「矢島局」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''矢島局'''('''やじまのつぼね'''、生没年未詳)は、[[江戸時代]]の[[江戸幕府|幕府]]4代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川家綱]]の[[乳母]]である。本名・のぶ。
'''矢島局'''('''やじまのつぼね'''、生没年未詳)は、[[江戸時代]]の[[江戸幕府|幕府]]4代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川家綱]]の[[乳母]]である。本名・のぶ。
[[矢島治太夫]]([[下総]][[関宿]]二万二千石の城主・[[牧野信成]]の家臣)の妻。
[[矢島治太夫]]([[下総]][[関宿]]二万二千石の城主・[[牧野信成]]の家臣)の妻。


家綱が将軍宣下を受けてからは[[御年寄]]として奥向きを取り仕切ったといわれているが、その事績の多くは知られていない。乳母として奉公をはじめる際に夫の俸給を詐称したり、病弱な家綱に取り入って政治的発言力を有していたとされる。家綱正室の[[浅宮顕子]]、上臈御年寄の[[姉小路]]、[[飛鳥井]]などと対立したとする説もある。こうした経緯から奸智な女性として描かれることが多い。また、娘のお島([[お島の方]]、のち[[旗本]][[牧野]][[八左衛門]]の妻)を家綱の側室に勧めたともいわれているが、実際にはそのような事実はない。
家綱が将軍宣下を受けてからは[[御年寄]]として奥向きを取り仕切ったといわれているが、その事績の多くは知られていない。乳母として奉公をはじめる際に夫の俸給を詐称したり、病弱な家綱に取り入って政治的発言力を有していたとされる。家綱正室の[[浅宮顕子]]、上臈御年寄の[[姉小路]]、[[飛鳥井]]などと対立したとする説もある。こうした経緯から奸智な女性として描かれることが多い。また、娘のお島([[お島の方]]、のち[[旗本]][[牧野]][[八左衛門]]の妻)を家綱の側室に勧めたともいわれているが、実際にはそのような事実はない。

2007年12月27日 (木) 16:34時点における版

矢島局やじまのつぼね、生没年未詳)は、江戸時代幕府4代将軍徳川家綱乳母である。本名・のぶ。 矢島治太夫下総関宿藩二万二千石の城主・牧野信成の家臣)の妻。

家綱が将軍宣下を受けてからは御年寄として奥向きを取り仕切ったといわれているが、その事績の多くは知られていない。乳母として奉公をはじめる際に夫の俸給を詐称したり、病弱な家綱に取り入って政治的発言力を有していたとされる。家綱正室の浅宮顕子、上臈御年寄の姉小路飛鳥井などと対立したとする説もある。こうした経緯から奸智な女性として描かれることが多い。また、娘のお島(お島の方、のち旗本牧野八左衛門の妻)を家綱の側室に勧めたともいわれているが、実際にはそのような事実はない。