「南極の歴史」の版間の差分

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2007年10月25日 (木) 11:28時点における版

人類における南極の歴史は探検史・観測史といってもよい。南極大陸は約3000万年前の漸新世から氷床に覆われた厳しい気候の地であり、先住的な居住者は存在していない。

南極発見前史

西ヨーロッパにおいては、南方大陸の伝承が長い間、伝えられていた。これは、南半球に未知の巨大大陸が存在しているという伝承で、多くの探検家がこの大陸の発見を試みた。ギリシャプトレマイオスは、その地図の辺端に未知の国の存在を記載した。フランスのド・ロジェ・ブーベは、ブーベ島を発見し、多数の卓状氷山の存在を報告した(1739年)。1772年から1775年にかけてジェームズ・クックが行った探検により、巨大大陸の可能性は否定された。この探検において、クックは1773年1月17日人類として始めて南極圏に入り(東経39度)、1774年1月30日には西経106度54分で南緯71度10分まで達したが、南極大陸を発見する事は無かった。

南極大陸の発見

その後も、南方への探検は行われ、1820年に南極大陸が発見される。しかし、南極大陸の発見者については論争があり、確定していない。ロシア海軍のフェビアン、イギリス海軍のエドワード・ブランスフィールドアメリカ人アザラシ漁師のナサニエル・パーマーのうちの誰かだろうとは推定されている。彼らによる発見時期は数日程度しか離れておらず、パーマーは1月27日、フェビアンは1月28日、ブランスフィールドは1月30日に発見したとしている。(パーマーはオルレアン海峡にはいり、同海峡の一方は南極大陸であり、パーマーランドと命名した。ブランスフィールドはブランスフィールド海峡を南緯64度30分まで南下、陸地を望見、トリニティランドと命名した。)

1821年2月7日には、アザラシ漁師のジョン・デイビスが、ヒューズ湾で南極大陸への初上陸を行ったと主張している。但し、これには議論がある。

南極大陸の探検

流氷に閉じ込められるエンデュランス号

1831年北磁極の位置が確定すると、南磁極の位置に、科学界の関心が持たれることとなった。イギリス人のジェームズ・クラーク・ロスは、南磁極を求め、1839年から1843年にかけて南極を探検した。ロスの観測船は、南磁極に到達できなかったものの、南緯78度まで達し、ロス棚氷やエレバス山、テラー山などを発見した。

その後、探検は途絶えていたが、1897年にベルギー人のアドリアン・ド・ジェルラシによって多国籍の探検隊がアントワープで結成された。彼らの探検船ベルジカ (BELGICA) は、1898年2月28日から1899年3月14日まで、約13ヶ月間、氷に閉じ込められ漂流した。病気により、探検隊に死者が出るなどしたが、探検隊自体の生還には成功している。南極圏における越冬により、多くの経験を得ることができた。この探検隊にはロアール・アムンセンも加わっていた。

この頃は、ドイツスウェーデンも探検隊を派遣し、越冬を行っている。1901年から1904年にかけては、イギリス探検隊が南極に上陸している。ロバート・スコット率いるイギリス探検隊はマクマード湾に基地を設営し、内陸部の探査を行った。

スコットランド人のアーネスト・シャクルトン率いるイギリス探検隊が1907年から1909年にかけて、南極探検を行っている。この探検隊は、1909年1月9日南極点まで180km、南緯88度23分に達したほか、1909年1月16日には南磁極に達することに成功した。

ファイル:Pole-observation.jpg
南極点に立てたノルウェー国旗の前で観測するアムンセン

初の南極点到達は1911年12月14日のことであり、ロアール・アムンセン率いるノルウェー探検隊によって達成された。アムンセンと極点到達の競争を行っていたロバート・スコットは、1912年1月18日に南極点に到達したが、極点から基地への帰路に遭難し、探検隊が全滅している。

1914年にアーネスト・シャクルトン率いる南極大陸横断を目的とするイギリス探検隊が結成された。しかし、探検隊の船・エンデュランスは南極到達前に氷に閉じ込められ、漂流することとなった。9ヵ月後に船が氷に破砕、沈没されたため、ボートと伴に脱出する。その後、サウス・ジョージア島に助けを求め、長期の遭難にも関わらず、全員生還することに成功する。

科学観測の時代

アメリカ海軍リチャード・バード1928年を皮切りに、1930年代から1950年代にかけて5回、南極へ行っている。これは、航空機も用いたものであり、1929年11月28日と29日には、南極点上空の初飛行に成功している。

8カ国が主張する南極の領有区分 経度によって扇型に分割されている。図上の0度から時計回りにノルウェー、オーストラリア、フランス、ニュージーランドチリ、イギリス、アルゼンチンブラジルの主張する領土を示した。ブラジル以外の7カ国は第一次世界大戦以前から領土を主張している。オーストラリアの主張する領土は東経45度から160度に及び最も広い。西経60度に沿って延びる南極半島付近では特に各国の主張する範囲が重なり合っている。

1930年代から1940年代にかけては、各国が南極の領有権を主張したが、1959年締結の南極条約により、領有権は凍結された。ただし、アルゼンチンでは、南極にて児童を出生させるなど、南極の領有に関して熱心である。

関連項目

  • 白瀬矗 - 1912年(明治45年)に民間の活動として南極大陸を探検した初の日本人。探検範囲の領土宣言を行う。日本の南極観測のきっかけともなった。

外部リンク