「小泉又次郎」の版間の差分
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| 没年=[[1951年]][[9月24日]] |
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| 没地=神奈川県横浜市 |
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| 称号=[[正二位]]<br />[[勲一等瑞宝章]] |
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| 職業=鳶職人、新聞[[記者]] |
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| 配偶=小泉ナオ |
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'''小泉 又次郎'''(こいずみ またじろう、[[慶応]]元年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]([[1865年]][[6月10日]]) - [[昭和]]26年([[1951年]])[[9月24日]])は、日本の[[政治家]]。[[正二位]] [[勲一等]]。[[小泉純一郎]] |
'''小泉 又次郎'''(こいずみ またじろう、[[慶応]]元年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]([[1865年]][[6月10日]]) - [[昭和]]26年([[1951年]])[[9月24日]])は、日本の[[政治家]]。[[正二位]] [[勲一等]]。[[小泉純一郎]]の祖父<!-- 誰にも明らかで、かつリンク先に詳細な説明がある人物に、冗長な解説をつけ加える必要はありません -->。 |
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[[横須賀市|横須賀市長]]、[[逓信大臣]]、[[衆議院副議長]]などを歴任した。[[義侠心]]にあふれ、人情に厚い大衆<!--「大衆」と「大衆政治家」の “大衆” では意味するところが異なります -->政治家で、[[刺青]]があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。<!-- すでに鍵括弧に入っている語をさらに太字でマークアップする必要はありません --> |
[[横須賀市|横須賀市長]]、[[逓信大臣]]、[[衆議院副議長]]などを歴任した。[[義侠心]]にあふれ、人情に厚い大衆<!--「大衆」と「大衆政治家」の “大衆” では意味するところが異なります -->政治家で、[[刺青]]があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。<!-- すでに鍵括弧に入っている語をさらに太字でマークアップする必要はありません --> |
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== 家族・親族 == |
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[[Image:Koizumi family.jpg|thumb|200px|小泉家三代 左から<br />・[[小泉純一郎|純一郎]](孫)<br />・'''又次郎'''<br />・正也(孫)<br />・[[小泉純也|純也]](婿)]] |
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; 実家 |
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* 父: 由兵衛<!--([[鳶職|とび職人]])--><!-- 本文中の記述と重複します --> |
* 父: 由兵衛<!--([[鳶職|とび職人]])--><!-- 本文中の記述と重複します --> |
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;小泉家 |
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┃ 小泉純也 |
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小泉由兵衛━┳━小泉又次郎 ┠━━━━━━┳━小泉純一郎 |
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┃ 石川ハツ |
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┗小泉岩吉 |
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┃ ハツ ┃ ┃ |
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== 参考文献 == |
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2008年1月15日 (火) 04:45時点における版
小泉又次郎 | |
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内閣 |
濱口内閣 第2次若槻内閣 |
小泉 又次郎(こいずみ またじろう、慶応元年5月17日(1865年6月10日) - 昭和26年(1951年)9月24日)は、日本の政治家。正二位 勲一等。小泉純一郎の祖父。
横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長などを歴任した。義侠心にあふれ、人情に厚い大衆政治家で、刺青があったことから「いれずみ大臣」「いれずみの又さん」などの異名をとった。
来歴・人物
慶応元年(1865年)5月17日、武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)に鳶職人の父・由兵衛、母・徳の次男として生まれる。又次郎が小学校へ入学する頃、一家は横須賀に移り、海軍工廠に大工、左官、人夫、等を送り込む人入れ業を始める[1]。
又次郎は家業を嫌って海軍士官に憧れ、無断で海軍兵学校の予備校に入学するが、兄の急死によって家に連れ戻される。しかしその後も軍人になることを諦めきれず、今度は陸軍士官学校の予備校に無断で入学するが、またしても父に見つかり「なんとしても家業を継げ」と厳命される。その際、こんどこそ軍人を諦め鳶職人になることを決意した証に、全身に「昇り龍」の入れ墨を彫って父親に見せつけたという[2]。30歳のころには芸者だった綾部ナオと結婚した。
その後板垣退助の演説を聴いて政治家を志すようになり、小学校教員、新聞記者などを経て、明治40年(1907年)横須賀市議会議員に当選、後議長をつとめる。明治41年(1908年)、憲政会から衆議院議員選挙に立候補して初当選、以後当選12回を数える。第二次護憲運動で活躍。大正13年(1924年)に衆議院副議長に選出される。
昭和3年(1928年)から翌4年と、昭和12年(1937年)から翌13年には、立憲民政党幹事長をつとめる。
昭和4年(1929年)から浜口内閣と第二次若槻内閣で逓信大臣をつとめ「いれずみ大臣」の異名をとる。その風貌から当初は誰も大臣とは思わず、初めての親任式で参内した際には、守衛に一緒に参内した過去に大臣経験のある安達謙蔵の従者と間違われて押し問答をしている。
昭和20年(1945年)には貴族院議員に勅選され、翌21年に公職追放されるまで務めた。
昭和26年(1951年)9月24日、死去。86歳だった[3]。墓所は横浜市金沢区の宝樹院にある。
著書
- 『普選運動秘史』
栄典
- 昭和26年9月24日:勲一等瑞宝章
家族・親族
- 実家
- 父: 由兵衛
- 母: 徳
- 長男:
- 次男: 又次郎
- 三男: 岩吉[4]
- 自家
系譜
- 小泉家
綾部幸吉━━━━ナオ (旧姓鮫島) ┃ 小泉純也 小泉由兵衛━┳━小泉又次郎 ┠━━━━━━┳━小泉純一郎 ┃ *━━━━━━━芳江 ┗━小泉正也 ┃ 石川ハツ ┃ ┗小泉岩吉
参考文献
- 『小泉純一郎―血脈の王朝』139-146頁(佐野眞一 著、文藝春秋、2004年)
- 『小泉純一郎と日本の病理』29-34、39-43頁(藤原肇 著、光文社、2005年)
- 『ダークサイド・オブ・小泉純一郎』179-185頁(岩崎大輔 著、洋泉社、2006年)
関連項目
注釈
- ^ 当時の横須賀では沖仲仕の手配師として目兼の大親分と小泉組が縄張りを競い合い、博徒たちのにぎやかな出入りがくり返されていたという(『小泉純一郎と日本の病理』29頁)。
- ^ 刺青者は軍人になることができなかった
- ^ 『小泉純一郎―血脈の王朝』152頁
- ^ 小泉家の苦しい家計を支えたのは、又次郎が家業を譲った弟の岩吉だった。兄・又次郎同様、背中にみごとな刺青を入れた岩吉は、又次郎の度重なる無心にもいやな顔ひとつ見せず、必要な金を必ず用立てたという(『小泉純一郎―血脈の王朝』150頁)。
- ^ ハツの末娘・竹田綾子によると、ハツは富山県の滑川出身で、ハツの兄が横須賀に出て仕出し屋を開き、鳶の又次郎のところに出入りするようになったのが、ハツが又次郎のところに奉公するきっかけになったという。ハツはその後又次郎の紹介でみこしなどを造る宮大工の山口忠蔵と結婚した。忠蔵の背中にも刺青があったといい、佐野眞一は「又次郎と山口はいわば “入れ墨兄弟” の関係ではなかったか」と想像している(『小泉純一郎―血脈の王朝』139-143頁)。
外部リンク
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