「代田 (世田谷区)」の版間の差分

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== 地理 ==
== 地理 ==
世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に含まれる。北に[[大原 (世田谷区)|大原]]、東に[[下北沢|北沢]]、[[代沢]]、南に[[若林]]、西に[[松原 (世田谷区)|松原]] 、[[羽根木]]、[[梅ヶ丘駅|梅丘]]と接する。
世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に含まれる。北に[[大原 (世田谷区)|大原]]、東に[[下北沢|北沢]]、[[代沢]]、南に[[若林]]、西に[[松原 (世田谷区)|松原]] 、[[羽根木]]、[[梅丘]]と接する。


鉄道の駅は、小田急線[[世田谷代田駅]]、京王井の頭線[[新代田駅]]が設置され、道路は環状7号線が南北に通り、梅丘通りが東西に通る。
鉄道の駅は、小田急線[[世田谷代田駅]]、京王井の頭線[[新代田駅]]が設置され、道路は環状7号線が南北に通り、梅丘通りが東西に通る。

2007年11月28日 (水) 13:03時点における版

代田(だいた)は、東京都世田谷区の一地区である。代田一丁目から六丁目まで存在する。人口は、21616人(2007年11月1日現在、住民基本台帳による。世田谷区調べ)。

地理

世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に含まれる。北に大原、東に北沢代沢、南に若林、西に松原羽根木梅丘と接する。

鉄道の駅は、小田急線世田谷代田駅、京王井の頭線新代田駅が設置され、道路は環状7号線が南北に通り、梅丘通りが東西に通る。

河川北沢川が地区南部を西から東に流れるが暗渠化されている。地形は北沢川に向かって下る傾向があるが、北端の六丁目は、南北方向に窪地があり、東西それぞれに上がる傾向も見られる。

若林、世田谷との結びつきの強い一丁目、代田八幡宮、世田谷代田駅がある二丁目、三丁目、羽根木公園があり、梅丘、松原との結びつきの強い四丁目、北沢との結びつきの強い五丁目、六丁目と様々な側面をもち、一つの「地区」としての印象は希薄さが見られる。

環状7号線、梅丘通りに沿った路線商業地、下北沢駅に近い近隣商業地などの商業地の他に共同住宅地、戸建住宅地とも様々な種類の地域が混在している。

地名は、巨人伝説に由来するという説がある。

歴史

戦国時代末期に後北条氏の滅亡の際に、北条方の吉良氏の家臣であった者が、現在の一~三丁目付近に土着し開墾したのが始まりともいわれ、その後も開墾を進め、範囲を広げていった。元々、荏原郡に属し、現在の代沢の一部、大原をも含む地域の概念であった。ちなみに、下北沢村の元々の中心部(現在の代沢三丁目、五丁目付近)を東西から挟み込むような形であった。

その後、甲州街道に接する大原が独自の発展をし、世田谷区への編入などを経て、住居表示の実施、飛び地の整理で、羽根木の飛び地(現在の羽根木公園付近)の編入、飛び地(下代田) 等が代沢に編入されて現在の形となった(参考:ふるさと世田谷を語る-世田谷区-ISBNコードなし)。

旧版地図等によると、小田急線、井の頭線、現在の環状7号線の開通を契機に世田谷代田駅、新代田駅周辺を中心に宅地化が進んでいった。宅地化の進む頃、世田谷代田-新代田に車両搬出入用の線路(代田連絡線)が一時敷設されたことがあるが、その痕跡が特段残っていないことからも宅地化の急速さが窺える。