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2007年3月16日 (金) 22:27時点における版
リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger; 1871年7月17日-1956年1月11日)は、ドイツ系のアメリカ人画家。名前は、英語読みで、ライオネル・ファイニンガーとも表記される。
アメリカのニューヨークに生まれる。1880年代後半にドイツに行き、音楽、後に絵画を学ぶ。ベルリンとパリを行き来し、新聞にカリカチュアを描いたりする。
1910年代に入り、ロベール・ドローネーを通じて、キュビスムを知る。1913年には、青騎士のグループにさそわれ、カンディンスキー、パウル・クレーなどと活動する。1919年には、グロピウスの誘いで、バウハウスにて教鞭をとる。
グロピウスによる「バウハウス宣言」(Bauhaus-Manifest; 1919年)を掲載したパンフレットの表紙(口絵)は、ファイニンガーによる木版画である。
1937年にはニューヨークに戻り、そこに没した。
その作品は、 キュビスムと表現主義を融合させたものである。典型的な作品としては、油絵の例で、階調に差をつけた色彩を使って画面(空までを含む)を平面状に分割し、それにより光を表現した風景画である。プリズムを通して見た風景のような観を呈している。
日本において、個展等の展覧会で本格的に紹介されたことはない。
なお、写真家のアンドレアス・ファイニンガー(Andreas Feininger; 1906年-1999年)とルックス・ファイニンガー(T. Lux Feininger, Theodore Lukas Feininger; 1910年生まれ)は息子である。