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2007年4月18日 (水) 06:49時点における版

「喜びの琴」事件(よろこびのことじけん)は、文学座で上演予定されていた三島由紀夫戯曲喜びの琴」が、思想上の行き違いを理由に上演を中止され、それをきっかけに同座の幹部・中堅座員が集団脱退した事件。

1963年1月、芥川比呂志岸田今日子小池朝雄神山繁加藤治子ら、有望な中堅俳優が集団で脱退し、福田恆存と組んで現代演劇協会附属・劇団雲を創立したのは、文学座にとって大きな痛手であった。そんな中、1964年正月公演用の戯曲が三島に委嘱され、「喜びの琴」が提供された。

「喜びの琴」は、言論統制法内閣が制定しようとしている時代を背景にしており、反共思想を固く信じる若い公安巡査を主人公にした、政治色の強い作品であった。劇中に起こる「上越線転覆事件」は「松川事件」を連想させる内容であり、同年9月に「松川事件」の首謀者とされた国労関係者20名の無罪が確定したばかりであった。

1963年11月、文学座内での話し合いの末、上映中止が決定されると三島は文学座を退座し、直後に朝日新聞紙上にて、評論「文学座の諸君への公開状~『喜びの琴』の上演拒否について」を発表、事件の顛末を書くとともに痛烈な内容でしめくくった。

その後、矢代静一松浦竹夫賀原夏子丹阿弥谷津子中村伸郎南美江ら十数名が次々と脱退を表明。1964年に脱退者によりグループNLT(1968年劇団NLTとして再編)が設立され、岩田豊雄(獅子文六)、三島が顧問として迎えられた。NLTとはラテン語で「新文学座」を表すNeo Litterature Theatre の頭文字で、岩田により命名された。