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'''ジョーン・オブ・ナヴァール'''('''Joan of Navarre''', [[1370年]]? - [[1437年]][[6月10日]])は、[[イングランド]]国王[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の王妃。[[ナバラ王国|ナバラ]]国王[[カルロス2世 (ナバラ王)|カルロス(シャルル)2世]]と王妃フアナ(ジャンヌ、[[フランス王国|フランス]]王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]の娘)の娘。兄は[[カルロス3世 (ナバラ王)|カルロス(シャルル)3世]]。[[フランス語]]名'''ジャンヌ・ド・ナヴァール'''(Jeanne de Navarre) |
'''ジョーン・オブ・ナヴァール'''('''Joan of Navarre''', [[1370年]]? - [[1437年]][[6月10日]])は、[[イングランド]]国王[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の王妃。[[ナバラ王国|ナバラ]]国王[[カルロス2世 (ナバラ王)|カルロス(シャルル)2世]]と王妃フアナ(ジャンヌ、[[フランス王国|フランス]]王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]の娘)の娘。兄は[[カルロス3世 (ナバラ王)|カルロス(シャルル)3世]]。[[フランス語]]名'''ジャンヌ・ド・ナヴァール'''(Jeanne de Navarre) |
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最初の夫は[[ブルターニュ公]]ジャン・ド・モンフォールであった。ヘンリー・オブ・ボリンブロク(後のヘンリー4世)が[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]により追放され、ブルターニュに居をかまえたとき、当時公爵夫人だった彼女を見そめたという。 |
最初の夫は[[ブルターニュ公]][[ジャン4世 (ブルターニュ公)|ジャン・ド・モンフォール]]であった。ヘンリー・オブ・ボリンブロク(後のヘンリー4世)が[[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]により追放され、ブルターニュに居をかまえたとき、当時公爵夫人だった彼女を見そめたという。 |
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1403年、亡夫との間にできた3子をブルターニュに残し、ヘンリーと結婚。王との間に子はできなかった。 |
1403年、亡夫との間にできた3子をブルターニュに残し、ヘンリーと結婚。王との間に子はできなかった。 |
2008年3月22日 (土) 11:27時点における版
ジョーン・オブ・ナヴァール(Joan of Navarre, 1370年? - 1437年6月10日)は、イングランド国王ヘンリー4世の王妃。ナバラ国王カルロス(シャルル)2世と王妃フアナ(ジャンヌ、フランス王ジャン2世の娘)の娘。兄はカルロス(シャルル)3世。フランス語名ジャンヌ・ド・ナヴァール(Jeanne de Navarre)
最初の夫はブルターニュ公ジャン・ド・モンフォールであった。ヘンリー・オブ・ボリンブロク(後のヘンリー4世)がリチャード2世により追放され、ブルターニュに居をかまえたとき、当時公爵夫人だった彼女を見そめたという。
1403年、亡夫との間にできた3子をブルターニュに残し、ヘンリーと結婚。王との間に子はできなかった。
王の没後、妖術に凝ったとして、イングランド南部ペヴンジーに幽閉された。
1437年に亡くなると、カンタベリー大聖堂に眠る夫のそばに埋葬された。