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2007年6月22日 (金) 17:28時点における版

ドラゴシュDragoş)は初代のモルダヴィア公であり(在位1351年-1353年)、この地方を治めた最初のルーマニア人である。ジョチ・ウルス(黄金オルド、金帳汗国)に対する備えのため、ハンガリー王の命でマラムレシュを離れ、タタール人ドニエプル川以東に追い返した。

彼の死後は、息子のサシュが公位を継いだ(在位1354年-1358年)。サシュの後は、サシュの息子であるバルシュが1359年に公位を継いだが、1年後、マラムレシュの別のルーマニア人領主ボグダンにより追放された。ここにモルダヴィア公国におけるドラゴシュの血統は絶えた。

建国伝説

ワラキアの年代記『ラドゥ・ポペスク』とモルダヴィア公で歴史家のディミトリエ・カンテミールの『モルダヴィア年代記』には、以下の話が記録されている。

伝説によれば、ドラゴシュは野牛を狩っているとき、偶然にモルダヴィアにたどり着き、そこに己の公国を建設した。それによると、野牛は逃げ、ドラゴシュの雌の猟犬が野牛を追いかけた。ドラゴシュがようやく野牛をしとめたとき、猟犬は川で溺れ死んでいた。猟犬の名はモルダという。ドラゴシュは猟犬の名を取り、川をモルドヴァを名づけた。のちに、この川のある地方一帯がモルドヴァと呼ばれるようになった、という。モルドヴァはルーマニア語でのこの地方の名である。

モルダヴィアの紋章に1頭の野牛が書かれているのはこの話にちなんでいる。

その他の事跡

ドラゴシュは都市ヴァトラ・ドルネイVatra Dornei, Dornavátra)の創立者であると信じられている。ドラゴシュはここで出会った美しい女羊飼いの記念にこの市を創ったという。

また、プトナ修道院の創設者であるとも伝えられる。1346年、ドラゴシュはプトナに木造の修道院を創設した。中世モルダヴィアにおいて、プトナ修道院は、文化、宗教、芸術の中心であった。この修道院は一時衰微し、1466年から1468年にかけて修復され、東方正教会の修道院として生神女マリヤに献堂された。