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2008年1月2日 (水) 00:35時点における版

サベナ・ベルギー航空のシュド・カラベル

シュド・カラベルSE 210 Caravelle)とはフランスシュダヴィアシオン(1957年成立)の前身会社の一つであるSNCASEが開発製造した、西側初の中短距離路線向けジェット旅客機である。

斬新なリアエンジン形式と十字尾翼を先駆けて実用化し、多くの追従者を生んだだけでなく、ジェット旅客機として初めて商業的成功を収めた。1958年の就航後は世界各国で使いられ、中には21世紀まで運用された機体もあった。

概要

開発費用と設計期間の軽減のため、国産に拘わらず実績あるイギリス製ターボジェットエンジンを敢えて採用し、機首と胴体、操縦系を含む運航システムの殆どは、就航済だった世界初のジェット旅客機デハビランド DH.106 コメットから丸々流用する、実利優先の大胆な手法が採られた。その一方で、尾翼付近の胴体後部に双発を配置する革新的な方式を初採用し、後代の旅客機に多大な技術思想的影響を与えたのみならず、膨大な特許料収入(同種の機体が多いソ連からも徴収した)は、同社に留まらずフランスの国家財政さえ潤したという。

独創的なハイマウント・リアエンジン形式には、一般的な主翼下パイロン吊り下げ方式に比べ、以下の利点がある。

  • 主翼に障害物がなく、全幅に渡って高揚力装置が取付られ、離着陸性能が向上する(所謂プレーン・ウィング)
  • 脚長が短縮でき、地上高が下げられ、機載タラップのみで短時間に乗降できる
  • 未整地でもエンジンに異物を吸い込みにくく、逆噴射時や単発故障時のトリム変化が最少
  • 高く十字型に配置された水平尾翼は、主翼から剥離した乱流の影響を受けにくく、高仰角での離着陸が可能になり、滑走路が短くて済む

これらの特徴は総て、当時広大な植民地を有していた、フランスの国情に叶うものであった。 視野確保のため角を落とした三角形(おむすびに例えられた)の客窓を持っていたのも特徴である。

開発の経緯

1951年10月12日にフランス航空局民間資材調達委員会は、自国の航空機メーカーに中短距離用ジェット旅客機の仕様書を公開した。要求性能は、航続距離2000km、巡航速度600km/h前後、55〜65人の乗客と1000kgの貨物を同時に運ぶというもので、このカテゴリーに該当するジェット旅客機は既に、1946年以降様々な基礎研究が各社独自に進められていたものの、占領中航空機開発を禁じられていた同国の航空業界は、構想するばかりで即座にそれを実用化する技術・体力が未だ備わっていなかった。

このコンテストに各社から計20もの応答があった。過渡的なターボプロップよりもターボジェットが早期から有力視され、またエンジン数については自由だったために、双発から中には5発というプランまで存在した。ナショナリズム的にも、同国で戦後出発した国営航空原動機製作所(Société nationale d'étude et de construction de moteurs d'aviation = SNECMA)が開発中だった「アター」(Atar)の3発案が推されたが、実績不足が懸念され、ロールス・ロイス「エイヴォン」(Avon)が満足すべき推力を発揮したことから、より簡潔なエイヴォンの双発案で固められた。

1952年3月28日の委員会では、ユレル・デュボア航空機製造(Société de construction des avions Hurel-Dubois) HD-45、シュドゥエスト(国営南西航空機製作所)(Société nationale des constructions aéronautiques du sud-ouest = SNACASO) SO-60、シュデスト(国営南東航空機製作所)(Société nationale des constructions aéronautiques du sud-est = SNACASE) X-210、以上3社の案から、エイヴォン双発リアマウント型の SNCASE X-210 計画が選定され、詳細設計開始が命じられた。そして2ヵ月後の正式認可を受けて、政府援助の下で開発着手した。

就航

開発費用軽減と設計期間短縮を図るため、先に進空したコメットから流用できる技術は極力流用し、早くも1955年4月21日にロールアウト、5月27日には初飛行した。カラベルの開発中にコメットは連続墜落事故に見舞われるが、事故調査で得られた知見から応力分散とフェイルセーフ思想が盛り込まれ、「おむすび」に例えられた独特の丸めた三角の客窓が形作られた。試作1号機にはカーゴドアがあり、最初から貨客混載が意識されていた。

試作機の成功を見て、翌1956年に先ずエールフランスから、次いでSASから受注したが、ジェット・パイロットの養成と共に実用化に当っては慎重が期され、就航は1958年5月にずれ込んだ。当初損益分岐点は200機に設定されていたが、全タイプ通算279機を生産するヒット作になり、メーカーにとってもエアラインにとっても、世界で初めて明確に利益を出したジェット旅客機として評価されている。

World Airline Fleets News 2004年9月号に、ルワンダギセニ空港へ進入中の 11R 型(登録記号3DKIK)が墜落したため、最後まで就航していたカラベルが失われた旨の短信が掲載された。しかし同誌2005年5月の「カラベル50歳」と銘打った特集記事では、コンゴ民主共和国の首都キンシャサ在の Waltair Aviation が、2機のカラベルを現用中と報じている。何れにしても初飛行から半世紀を経た21世紀まで、カラベルがアフリカの空を飛んでいた事は間違いないようである。

派生型

JATユーゴスラビア航空のカラベル
Caravelle I

最初の生産型で、試作機から1.4mストレッチされた。エールフランスSASエールアルジェヴァリグ・ブラジル航空向けに20機製造。ヴァリグ機の内1機はシュド社にリースバックされ、エールベトナムに転用された。

Caravelle IA

I から更に50cmストレッチされ、エンジン強化に伴い最大離陸重量も増加された。12機製造。

  • 速度: 746 km/h
  • 乗客: 60-80
  • 航続距離: 1500 km
Caravelle III

エンジン再強化型。ペイロードも増加し、シリーズの中で最多(78機製造)。初期生産型32機中31機がこのモデルに改修された。

  • 速度: 805 km/h
  • 乗客: 64-80
  • 航続距離: 1700 km
Caravelle VI-N

更なるパワーアップ型で、53機製造。III の内5機がこの仕様にアップデートされた。

  • 速度: 825 km/h
  • 航続距離: 2500 km
Caravelle VI-R :

逆噴射装置とグラウンドスポイラー、アンチスキッドブレーキ等を装備し、運用上柔軟性が増した。56機中20機は米ユナイテッド航空に納入された。

Caravelle VII : 

ゼネラル・エレクトリックが III を購入し、自社製 CJ-805(コンベア880に同じ)に換装した試作機。トランス・ワールド航空が興味を示したが、DC-9に受注を奪われた。

Caravelle 10A : 以降「シュペール・カラベル」

1mストレッチされ最大104席になり、主翼と尾翼も全面的に改設計され一回り大型化した。APU 標準装備に伴い操縦系統も刷新されるなど、北米市場の需要に応じた様々な改修が加えられたが、イギリス製エンジンでは販拡上問題があり、試作1機だけでキャンセルされた。

Caravelle 10B :

10A をプラット・アンド・ホイットニー JT8D ターボファンエンジン(DC-9, B737に同じ)に換装したモデルで、1964年より22機が作られた。

Caravelle 10R : 

VI-R に準じた短胴型で、シリーズ中最もパワフル、かつ最長航続距離になった。1965年から20機製造。

Caravelle 11R : 

10 を1mストレッチし、カーゴドアを設けた貨客混載型。1967年より6機製造。

Caravelle 12 : 

10B の胴体を3.2mストレッチした最終型。JT8D の新型を搭載。オールエコノミー140席にまで拡大し、主に近距離チャーター路線に用いられた。12機製造され、1996年まで欧州域内で、少なくとも2004年までアフリカで就航。

  • 速度: 800 km/h
  • 乗客: 128-139
  • 航続距離: 1600 km
SST Super Caravelle :

カラベルの超音速機化構想。計画当初から全く別の機体で、後にカラベル同様に国際共同開発のコンコルドへと発展した。従ってコンコルドの操縦席周りの印象がコメット、カラベルと似ているのは、同じ血が流れているからであって偶然の一致ではない。

日本におけるカラベル

結局日本の航空会社には採用されなかったが(1960年代前半に国内線用機材として検討されたことはある)、中華航空タイ航空などが日本路線用に使用し、1970年代初頭まで羽田空港伊丹空港に飛来していた。

関連項目