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'''昌原郡'''(チャンウォン=ぐん)は、[[大韓民国]][[慶尚南道]]にかつて存在していた郡。郡域は現在の[[馬山市]]・[[昌原市]]・[[鎮海市]]にあたる。また、[[釜山広域市]][[江西区 (釜山広域市)|江西区]]の加徳島も含む。 |
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[[朝鮮王朝]]時代には[[慶尚道]]、日本統治時代には[[慶尚南道 (日本統治時代)|慶尚南道]]に属した。王朝時代の中心は現在の昌原市義昌洞付近にあったが、近現代において昌原郡庁は馬山に置かれていた。 |
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1980年8月1日に'''義昌郡'''(ウィチャン=ぐん)に改称したのち、1994年12月31日に廃止された。 |
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== 歴史 == |
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[[統一新羅]]時代には良州に属し、屈自郡(のち義安郡)が置かれた。現在の馬山は骨浦県(のち合浦県)と呼ばれて義安郡の属県であったが、高麗時代に義安郡・合浦県は同格の郡県として金州に属した。 |
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[[朝鮮王朝]]時代の1408年、義昌郡(義安郡から改称)と会原県(合浦県から改称)が統合されて'''昌原府'''となることで、昌原の地方官名と地名がうまれた。朝鮮王朝時代を通じて、この行政区は南海に面した要衝として、昌原都護府を経て昌原大都護府に昇格していった。 |
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[[1895年]]、[[甲午改革]]にともなう地方制度改革によって、かつての昌原大都護府の領域には昌原郡・鎮海郡・熊川郡が設置された。[[1899年]]、昌原郡内で馬山港の開港が行われ、馬山が郡の新たな中心となった。昌原郡の郡庁は馬山の日本人居留区である新馬山に建設され、旧昌原邑城は洞事務所<村役場>所在地に転落した。1908年に鎮海郡・熊川郡が昌原郡に併合される。馬山の居留地の地位と大韓帝国自体の地位の変遷にともなう複雑な制度改編のすえ、[[1914年]]に開港地付近の'''馬山府'''と'''昌原郡'''が分離する。郡沿岸のほぼ中央部にあった馬山府によって郡域が東西に分断されたこともあり、郡庁はそのまま馬山府に位置した。植民地期において郡内に鎮海軍港が建設され、鎮海が軍港都市として発展した。 |
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大韓民国成立後、1955年に'''[[鎮海市]]'''が分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は馬山市に併合されたのち昌原新都市として開発が行われ、1980年に'''[[昌原市]]'''となった。このため、西部・北部・東南部に分散して残った郡部は'''義昌郡'''に改名した。東南部の熊東洞が鎮海市に、天加洞(加徳島)が釜山広域市江西区にそれぞれ編入された後、義昌郡は1994年末日をもって廃止され、西部の5面が馬山市に、北部の3面が昌原市に統合された。 |
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:''[[馬山市#歴史]]・[[昌原市#歴史]]・[[鎮海市#歴史]]も参照のこと。'' |
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=== 年表 === |
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* [[統一新羅]] - 屈自郡が置かれた。 |
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* [[775年]] - 屈自郡が義安郡に改称。 |
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* [[1282年]] - 義安郡が義昌郡に改称。 |
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* [[1390年]] - 合浦県が会原県に改称。 |
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* [[1408年]]8月 - 昌原府が設置される。 |
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* [[1412年]] - 昌原都護府に昇格。 |
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* [[1601年]] - 昌原大都護府に昇格。 |
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* [[1895年]]5月26日 - 地方制度改革によって昌原郡・鎮海郡・熊川郡となり、晋州府に所属([[二十三府制]])。 |
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* [[1896年]]8月4日 - 二十三府制が廃止され、慶尚南道に所属。 |
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* [[1899年]]5月1日 - [[馬山]]が開港。 |
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* 1899年5月6日 - 昌原府に昇格。 |
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* [[1903年]]7月3日 - 昌原郡に改称。 |
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* [[1906年]]9月24日 - 昌原郡が昌原府に改称される。 |
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* 1908年 - 鎮海郡・熊川郡・金海郡大山面・晋州郡良田面・漆原郡亀山面を昌原府に編入。 |
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* [[1910年]]10月1日 - 昌原府を馬山府に改称。 |
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* 1910年12月27日 - 鎮海が軍港に指定される。 |
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* [[1912年]]1月 - 熊中面・熊西面が合併され、鎮海面に改称される。 |
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* [[1914年]]8月1日 - 開港地周辺が馬山府、残りの部分が昌原郡となる(15面)。 |
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* [[1931年]]4月1日 - 鎮海面が鎮海邑に昇格(1邑14面)。 |
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* [[1943年]]10月1日 - 内西面・亀山面の各一部を馬山府に編入。 |
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* [[1955年]]9月1日 - 鎮海邑が鎮海市となり、郡を離脱(14面) |
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* [[1973年]]7月1日 - 昌原面・上南面・熊南面が馬山市に、熊川面が鎮海市にそれぞれ編入される(10面)。 |
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* [[1974年]]4月1日 - 馬山市の一部(旧昌原面・上南面・熊南面)が「産業基地開発促進地域」となる。 |
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* [[1976年]]9月1日 - 「産業基地開発促進地域」を管轄する慶尚南道昌原地区出張所が設けられる。 |
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* [[1980年]]8月1日 - 慶尚南道昌原地区(昌原新都市)が昌原市となる。残る郡部は義昌郡に改称。 |
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* [[1983年]]2月15日 - 熊東面が鎮海市に編入される(9面)。 |
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* [[1989年]]1月1日 - 天加面が[[釜山広域市]][[江西区]]に編入される(8面)。 |
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* [[1994年]]12月31日 - 義昌郡が廃止される。 |
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== 行政 == |
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1931年から1955年にかけて存在した1邑14面と、その後の変遷は以下の通り。 |
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* 鎮海邑(チネ=ウプ/진해읍) ⇒ 1955年9月1日、市制施行により[[鎮海市]]となる。 |
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* 昌原面(チャンウォン=ミョン/창원면) ⇒ 1973年7月1日[[馬山市]]に編入後、1980年8月1日に[[昌原市]]となる。 |
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* 内西面(ネソ=ミョン/내서면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。 |
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* 熊南面(ウンナム=ミョン/웅남면) ⇒ 1973年7月1日、馬山市に編入後、1980年8月1日に昌原市となる。 |
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* 上南面(サンナム=ミョン/상남면) ⇒ 1973年7月1日、馬山市に編入後、1980年8月1日に昌原市となる。 |
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* 北面(プク=ミョン/북면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。 |
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* 東面(トン=ミョン/동면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。 |
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* 大山面(テサン=ミョン/대산면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。 |
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* 熊東面(ウンドン=ミョン/웅동면) ⇒ 1983年、鎮海市に編入。 |
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* 熊川面(ウンチョン=ミョン/웅천면) ⇒ 1973年、鎮海市に編入。 |
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* 天加面(チョンガ=ミョン/천가면) ⇒ 1989年1月1日、[[釜山広域市]][[江西区]]に編入。 |
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* 鎮田面(チンジョン=ミョン/진전면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。 |
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* 鎮北面(チンブク=ミョン/진북면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。 |
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* 鎮東面(チンドン=ミョン/진동면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。 |
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* 亀山面(クサン=ミョン/구산면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。 |
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== おもな出身者 == |
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* [[金達寿]] |
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== 外部リンク == |
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*[http://stat.changwon.go.kr/info/history.htm 昌原統計情報システム] 内 [http://stat.changwon.go.kr/info/history_a.htm 「昌原の歴史的変遷」] {{ko icon}} |
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== 関連項目 == |
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* [[昌原市]] |
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* [[馬山市]] |
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* [[鎮海市]] |
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* [[大韓民国の地方行政区画]] |
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* [[慶尚道]] |
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* [[慶尚南道 (日本統治時代)]] |
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[[Category:慶尚南道|廃 ちやんうおん]] |
[[Category:慶尚南道|廃 ちやんうおん]] |
2008年2月23日 (土) 15:43時点における版
昌原郡 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 창원군 |
漢字: | 昌原郡 |
発音: | チャンウォングン |
日本語読み: | しょうげんぐん |
昌原郡(チャンウォン=ぐん)は、大韓民国慶尚南道にかつて存在していた郡。郡域は現在の馬山市・昌原市・鎮海市にあたる。また、釜山広域市江西区の加徳島も含む。
朝鮮王朝時代には慶尚道、日本統治時代には慶尚南道に属した。王朝時代の中心は現在の昌原市義昌洞付近にあったが、近現代において昌原郡庁は馬山に置かれていた。
1980年8月1日に義昌郡(ウィチャン=ぐん)に改称したのち、1994年12月31日に廃止された。
歴史
統一新羅時代には良州に属し、屈自郡(のち義安郡)が置かれた。現在の馬山は骨浦県(のち合浦県)と呼ばれて義安郡の属県であったが、高麗時代に義安郡・合浦県は同格の郡県として金州に属した。
朝鮮王朝時代の1408年、義昌郡(義安郡から改称)と会原県(合浦県から改称)が統合されて昌原府となることで、昌原の地方官名と地名がうまれた。朝鮮王朝時代を通じて、この行政区は南海に面した要衝として、昌原都護府を経て昌原大都護府に昇格していった。
1895年、甲午改革にともなう地方制度改革によって、かつての昌原大都護府の領域には昌原郡・鎮海郡・熊川郡が設置された。1899年、昌原郡内で馬山港の開港が行われ、馬山が郡の新たな中心となった。昌原郡の郡庁は馬山の日本人居留区である新馬山に建設され、旧昌原邑城は洞事務所<村役場>所在地に転落した。1908年に鎮海郡・熊川郡が昌原郡に併合される。馬山の居留地の地位と大韓帝国自体の地位の変遷にともなう複雑な制度改編のすえ、1914年に開港地付近の馬山府と昌原郡が分離する。郡沿岸のほぼ中央部にあった馬山府によって郡域が東西に分断されたこともあり、郡庁はそのまま馬山府に位置した。植民地期において郡内に鎮海軍港が建設され、鎮海が軍港都市として発展した。
大韓民国成立後、1955年に鎮海市が分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は馬山市に併合されたのち昌原新都市として開発が行われ、1980年に昌原市となった。このため、西部・北部・東南部に分散して残った郡部は義昌郡に改名した。東南部の熊東洞が鎮海市に、天加洞(加徳島)が釜山広域市江西区にそれぞれ編入された後、義昌郡は1994年末日をもって廃止され、西部の5面が馬山市に、北部の3面が昌原市に統合された。
年表
- 統一新羅 - 屈自郡が置かれた。
- 775年 - 屈自郡が義安郡に改称。
- 1282年 - 義安郡が義昌郡に改称。
- 1390年 - 合浦県が会原県に改称。
- 1408年8月 - 昌原府が設置される。
- 1412年 - 昌原都護府に昇格。
- 1601年 - 昌原大都護府に昇格。
- 1895年5月26日 - 地方制度改革によって昌原郡・鎮海郡・熊川郡となり、晋州府に所属(二十三府制)。
- 1896年8月4日 - 二十三府制が廃止され、慶尚南道に所属。
- 1899年5月1日 - 馬山が開港。
- 1899年5月6日 - 昌原府に昇格。
- 1903年7月3日 - 昌原郡に改称。
- 1906年9月24日 - 昌原郡が昌原府に改称される。
- 1908年 - 鎮海郡・熊川郡・金海郡大山面・晋州郡良田面・漆原郡亀山面を昌原府に編入。
- 1910年10月1日 - 昌原府を馬山府に改称。
- 1910年12月27日 - 鎮海が軍港に指定される。
- 1912年1月 - 熊中面・熊西面が合併され、鎮海面に改称される。
- 1914年8月1日 - 開港地周辺が馬山府、残りの部分が昌原郡となる(15面)。
- 1931年4月1日 - 鎮海面が鎮海邑に昇格(1邑14面)。
- 1943年10月1日 - 内西面・亀山面の各一部を馬山府に編入。
- 1955年9月1日 - 鎮海邑が鎮海市となり、郡を離脱(14面)
- 1973年7月1日 - 昌原面・上南面・熊南面が馬山市に、熊川面が鎮海市にそれぞれ編入される(10面)。
- 1974年4月1日 - 馬山市の一部(旧昌原面・上南面・熊南面)が「産業基地開発促進地域」となる。
- 1976年9月1日 - 「産業基地開発促進地域」を管轄する慶尚南道昌原地区出張所が設けられる。
- 1980年8月1日 - 慶尚南道昌原地区(昌原新都市)が昌原市となる。残る郡部は義昌郡に改称。
- 1983年2月15日 - 熊東面が鎮海市に編入される(9面)。
- 1989年1月1日 - 天加面が釜山広域市江西区に編入される(8面)。
- 1994年12月31日 - 義昌郡が廃止される。
行政
1931年から1955年にかけて存在した1邑14面と、その後の変遷は以下の通り。
- 鎮海邑(チネ=ウプ/진해읍) ⇒ 1955年9月1日、市制施行により鎮海市となる。
- 昌原面(チャンウォン=ミョン/창원면) ⇒ 1973年7月1日馬山市に編入後、1980年8月1日に昌原市となる。
- 内西面(ネソ=ミョン/내서면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。
- 熊南面(ウンナム=ミョン/웅남면) ⇒ 1973年7月1日、馬山市に編入後、1980年8月1日に昌原市となる。
- 上南面(サンナム=ミョン/상남면) ⇒ 1973年7月1日、馬山市に編入後、1980年8月1日に昌原市となる。
- 北面(プク=ミョン/북면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。
- 東面(トン=ミョン/동면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。
- 大山面(テサン=ミョン/대산면) ⇒ 1995年1月1日、昌原市に編入。
- 熊東面(ウンドン=ミョン/웅동면) ⇒ 1983年、鎮海市に編入。
- 熊川面(ウンチョン=ミョン/웅천면) ⇒ 1973年、鎮海市に編入。
- 天加面(チョンガ=ミョン/천가면) ⇒ 1989年1月1日、釜山広域市江西区に編入。
- 鎮田面(チンジョン=ミョン/진전면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。
- 鎮北面(チンブク=ミョン/진북면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。
- 鎮東面(チンドン=ミョン/진동면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。
- 亀山面(クサン=ミョン/구산면) ⇒ 1995年1月1日、馬山市に編入。
おもな出身者
外部リンク
- 昌原統計情報システム 内 「昌原の歴史的変遷」 (朝鮮語)