畿: 6
  • 中国(2)・四国(2): 5
  • 九州: 4

(後述する明治神宮大会枠は除く)

  • 関東・東京、中国・四国の()内は各地区の出場校数。残り1校は両地区を比較した上で選出する。

かつては近畿地区の枠は7校であり、2府4県から1校ずつ選ばれてもさらにもう1校枠があった。そのため近畿のいずれかの府県からは必ず2校選出されていた。

21世紀枠

2001年の第73回大会から設けられる。部員不足などの困難を克服したチームや、他校の模範となるチームを選出。推薦は基本的に各都道府県の秋季新人大会で、参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム。各ブロックから1校ずつ出してもらい、その中で2校(東日本・西日本各1校)を選出。2008年の第80回大会は記念大会で例年より1校増の3校で、「北海道、東北、関東・東京」、「東海、北信越、近畿」、「中国、四国、九州」各1校が選出された。

“他校の模範である事”を根拠に、県内屈指の進学校、学校全体での「朝の読書」推進、「青少年赤十字部」の活動、野球部の地域貢献活動(ボランティア)など、野球そのものとは直接関係のない事象により推薦されるケースがあり、「選考基準が曖昧」という理由により一部から非難の声もある。

21世紀枠出場校一覧
出場校 主な選考理由 結果
2001年 安積(福島) 創立創部ともに県最古であり考える野球の実践をした。 初戦敗退(2回戦)
宜野座(沖縄) 部員全員が地元中学出身で地域貢献を果たす。 ベスト4
2002年 鵡川(北海道) 廃校の危機を乗り越え、希望の星となる。 ベスト16
松江北(島根) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2003年 柏崎(新潟) 豪雪地のハンディを克服。 初戦敗退
隠岐(島根) 離島の過酷な条件を克服。 初戦敗退(2回戦)
2004年 一関一(岩手) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
八幡浜(愛媛) 生徒数大幅減少の中で文武両道を徹底。 初戦敗退
2005年 一迫商業(宮城) 地域密着の活動で過疎の町を勇気づけた。 ベスト16
高松(香川) 県内屈指の進学校。 初戦敗退
2006年 真岡工業(栃木) 地元密着の選手育成。 初戦敗退
金沢桜丘(石川) 県内有数の進学校。 初戦敗退
2007年 都留(山梨) 部活時間確保のため、通常10分の休み時間を7分に短縮。都立三宅高校と避難生活中に合同練習や試合を行った。 初戦敗退
都城泉ヶ丘(宮崎) 県内有数の進学校。狭いグラウンドという悪条件を、工夫を凝らした練習で克服。 ベスト16
2008年 安房(千葉) 創立100年を超える文武両道の進学校。房総半島の南端に位置し、小規模校の多い地元の中学出身者だけでチームを構成。少子高齢化が進む南房総地区を元気づけた。 ベスト32
成章(愛知) 創部100年を誇る県立の進学校。試合会場まで長距離移動する地理的なハンディを乗り越え強豪私立高と接戦を演じた。 ベスト32
華陵(山口) 全校生徒が日本赤十字の会員で、青少年赤十字モデル校の指定を受けている。過去4年間で春秋合わせて中国大会に6回出場。 ベスト16

明治神宮大会

2003年の第75回大会から設けられる。明治神宮大会枠は11月の明治神宮大会優勝校が所属する地域に与えられ、この地域の通常枠が1つ増える形となる。2008年の第80回大会は記念大会で1校増の2枠で、優勝校・準優勝校を出した地区に枠が与えられた。この枠ができ、通常枠の1都道府県2校までが確定した。2008年は1地区で1つの枠を争う。

明治神宮大会枠出場校一覧
出場校 結果
2003年 東邦(愛知) 初戦敗退 (2回戦)
2004年 常葉菊川(静岡) 初戦敗退
2005年 戸畑(福岡) 初戦敗退
2006年 旭川実(北海道) 初戦敗退
2007年 室戸(高知) ベスト8
2008年 1宇都宮南 (千葉) 初戦敗退(2回戦)
2008年 2宇治山田商 (三重) ベスト16

希望枠

2003年の第75回大会から設けられる。 一般選考の補欠校にもセンバツへの「希望」を残す狙いで第75回大会から導入した。 神宮大会枠を得た地区を除く地区の補欠1位校が対象。投手を含めた守備力のデータに従って決める。項目は被塁打、与四死球、失点、失策。明治神宮大会を除く直近4試合で、各項目の1試合9イニング平均値を計算し、順位を得点化。合計がもっとも多い学校が選出される。 希望枠は明治神宮枠以外の地区の補欠出場順位第1位の学校の中から、データを比較の上、守備力に長けているチームを1校選出。ただし東京枠は2枠選出する場合においては除かれる。理由は同一都道府県から出場枠を3校選出を避けるためである。21世紀枠を除く。なおこの枠は、80回大会を最後に撤廃する。

希望枠出場校一覧
出場校 結果
2003年 旭川実(北海道) 初戦敗退(2回戦)
2004年 秋田商(秋田) ベスト8
2005年 三本松(香川) 初戦敗退
2006年 一関学院(岩手) 初戦敗退
2007年 大垣日大(岐阜) 準優勝
2008年 一関学院(岩手) 初戦敗退(2回戦)

1日に割り当てる試合数

  • 1日の試合数は以前は最大4試合で、1994年の第66回大会までは1回戦の2日目-4日目と8日目の準々決勝開催日がその当該日だった。しかし阪神・淡路大震災による交通障害で応援団の来場スケジュール調整が必要なこと、また選手の健康管理面の問題などを考慮し、1995年の第67回大会から4試合日は9日目の準々決勝のみとし、1・2回戦の全開催日の初日-8日目は1日3試合とするようになった。
  • 更に第76回大会(2004年)から大会後半の選手の連戦による疲労を避けるという意味合いで夏の大会と同じように、準々決勝を1日2試合ずつ割り当てることにした。ただし雨天延期などによる日程の過密化で消化しきれない場合は4試合一括開催となる場合あり。よって現在は最大1日3試合まで開催されていることとなる。ただ、10年単位の記念大会となる西暦下一桁8年の年は、36チーム参加のため、一部予め4試合設定の日がある。
  • 第1試合の基本的な開始時間
初日 - 開会式直後の10:20。
3試合開催日 - 9:00。2007年から従来(9:30)より30分繰り上げられた[1]
2試合開催日(主として準々決勝、準決勝) - 11:00。
1試合開催日(主として決勝) - 12:30または13:00。
4試合開催日(日程編成の都合で4試合消化しなくてはいけない場合) - 8:30
  • 2試合以上開催する場合、新聞の組み合わせ発表では「試合時間2時間・練習とグラウンドの整備30分」と仮定して、3試合日の場合「(1)9:00、(2)11:30、(3)14:00」とそれぞれ掲載されているが、あくまでも目安であり、実際には次の試合はグラウンド整備や事前練習の関係もあり、原則として前の試合終了から30分程度の時間を置いてから行う(早く終了した場合は新聞等発表の時刻より繰り上げられる場合もある)。なおかつては4試合開催日の場合で「(1)8:00、(2)10:20、(3)12:40、(4)15:00」を目安として、前の試合終了から20分後に次の試合を行っていた。

試合

DH制(指名打者)は採用しない。

試合は9回で同点の場合には延長戦。ただし延長15回でも決着しない場合には、翌日か翌々日再試合。コールドゲームは得点差では認められておらず、雨天などの天災で7回以降の均等回を消化した場合のみに採用される。改革した例に1999年12月、高野連全国理事会で延長18回制を15回制に変更したことがあげられる。

審判員は球審、3人の塁審、予備審判2人と控え審判員1人の計7人。ただし、ナイター下では2人の予備審判員が外審として試合に加わる。

大会歌・その他

  • 1931年に初代大会歌(作詞・長谷川海太郎、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定。しかし歌詞に英語が含まれていたため1年で廃止。
  • 1934年に2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」(作詞・薄田泣菫、作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)が制定され、1992年まで使われた。
  • 1993年からの3代目大会歌は阿久悠(故人)の作詞、谷村新司が作曲した「今ありて」が採用されている。
  • また1955年から現在に至るまで、連続的に神戸山手女子高等学校が大会歌の合唱を担当している。
  • 国旗、大会旗、プラカードを持つのはボーイスカウト日本連盟所属のベンチャースカウト(高校生)であったが、2008年の80回大会から各出場校の生徒がプラカードを持つことになった。なお、甲子園球場の所在地は兵庫県だが、プラカードは大阪連盟所属のスカウトが持っていた。プラカードは2008年の80回大会では「全国高校書道コンクール」で上位に入賞した高校生が地域ごとに出場校の文字を書き入れるものに変更される[2]
  • 1999年より、開会式の国旗掲揚時に「全日本学生音楽コンクール」(毎日新聞主催)声楽部門上位入賞者による国歌独唱が行われている。

センバツ球史に残る名勝負

歴史

エピソード

入場行進曲における流行曲使用

第34回大会(1962年)以降、入場行進曲においては前年の流行曲が使われることになった。1曲目は坂本九の『上を向いて歩こう』。

選抜高等学校野球大会入場行進曲を参照

近畿以外の地域での全国大会開催

1924年の第1回大会だけ名古屋市山本=八事球場で開いた理由として、当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し、優勝は8回中5回だったため、主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。なお、開催地の風土に関しては、本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は、2校が初戦敗退、1校が2回戦敗退という結果になっている。

主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて、全国各地で開催する構想だったが、翌年の第2回大会以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。夏の大会における甲子園以外の開催は、豊中球場、鳴尾球場西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。

初の引き分け再試合

春夏通して初めての引き分け再試合は山本球場で開催された第1回大会の1回戦、横浜商 - 市岡中の試合。 当時の制度は引き分けという制度が無く、勝負がつくまで試合を続けるというものだった。しかし山本球場には照明設備が無かったため、延長14回終了後に日没による引き分けとなった。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 R
横浜商 1 0 4 3 4 0 0 0 1 0 0 0 0 0 13
市岡中 0 7 0 2 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0 13
  • 市岡中 21-13 横浜商(再試合)

前年度優勝校の無条件出場

第1回大会から1932年の第9回大会までは、前年度優勝校は地方大会に出場しなくても、無条件で全国大会に出場することができた。1933年の第10回大会からこの制度は廃止されたが、優勝校は次年度全国大会に出場し続けていた。1942年の大会が戦争で中止になったのを除き、優勝校が次年度全国大会に出場できなかったのは、1948年の第12回大会で優勝した京都一商(京都)が最初である。

優勝校のアメリカ遠征

1927年の第4回大会から、主催の大阪毎日新聞社が野球の本場メジャーリーグの見学や日米親善という趣旨により、この年から優勝校のアメリカ遠征が行われるようになった。この制度によってアメリカに遠征した優勝校は和歌山中(和歌山)、関西学院中(兵庫)、第一神港商(兵庫)、広島商(広島)の4校。

アメリカ遠征は夏休みを利用して行い、7月中旬から9月中旬までの長期に渡り、メジャーリーグの試合見学や地元高校との親善試合も行った。夏の大会開催中に主力選手がアメリカ遠征に行っているため、春の優勝校は控え選手で夏の大会予選を戦うことになった。その中で1927年の春の優勝校だった和歌山中は控え選手で夏の大会の予選を制し、全国大会に出場した。

1932年、外国チームとの試合を禁止する野球統制令を政府が出したことにより、それ以降は優勝校のアメリカ遠征は中止になった。

なお、春の優勝校のアメリカ遠征に関しては、春の大会を主催していた毎日新聞社が、朝日新聞社が主催していた夏の大会の興味をそぐ目的があったという陰謀説も存在する。

同県から4校の出場

1933年の第10回大会では出場校32校中、海草中、和歌山商、海南中、和歌山中と和歌山県から4校出場していた。また、1937年の第14回大会では出場校20校中、中京商、東邦商、享栄商、愛知商と愛知県から4校出場している。

なお現在では、通常枠での同一都道府県からの出場は2校までと決められている。21世紀枠を含めての3校出場は可能だが、地域性の問題もあるため選考されるのは非常に難しいと推測される。2001年の第73回大会には茨城県から水戸商常総学院藤代の3校が選出された例もある。通常秋季関東大会は1県2校出場だが開催県のみ3校出場で開催県だった茨城県の3校がすべてベスト4に入ったため選出された。

優勝旗

  • 選抜大会の優勝旗は「大紫紺旗」と称されている。これは紫に近い色の糸を使っているためで、赤い糸を使っている夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝旗は「大深紅旗」と称されている。現在の旗は2代目で、第35回記念大会が行われた1963年に第1回大会から使用されていた初代に代わり新調されたもの。初代と現在の旗との相違点は以下の3点。
  1. 大会名 - 初代は「全国選抜中等学校野球大会」に対し、現在は「全国選抜高等学校野球大会」。
  2. 主催新聞社名 - 初代は「大阪毎日新聞社」に対し、現在は「毎日新聞社」になっている。1943年「東京日日新聞」と「大阪毎日新聞」が題号を「毎日新聞」に統一した事により、商号も毎日新聞社に変更したため。
  3. VICTORY」の文字 - 初代は染めぬきだが、現在は金の糸を使って織られており、少し文字が大きくなっている。
  • 初代の優勝旗を最後に手にしたのは作新学院高等学校(栃木)で、現在の優勝旗を最初に手にしたのは下関商(山口)だった。
  • 春の全国大会には準優勝旗が存在する。夏の全国大会には存在しない。色は夏の優勝旗と同じ深紅である。

連覇

本大会においての連覇は現在2例ある。

春の大会の連覇
開催年 学校 連覇 備考
6 1929年 第一神港商(兵庫) 2連覇 優勝校のアメリカ遠征2連続
7 1930年
53 1981年 PL学園(大阪) 2連覇 学制改革後の連覇
54 1982年

春夏連覇、夏春連覇は高校野球を参照されたい。

セレモニーでの夏との相違点

春・夏とも高校生が担当するようになる以前の開・閉会式の司会は、夏はウグイス嬢だったが春は男性職員だった。球場もしくは高野連関係者が担当したと推測される。

開会式の選手入場での学校紹介は、夏は「(地区名)代表、○○高校。」だが、春は「○○高校、(所在都道府県名)、○年ぶり○回目(○年連続○回目、初出場)。」と出場回数を紹介されるのが特徴。

また、開会式では国旗・大会旗のみならず、前年度優勝校の校旗を同校校歌の吹奏と共に掲揚するのも当大会の特徴となっている(夏は未実施)。なお、各旗の掲揚については全出場校の主将がバックスクリーンに集合し実施する夏に対し、当大会では大会の係員が行っている(どの団体の関係者かは不明)。

表彰式の演奏曲は、夏はスタンダードな「見よ、勇者は帰る」(ヘンデル作曲)が使用されるが、春は大会オリジナルの「栄光」(永野慶作作曲)が用いられている。導入のきっかけは1973年オイルショックである。ユダヤ戦士を称える「見よ、勇者は帰る」を使うとアラブ諸国から石油を売ってもらえなくなると思い、この曲が作成された。急ごしらえで作成された「栄光」だが、使用後の評価が高かったため、それ以後継続して使われ続けている。ちなみに、同じ毎日新聞主催(日本野球連盟と共催)の社会人野球日本選手権大会の開・閉会式でも使用されている。

なお、開会式の選手退場は、夏は普通に行進で退場するが、春は駆け足で退場する。

選抜に関する争い

1969年の秋の東京大会において帝京商工高等学校(現・帝京大学高等学校)が準優勝し、東京都高野連も翌年1970年の第42回選抜高等学校野球大会に推薦した。しかし、高野連の選出委員会は帝京商工の火事による資料の喪失から戦力分析が不可能との理由で帝京商工を選出しなかった。

帝京商工はこれを不満として1970年2月20日に高野連を相手取り代表決定の効力停止の仮処分大阪地方裁判所に申し立てた。これに対して東京都高野連が本校の対外試合を禁止する制裁を決定。さらにこの制裁に対して本校が東京地方裁判所に仮処分を申請するなどの泥仕合となった。

この際に帝京商工側が「選抜落選や試合禁止は野球選手としての就職が不利になる」としたことから高校野球においてされたことからそのような考え方の是非について議論を巻き起こした。3月9日には対外試合禁止が撤回され、3月12日には大阪地方裁判所で申立てが却下され、続いて東京地方裁判所に対する申立ても取り下げられ問題は決着した。なお、第42回選抜高校野球大会には、東京都からは、東京大会優勝の日大三高と都大会4位の堀越高等学校が出場した。

決勝進出校のその後

優勝校

  • 選抜で優勝した学校が夏の甲子園に出場できなかったのは、現時点では2000年の東海大相模(夏は県大会ベスト8)が最後。2001年の常総学院から選抜優勝校は毎年夏の甲子園にも、地方大会を勝ち上がり出場している。

準優勝校

  • 2006年の清峰以降、夏の甲子園にも、地方大会を勝ち上がり出場している。

各種記録

高校野球全国大会の記録一覧を参照。

中継

NHK

  • 1954年の第26回大会から放送されている。以前は、ニュースなどによる中断で総合テレビで中継できない場合は原則NHKテレビによる中継は放送されなかったが、1975年の第47回大会の準々決勝・準決勝において総合テレビ教育テレビによるリレー中継を実施したところ好評だったため、同年の夏の大会以降この形でのリレー方式で完全生中継を行っている。地上デジタル放送でも同様にリレー方式をとるため、大会期間中マルチ編成は行わないが、イベントリレー機能を利用してリレー時の案内を実施している。
  • デジタル衛星ハイビジョンでも全試合中継。BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃から続いており、2007年まで大相撲開催期間中は16:00で中継を終了していた(2008年は18:00まで放送枠を取っている。ハイビジョン放送での大相撲本場所生中継が2007年春場所で廃止されたために伴う)。衛星第2は開会式、準々決勝、準決勝、決勝、閉会式のみ放送。東京都小笠原諸島、沖縄県大東島地方の地上波テレビの衛星再送信中継局ができるまでは東京代表と沖縄県代表出場校の試合も放送されていた。
基本的な放送時間帯(3試合日の場合、2008年のケース)
総合テレビ
平日 9:00-11:45、13:05-17:00(最大18:00まで延長)
土曜日 9:00-11:54、13:50-17:00(最大18:00まで延長)
日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
教育テレビ
平日 11:45-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
日曜日 9:30-10:05、11:54-13:05
デジタル衛星ハイビジョン 9:00-18:00(総合テレビがニュースなどのインターバルで中断している時間帯も、中継は中断せずに球場の映像をフィラー的に流している)
ラジオ第1 8:55-11:50、12:15-最終試合終了まで
参考・2006年のケース(3試合日の場合)
総合テレビ
平日 9:25-11:45、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
土曜日 9:25-11:54、13:50-17:30(最大18:00まで延長)
日曜日 10:05-11:54、13:05-17:30(最大18:00まで延長)
教育テレビ
平日 11:45-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
土曜日 11:54-13:50、(18:00-最終試合終了)まで
日曜日 9:30-10:05、11:54-13:05、(18:00-最終試合終了)まで
デジタル衛星ハイビジョン 9:30-17:30(最大19:00まで延長)
ラジオ第1 9:25-11:50、12:15-最終試合終了まで
ただし、大相撲中継国会中継その他重要な事件などで総合テレビ、ラジオ第1、衛星第2で中継が出来ない場合はそれぞれ教育テレビ、FM放送衛星第1で振り替えて中継する。総合テレビとラジオ第1は大相撲期間中は幕内の取り組みが始まる時間帯に合わせて16時台までに放送を一旦切る。(総合テレビの場合は教育テレビへリレーする)FM放送については、原則関西地方と当該試合に地元校が出場する地域のみ。2007年3月25日の能登半島地震でも同様の措置が取られた。ただ、2008年3月22日3月23日の関西地区でのFM放送は中継しなかった。
  • かつては他の野球中継と同様、ラジオ第2で放送されていた。
  • 海外でも準々決勝以降はNHKワールド・プレミアム、決勝・閉会式のみNHKワールドラジオ日本でも放送。
  • BSアナログハイビジョン実用化試験放送の頃は、毎日放送と共同制作となったこともある。実況と解説はNHKが担当・映像は両社のものが混在。なお、当時の番組表ではNHK・TBS共同枠となっていた。
  • 東北地方では、原則プロ野球の生中継はラジオ第1を行うが、2005年~2007年の楽天のシーズン開幕戦の時はまだ選抜高校野球の実施期間のため、ラジオ第1での放送ができず、異例のFM放送になった。2006年は開幕カードが日本ハムVS楽天だったため北海道もこの例に当てはまる。

解説者については、高校野球解説者一覧を参照。

毎日放送

毎日放送(MBS)テレビでは1959年の第31回大会から2002年の第74回大会までは1回戦から決勝戦まで生中継していた。なお、1957年1958年は旧大阪テレビ放送(現・朝日放送)が中継していた。大阪テレビ放送は毎日新聞社、朝日新聞社、朝日放送、そして毎日放送の前身・新日本放送(NJB)との合弁企業だったためである。

初期は完全放送を実施していたが、やがて昼間時には東京局(1975年3月まではNET、同年4月以降はTBS)発の全国ネット番組を編成するようになっていた。しかし、ABCのようなサンテレビ等の近畿圏UHF局経由のリレー形式を取り入れる事は、すでにABCがこれらUHF局と包括的な提携を結んでいたため毎日放送にはできなかった。このため、2003年の第75回記念大会からは準決勝の2試合と決勝戦の生中継だけとなった。途中、JNNニュースを放送するため生中継は一旦中断される。なお、毎日放送系のCATVCS放送のチャンネル「GAORA」は全試合完全生中継している。ただし2007年と2008年は、一部の時間、録画中継だった。この時間、同局は、プロ野球日本ハムが主催するパ・リーグ公式戦を生中継した。

毎日放送テレビ製作の高校野球中継は、東京地区では1959年1962年1964年1969年はNETで、1965年1968年1970年1975年は東京12チャンネル(現・テレビ東京)で多く放送され、特に当時放送番組に窮していた東京12チャンネルでは完全中継を実施したこともあった。名古屋地区では当初東海テレビで、のち名古屋テレビから中京テレビで放送された。いずれも1975年のいわゆる「腸捻転解消」で、毎日放送がTBS系になったことに伴いほとんど放送されなくなった。1978年までは決勝戦のみTBS系で放送された。

近年地方局へのネットは、沖縄代表校登場の際に琉球放送。決勝戦に限れば2001年、仙台育英が進出した際の東北放送2005年、愛工大名電が進出した際の中部日本放送2006年、清峰が進出した際の長崎放送(各局共に14時からの飛び乗り)、2007年、大垣日大が進出した際の中部日本放送(11時58分より)などのケースに留まっている。東北放送は13時からの飛び乗りで、応援実況を実施。担当は石黒新平

中継の協賛スポンサーは長らく十川ゴム松下電器ゼットなどが担当していたが、1990年代前半の数年間はJR西日本グループ各社が冠スポンサーとしてCMを提供していた。地上波の中継が縮小された2003年以後はスポンサーがなくなり、いわゆるパーティシペーションによるスポットCMのみ放映されている。

毎日放送では1990年代まで、平日14時台に生放送の情報番組を編成し、西日本を中心とした一部地域にネットしていたため、開催期間中は以下の番組を番組ネット局向けに裏送りしていた。

MBSラジオでは全試合完全生中継を行い、JRNNRNを通して全国に配信している。[4]また毎日放送のホームページではラジオの実況とMBSのカメラワークを用いたリアルタイムネット中継を実施していたが、2006年の第78回大会からは各イニング終了後に配信される形になった。但し、2008年の第80回大会は準決勝と決勝のみリアルタイムネット中継を再開する。MBSラジオは大会期間中その日の試合終了まで延長放送するため、最悪夜の番組まで影響するケースもある。

中継のエンディングテーマ曲は長年、入場行進曲を採用していたが76回大会を最後に独自のテーマソングを設けている。

中継名は夏のABCとは対照的に「第○○回センバツ」というタイトルである。

なお、深夜にはその日の試合の模様を数々のエピソードなどを交えながら伝えるみんなの甲子園がある。(地上波は全国放送ではなく当日深夜のJNN最終版ニュース明けにMBS大阪ローカルで、また翌朝にはGAORAで第1試合開始前の早朝に全国放映されている)

また民放各局がニュース・スポーツ番組などで高校野球の試合を流すときは、ハイビジョンカメラで中継しているNHKではなく、SDカメラで製作している毎日放送の映像を必ず流す。NHKはハイビジョン映像であっても上にウォーターマークを表示してあるため使用できない。

実況アナウンサーは、MBSタイガースナイターのアナウンサーの項目を参照のこと。

関連項目

脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ 出展:関西8452008年2月15日放送
  3. ^ 恒川直俊 記録で読む甲子園「なぜ誕生した選抜大会 出場校の選抜基準も時代とともに」 asahi.com 2007年3月30日
  4. ^ ただし、JRN親局のTBSラジオでは、1999年以降は中継放送を行っていない。岡山県山陽放送香川県西日本放送では両県でMBSラジオが直接受信可能なため、近年は中継放送を行っていない。さらに以前にはニッポン放送文化放送ラジオ沖縄へ配信されたケースがある。

外部リンク