江守栄作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

江守 栄作(えもり えいさく、1903年5月7日 - 1987年4月2日[1])は、北海道札幌市生まれの実業家スケート選手。

来歴・人物[編集]

明治36年(1903年)札幌生まれで豊水小学校卒。大正7年(1918年)にスケートを始め、大正13年(1924年ロシアフィギュアスケートの極東大会で優勝[2]。その後アイスホッケーを始める。

ウラジオストックロシア語学校高等科を卒業した後、貿易会社に就職、ウラジオストック支社長を務めた。

昭和14年(1939年)にトレーニング中のアクシデントから敗血症にかかり左足切断。その後は後進の育成に力を注ぎ、昭和58年(1983年)東京都アイスホッケー連盟会長に就任。

昭和21年(1946年)北海道札幌市で、清原叡・江守栄作・高野庄次郎・多和田四郎の4名で各種分析機器の開発販売会社(株)三和電気科学研究所を設立。各人のイニシャルをとり商標をKett(ケツト)とした(現・株式会社ケツト科学研究所)[3]。その際、江守は代表取締役に就任した。

昭和60年(1985年)私財を投じて故郷札幌にアイスホッケーリンクを建設し、札幌市に寄贈した。この札幌市星置スケート場には、「江守記念」の文字が冠されている。昭和62年(1987年)、勲五等瑞宝章を受章。同年他界。

神奈川県のアイスホッケークラブチーム「横浜ケッターズ」の名誉会長である[4]。日ソ交流協会(現・日ロ交流協会)の会長も務めた[5]

著作[編集]

  • 江守栄作、河久保子朗訳『パニンのスケート』1927年

脚注[編集]