「ハリカルナッソスのディオニュシオス」の版間の差分

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[[小アジア]]の[[ハリカルナッソス]](現 [[ボドルム]])に生まれ、[[オクタウィアヌス]]が[[アントニウス]]を下し、[[帝政ローマ|帝政]]を開始した頃に[[ローマ]]に移住、[[ギリシア語]]と修辞学を教えつつ、自らも[[ラテン語]]を学びローマの歴史の著述を始める。彼の没年は分かってはいないが、[[紀元前7年]]以降と考えられている。
[[小アジア]]の[[ハリカルナッソス]](現 [[ボドルム]])に生まれ、[[オクタウィアヌス]]が[[アントニウス]]を下し、[[帝政ローマ|帝政]]を開始した頃に[[ローマ]]に移住、[[ギリシア語]]と修辞学を教えつつ、自らも[[ラテン語]]を学びローマの歴史の著述を始める。彼の没年は分かってはいないが、[[紀元前7年]]以降と考えられている。


神話時代から第一次ポエニ戦争を扱った全20巻の[[ローマ古代誌]](希:Ῥωμαικὴ ἀρχαιολογία)は彼の代表作である。1巻から9巻までは完全に残っているが、10巻と11巻は一部欠けているがほぼ残っている。しかし残りの8巻は散逸し、他の著作の引用としてあるだけである。
神話時代から[[第一次ポエニ戦争]]を扱った全20巻の[[ローマ古代誌]](希:Ῥωμαικὴ ἀρχαιολογία)は彼の代表作である。1巻から9巻までは完全に残っているが、10巻と11巻は一部欠けているがほぼ残っている。しかし残りの8巻は散逸し、他の著作の引用としてあるだけである。


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[[Category:古代ギリシアの歴史家]]
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[[Category:紀元前の学者]]
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2007年8月14日 (火) 02:16時点における版

ハリカルナッソスのディオニュシオス(希:Διονύσιος、英:Dionysius of Halicarnassus紀元前60年 - 紀元前7年以降)の歴史家修辞学の教師。

小アジアハリカルナッソス(現 ボドルム)に生まれ、オクタウィアヌスアントニウスを下し、帝政を開始した頃にローマに移住、ギリシア語と修辞学を教えつつ、自らもラテン語を学びローマの歴史の著述を始める。彼の没年は分かってはいないが、紀元前7年以降と考えられている。

神話時代から第一次ポエニ戦争を扱った全20巻のローマ古代誌(希:Ῥωμαικὴ ἀρχαιολογία)は彼の代表作である。1巻から9巻までは完全に残っているが、10巻と11巻は一部欠けているがほぼ残っている。しかし残りの8巻は散逸し、他の著作の引用としてあるだけである。