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河合堯晴

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河合 堯晴(かわい たかはる、1905年3月11日 - 1985年6月6日)は、日本の経営者岡山県出身[1]

経歴

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1929年京都帝国大学工学部採鉱冶金科を卒業し、同年に日本鉱業に入社[1]

1950年5月に取締役に就任し、1957年11月に常務、1959年5月に専務を経て、1964年5月に副社長に就任し、1969年5月には社長に昇格[1]1974年5月に会長を経て、1976年6月には相談役に就任[1]日本鉱業協会会長、全日本剣道連盟会長なども歴任[2]

1964年10月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲一等瑞宝章を受章[1]

1985年6月6日急性心不全のために死去[2]。80歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, か310、か311頁.
  2. ^ a b 1985年 6月7日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。 
先代
三間安市
日本鉱業社長
1969年 - 1974年
次代
庭野正之助