池田浩美 (サッカー選手)

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池田 浩美
名前
愛称 いそ
カタカナ イケダ ヒロミ
ラテン文字 IKEDA Hiromi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1975-12-22) 1975年12月22日(48歳)
出身地 埼玉県本庄市
身長 163cm[1]
体重 52kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2008 日本の旗 田崎ペルーレ
00/0TASAKIペルーレFC
236 (0)
代表歴2
1997-2008 日本の旗 日本 119 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2009年3月19日現在。
2. 2011年9月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

池田 浩美(いけだ ひろみ、旧姓磯﨑(いそざき)、1975年12月22日 - )は、日本の元女子サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴・人物

埼玉県本庄市出身。本庄第一高等学校を卒業後、田崎ペルーレへ入団。ポジションはディフェンダー

小学校ではバレーボール、中学校では陸上競技をプレーしており、本格的にサッカーを始めたのが高校からということだが、これは女子サッカー選手としても遅咲きとして話題になった。

第7回日本女子サッカーリーグ1995年)で新人王に選ばれ、その後もベストイレブンを9度、敢闘賞を2度受賞している。

アテネオリンピックではゲームキャプテンとしてチームを率い、特にスウェーデン戦では荒川恵理子のゴールを生む起点となるフリーキックを放った。

2007年6月17日ひたちなか市総合運動公園陸上競技場茨城県)で開催された、なでしこリーグ第6節日テレ・ベレーザ戦でリーグ通算200試合出場を達成した。

同年には同じ職場の男性と結婚[2]。これにより2007 FIFA女子ワールドカップで招集のころから登録名が磯﨑(池田)浩美となり、翌2008年からは池田浩美となった。

改姓して最初の大会となった東アジア女子サッカー選手権2008に出場して優勝し、なでしこジャパン初タイトルに貢献した。

2008年のなでしこリーグでは自身10度目のベストイレブンに選出されたが、同年限りで所属チームのTASAKIペルーレFC休部(事実上の解散)が決まった事もあり、池田は「他チームに移籍してサッカーを続ける力が残っていない」[3]として12月の全日本女子選手権での準決勝を最後に現役を引退した[4]。引退後、第一子を出産した[5]

現在は尚美学園大学女子サッカー部の総監督を務めている。[6]

個人成績

クラブ

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
1995 田崎ペルーレFC 5 L・リーグ 18 0 -
1996 18 0 -
1997 18 1
1998 18 1
1999 14 1
2000 13 3 -
2001 14 5 -
2002 10 1 -
2003 19 3 -
2004 TASAKIペルーレFC L・リーグ1部(L1) 14 0 -
2005 21 0 -
2006 なでしこ
ディビジョン1
17 0 -
2007 21 0
2008 21 0 -
通算 日本 1部 236 15
総通算 236 15

代表

主な出場歴

代表通算 119試合[7] 4得点

試合数


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1997 6 0
1998 9 0
1999 8 0
2000 5 0
2001 10 3
2002 6 0
2003 11 1
2004 10 0
2005 9 0
2006 17 0
2007 16 0
2008 12 0
通算 119 4

ゴール

# 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会 出典
1 2001年8月8日 大韓民国の旗 水原 ブラジルの旗 ブラジル △ 1-1 池田司信 極東4ヶ国対抗戦
2 2001年12月8日 チャイニーズタイペイの旗 台北 グアムの旗 グアム ○ 11-0 2001 AFC女子選手権
3
4 2003年6月13日 タイ王国の旗 バンコク ラジャマンガラ・スタジアム  ミャンマー ○ 7-0 上田栄治 2003 AFC女子選手権 [8]

タイトル

クラブ

代表

個人

著書

  • 『荒れ地に花は咲く―サッカーへたくそ少女、なでしこジャパンの飛躍を支える』(2009年 アートヴィレッジ ISBN 9784901053815

脚注

  1. ^ a b 日本サッカー協会
  2. ^ 結婚式は「スタジアム婚」として神戸ウイングスタジアムで行った。
  3. ^ 朝日新聞2009年1月16日付、「TASAKI休部 女子サッカー元代表主将の池田ら引退」[1]
  4. ^ TASAKIペルーレFCにとっても最後の大会となった。
  5. ^ 日本女子サッカーリーグ公式サイト2010年3月5日付、山郷のぞみのコラムより [2]
  6. ^ 尚美学園大学 女子サッカー部
  7. ^ 47news2008年12月28日付、「サッカーなでしこ主将池田が引退 北京五輪4強に貢献」[3]
  8. ^ MATCH Report”. FIFA.com. 2012年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月21日閲覧。

外部リンク