「メッサリナ」の版間の差分
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2007年8月23日 (木) 05:26時点における版
ウァレリア・メッサリナ(Valeria Messalina, 20年 - 48年)は、ローマ皇帝クラウディウスの皇妃。
生涯
カリグラ治世まで
父はマルクス・ウァレリウス・メッサッラ・バルバトゥス、母はドミティア・レピダ、彼等の一人娘として生まれた。母方の祖母は大アントニアとなる。家系としては父方、母方ともに由緒のある家系であったが、それ以外の事はよく分かってはいない。
38年にクラウディウスと結婚する。この結婚は当初からかなりの年齢差があり、クラウディウスは40代後半、メッサリナは20歳にもなっていなかった。結婚に至るまでの事情については、あまりよくは分かってはいない。ただ彼女はとても裕福で、カリグラの周囲でとても目立っていたという事だけは分かっており、またカリグラはクラウディウスにとって甥であったので、恐らくは先代の皇帝との関連を強めるためにもメッサリナとの結婚は必要であったのだろうと思われる。この結婚で2人の子供が生まれる。オクタウィアとブリタンニクスの姉弟である。
皇妃として
41年1月24日にカリグラが暗殺、親衛隊によりクラウディウスが皇帝に推挙されるという事件が発生、クラウディウスの妻である彼女は皇妃となった。
後世での彼女の評価は非常に低く、スエトニウスもタキトゥスも筆で厳しく彼女の冷酷さ、強欲さ、疎かさを非難している。彼女と同年齢の女性はもちろんこの時代客を誘っての会食、宴席を楽しんでいたが、メッサリナは愚かにもこの種の他人の交わりを度を越して自分の性欲を満たすほどにまでに及んだと強調して述べている。よく後世に伝わっている事ではメッサリナはローマの下賤な売春宿にスキッラという名前で一晩中男たちと交わり続け、ある時には夜明けまでに25人もの男を相手にしてもまだ物足りなかった、すなわちメッサリナは疲れてはいたが、満たされてはいなかったらしい。
また彼女はクラウディウスをそそのかし、彼女を不快にさせた者や彼女の敵対者を処刑させたりもした。強欲さ、冷酷さの代名詞として彼女の名「メッサリナ」が使われたと言う。
死
48年にメッサリナはガイウス・シリウスという名の元老院議員と結託してクラウディウスを殺害しようと謀り、そして事もあろうにシリウスと結婚までしてしまう。また双方とも既婚であったと言う。彼女は計略によってこの公式な結婚によってほとんどの元老院議員が彼女の側に廻ると確信していたが、計画はクラウディウスの側近ナルキッススの耳に入りシリウスと彼の取り巻きは即刻処刑される。メッサリナはクラウディウスから自殺する猶予を与えられたが、自分で死ぬ事ができずに命を受けた者によって殺された。
メッサリナが死んだという報告を受けた時クラウディウスは夕食の最中だった。報告の後に彼はもっとワインが欲しいとだけ答えたと言う。
関連項目
- ユリウス・クラウディウス朝
- クラウディウス:夫
- ブリタンニクス:息子