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'''精工舎'''(せいこうしゃ)は服部時計店(現・[[セイコー|セイコー株式会社]])の製造・開発部門として設立された会社である。いずれも、セイコー本体または、創業家である服部家とその関連会社が大株主であ
'''精工舎'''(せいこうしゃ)は服部時計店(現・[[セイコー|セイコー株式会社]])の製造・開発部門として設立された会社である。いずれも、セイコー本体または、創業家である服部家とその関連会社が大株主であった


精工舎設立当時は、服部時計店は企画・マーケティング・保守サービスを担当し、精工舎は、服部時計店からは独立した製造部門として、研究開発・設計・製造を行っていた。そのような「協業」によって'''SEIKO'''ブランドの時計は、技術水準を高め、世界的に高い評価を得るに至った。
精工舎設立当時は、服部時計店は企画・マーケティング・保守サービスを担当し、精工舎は、服部時計店からは独立した製造部門として、研究開発・設計・製造を行っていた。そのような「協業」によって'''SEIKO'''ブランドの時計は、技術水準を高め、世界的に高い評価を得るに至った。

2007年2月17日 (土) 19:59時点における版

精工舎(せいこうしゃ)は服部時計店(現・セイコー株式会社)の製造・開発部門として設立された会社である。いずれも、セイコー本体または、創業家である服部家とその関連会社が大株主であった。

精工舎設立当時は、服部時計店は企画・マーケティング・保守サービスを担当し、精工舎は、服部時計店からは独立した製造部門として、研究開発・設計・製造を行っていた。そのような「協業」によってSEIKOブランドの時計は、技術水準を高め、世界的に高い評価を得るに至った。

  • 株式会社精工舎 -- 服部時計店の製造部門として1892年創立。1970年に服部時計店から分離され株式会社となる。1937年にウオッチ部門として第二精工舎が独立した。1996年にはセイコークロック株式会社とセイコープレシジョン株式会社に分割され、2社はセイコー株式会社の事業子会社である。
  • 株式会社第二精工舎 -- 1937年に精工舎のウオッチ部門が独立して創業。1983年セイコー電子工業株式会社、1997年セイコーインスツルメンツ株式会社、2004年セイコーインスツル株式会社に社名変更。 現在も服部家とその関連企業が大株主でセイコーグループに属しているが、セイコー株式会社からは独立した企業である。
  • 株式会社諏訪精工舎 -- 1942年に第二精工舎の関連会社の有限会社大和工業として創立。翌1943年に第二精工舎が諏訪工場が設立、大和工業とともにウオッチ製造を行う。1959年に大和工業を母体に第二精工舎諏訪工場が吸収され、株式会社諏訪精工舎となる。1961年に子会社として信州精器株式会社を設立。1982年信州精器がエプソン株式会社に商号変更。1985年諏訪精工舎とエプソンが合併し、セイコーエプソン株式会社となる。現在も服部家とその関連企業が大株主でセイコーグループに属しているが、セイコー株式会社からは独立した企業である。2003年に東証1部上場。

以上の通り、いずれの会社も「セイコー」を冠する社名に変更しており、1996年以降、精工舎を称する企業は存在しない。セイコークロック(掛時計・置時計・目ざまし時計)、セイコーインスツル(腕時計)、セイコーエプソン(腕時計)は、引き続きSEIKOブランドの時計を製造している。

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