「吉川元浩 (野球)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
10行目: 10行目:
2006年の[[教育リーグ|フェニックス・リーグ]]、主な守備位置は[[一塁手]]だったが、「第三捕手は野手が兼任」という構想から[[捕手]]に挑戦することになり、プロ入り10年目で初めてマスクをかぶる。その後打力を買われ捕手から一塁に転向した[[小田嶋正邦]]が横浜から移籍し、秋季キャンプでは小田嶋とともに三塁手の守備に取り組んだ。
2006年の[[教育リーグ|フェニックス・リーグ]]、主な守備位置は[[一塁手]]だったが、「第三捕手は野手が兼任」という構想から[[捕手]]に挑戦することになり、プロ入り10年目で初めてマスクをかぶる。その後打力を買われ捕手から一塁に転向した[[小田嶋正邦]]が横浜から移籍し、秋季キャンプでは小田嶋とともに三塁手の守備に取り組んだ。


[[2007年]]シーズンは若手が台頭したこともあり、2軍でもあまり出場機会がないまま10月4日に戦力外通告を受けた。[[12球団合同トライアウト]]受験後、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]のテストを受け
[[2007年]]シーズンは若手が台頭したこともあり、2軍でもあまり出場機会がないまま10月4日に戦力外通告を受けた。[[12球団合同トライアウト]]受験後、[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]のテストを受け
2007年[[11月26日]]、[[福岡ソフトバンクホークス]]へ育成枠で入団することが決まった。


== 略歴 ==
== 略歴 ==

2007年11月26日 (月) 06:59時点における版

吉川 元浩(よしかわ もとひろ、1979年7月29日 - )は、平成時代の日本のプロ野球選手群馬県出身。ポジションは内野手捕手)。

経歴

東京農業大学第二高等学校から1997年ドラフト4位で近鉄バファローズ入団。 入団当初は投手だったが、2000年から打者転向。ファームの主砲として活躍。

2003年小野仁永池恭男とのトレード中濱裕之と共に巨人に移籍、2005年はファームで22本塁打をマーク。2年連続でイースタン・リーグ打点王を獲得。2006年シーズンに1軍昇格、プロ入り初安打・初打点を記録した。その試合のヒーローインタビューで、「この9年間は本当に長かったです」とのコメントを残す。原辰徳監督は、「今日が彼の野球人生を変えるくらいの、いいきっかけになってくれればいいですね」と語った。

2006年のフェニックス・リーグ、主な守備位置は一塁手だったが、「第三捕手は野手が兼任」という構想から捕手に挑戦することになり、プロ入り10年目で初めてマスクをかぶる。その後打力を買われ捕手から一塁に転向した小田嶋正邦が横浜から移籍し、秋季キャンプでは小田嶋とともに三塁手の守備に取り組んだ。

2007年シーズンは若手が台頭したこともあり、2軍でもあまり出場機会がないまま10月4日に戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウト受験後、ロッテのテストを受けた。 2007年11月26日福岡ソフトバンクホークスへ育成枠で入団することが決まった。

略歴

  • 身長・体重:184cm・85kg
  • 血液型:A型
  • 投打:右投右打
  • 出身地:群馬県高崎市
  • 球歴・入団経緯:東農大二高 - 大阪近鉄(1998年 - 2002年) - 巨人(2003年 - 2007年)
  • プロ入り年度・指名順位:1997年(4位指名)
  • ポジション:内野手
  • 守備位置:一塁、三塁、左翼
  • 背番号:50(1998年 - 2007年)

年度別打撃成績

年度 球団

試合 打席 打数 得点 安打





塁打 打点 盗塁

犠打 犠飛 四球 死球 三振

打率
1998年 近鉄 50 一軍出場なし
1999年 一軍出場なし
2000年 一軍出場なし
2001年 一軍出場なし
2002年 2 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1 0 .000
2003年 巨人 一軍出場なし
2004年 4 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000
2005年 一軍出場なし
2006年 11 10 9 1 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 1 0 4 0 .222
2007年 一軍出場なし
通算成績 17 20 18 1 2 1 0 0 3 2 0 0 0 0 2 0 6 0 .111

関連項目