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2007年12月15日 (土) 07:41時点における版
ガリア・アクィターニア(Gallia Aquitania)とはローマ帝国の属州のひとつ。かつてのアクィタニア地方であり、現在のフランス北西部アキテーヌ地方に該当する。東方にガリア・ルグドゥネンシス、南方にガリア・ナルボネンシス、西方にヒスパーニア・タラコネンシスと接している。
もともとはケルト人(とくにガリア人)が住み、南方のローマとは違う文化圏であった。そこにガイウス・ユリウス・カエサルが侵攻、ローマの属州とする(ガリア戦争)。アウグストゥスの治世に皇帝属州となる。皇帝の命を受けたプロプラエトルは軍隊を従えず、任地に赴いた。
ディオクレティアヌスの治世にはガリア・アクィターニアは3つに分割される。
418年、ローマ皇帝ホノリウスは西ゴート人を「友邦者」として扱い、この地を永住の地として与える。そしてこれが西ゴート王国の始まりとなった。
西ローマ帝国滅亡後
そして西ローマ帝国滅亡後に西ゴート族は彼等はトロサ(現在のトゥールーズ)を拠点とし、ピレネー山脈を越えてヒスパニアに侵攻する。しかし507年にはフランク族に押される。629年、メロヴィング朝のクロタール2世が死去するとフランク王国を息子で分割。西フランク王国の基礎となる。