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*[http://www.pequotwar.com/ The Pequot War: A Documentary] |
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2007年6月20日 (水) 15:12時点における版
ピクォート族(Pequot)とはアメリカ合衆国のコネチカット州のアメリカ先住民族の部族の一つ。
アルゴンキン語族に属するネイティブ・アメリカンである、ピクォート族は主にアメリカ東部の森林地帯に定住し森で狩猟したり、川で釣りなどしながら暮らしていた。
ピクォート族のSassacus酋長がピクォート族とモヒガン族を支配していたが、モヒガン族の酋長アンカス(Uncas)がピクォート族に対して反抗したためモヒガン族との関係は悪化した。南方のニアンティックに侵入するため南方に行き、ピクォート族は、結局、彼らの領域をコネチカット川にまで拡大していった。
イギリスから来た清教徒の入植者はピクォート族が住む近くに入植してきた。最初は平和な条約を結び、品物交換などしたりして平和に共存していたが、入植者はピクォート族が住むテリトリーにさらに入植していった。そしてピクォート族はナラガンセット湾とコネチカット川に追い詰められている事にすぐに気付き、入植者とピクォート族との関係は悪化して行った。
そして1人のイギリス人入植者が殺害された時に、殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくイギリス人入植者だったのに、ピクォート族に殺されたとして一方的に訴えられた時に、ピクォート族の怒りが頂点に達した。1636年に入植者側が殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、翌年の1637年に入植者達はピクォート族と対立するモヒガン族とナラガンセット族の援助を受け、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し村を崩壊させた。これはピクォート戦争と呼ばれ、600人居たうち、500人のピクォート族が殺された。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。ロングアイランドに逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れたたが、コネチカットのフェアフィールド近くで捕まり、殺されたり、またはニューイングランドや西インド諸島に奴隷として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたがモホーク族に捕えられて殺された。そしてピクォート族の土地は全てモヒガン族に占領された。
植民地政府は生き残った少ないピクォート族のメンバーをミスティック川沿いに移住させたが、ピクォート族の人口は増えず、20世紀後期には約200人まで減少した。1990年に679人のピクォート族が居て、現在でも南東部のコネチカット州の2ヶ所に居る。ピクォート族系のマシャンタケット・ピクォート族(Mashantucket Pequot)が1992年コネチカット州のレッドヤード市にカジノ「フォックスウッズ・カジノ」を建設し、ギャンブル産業を経営した。およそ10億ドル(1100億円)を上まる利益があり成功している。カジノ産業で得た利益は部族員の医療や教育や博物館などに使われ、ピクォート族の博物館を営んでいる。