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2008年1月18日 (金) 13:13時点における版
ピア・アンジェリ(Pier Angeli,1932年6月19日 - 1971年9月10日)はイタリアのサルデーニャ島出身の女優。双子の姉妹のマリサ・パヴァンも女優。
16歳のときにイタリア映画でデビュー。とくに1950年の「明日では遅すぎる」(主演)ではイタリア映画のネオ・レアリスモ運動の大きな原動力となったこの作品の評価と商業的成功に多大に貢献、これが1950年代の米国進出(メトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約)のきっかけとなる。MGMではポール・ニューマンの「傷だらけの栄光」(当初はジェームズ・ディーン主演の予定だった)でヒロインを演じるなど清純派女優としてハリウッドで活躍した。それ以降はイタリアを中心にヨーロッパ映画に出演。
「エデンの東」を撮影中だったジェームズ・ディーンと恋に落ちるが、ピアの母親の反対(アンジェリ家はローマ・カトリックだったがディーンはカトリックでなかったことが原因だったといわれる)などもあって別れたことは有名。
その後、歌手兼俳優のビック・ダモンと結婚したが離婚。その後は米国映画の作風の変化(暴力・性的表現の過激化など)についていけなくなったことから歌手としてアルバムなど作品リリースを行なうなどするも人気・仕事では低迷・不遇が続いていたといわれる。
1971年、バルビツールの過剰服用(自殺説もあり)により急逝。