清水与七郎

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しみず よしちろう

清水 与七郎
生誕 清水 與七郎
(1885-07-12) 1885年7月12日
日本の旗 日本
富山県の旗 富山県高岡市福岡町
死没 (1983-09-11) 1983年9月11日(98歳没)
日本の旗 日本
東京都の旗 東京都世田谷区玉川田園調布
出身校 金沢第一中学校
第四高等学校
東京帝国大学工学部
職業 技術者
実業家
活動期間 1908年 - 1967年
雇用者 東京芝浦電気
読売新聞社
日本テレビ放送網
著名な実績 日本テレビ放送網 社長
子供 清水和夫(長男)
親戚 高嶺秀夫(岳父)
土田誠一(義弟)
栄誉 1961年 紫綬褒章
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清水 与七郎(しみず よしちろう、1885年明治18年)7月12日 - 1983年昭和58年)9月11日)は日本実業家技術者日本テレビ放送網第2代代表取締役社長。現在の富山県高岡市福岡町出身。岳父に高嶺秀夫、義弟に土田誠一

来歴・人物[編集]

金沢第一中学校第四高等学校二部工科を卒業。1908年(明治41年)、東京帝国大学電気工学科卒業。逓信省に入省し技師を務めた後、1919年大正8年)に東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1931年(昭和6年)に同社の副社長に就任する。1934年(昭和9年)、読売ジャイアンツの設立に参加する[1]。また、東京電気無線(現在の東芝テリー)の社長も務めた。

第二次世界大戦後に公職追放を受け、1950年(昭和25年)に解除される。その後、読売新聞取締役監査役読売興業の代表取締役を歴任し1952年(昭和27年)に日本テレビ放送網の設立に参加し、同社の専務取締役に就任する。1955年(昭和30年)11月28日には同社の社長に就任し、1967年(昭和42年)に退任し特別社友となる。1962年(昭和37年)5月には電気学会名誉員となった。

早稲田大学教授や川崎商工会議所会頭も務めていた。

1983年(昭和58年)9月11日午前2時20分、自宅で心不全を起こし死亡(享年98歳)[2][3][4]

栄典[編集]

著書[編集]

  • 電気磁気測定法並測定器具(裳華房

脚注[編集]

  1. ^ 清水諭 「2.スポーツの「物語」・メディア・市場 スポーツする身体の市場
  2. ^ 元日本テレビ社長の清水与七郎さん死去朝日新聞1983年9月12日朝刊23面
  3. ^ 元日本テレビ社長の清水与七郎さん死去毎日新聞1983年9月12日朝刊23面
  4. ^ 元日本テレビ社長の清水与七郎さん死去読売新聞1983年9月12日朝刊23面

参考文献[編集]

  • 富山大百科事典編集事務局編 『富山大百科事典』 北日本新聞社、1994年。