水野忠夫

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水野 忠夫(みずの ただお、1937年7月13日 - 2009年9月20日)は、日本ロシア文学者翻訳者ロシア・アヴァンギャルド研究者として知られた。

略歴[編集]

満洲で生まれる。1946年、敗戦により引き揚げ。1949年麻布中学校に入学。このとき作家の安部譲二と同じクラスであった。

1956年早稲田大学第一文学部ロシア文学専修に入学。1961年に卒業し、大学院修士課程へ進む。1966年にはモスクワレニングラードを初めて訪問した。

立教大学講師、東京工業大学講師、お茶の水女子大学講師などを経て、1973年早稲田大学文学部専任講師となる。1978年モスクワ大学と早稲田大学との協定による交換研究員としてモスクワ、レニングラード、グルジアを訪れる。1980年、早稲田大学文学部教授に就任し、その後、NHKのテレビ・ラジオのロシア語講座の講師も務めた。

2008年3月に早稲田大学を定年退職。2009年9月20日、気管支破綻により死去。72歳没。

1997年9月から2008年3月までの10年間、早稲田大学バレーボール部部長を務めたことがある。1998年7月に男子部が東日本大学選手権で優勝するなど、就任期間中、バレーボール部は好成績を残した。

著書[編集]

論考[編集]

エッセイ[編集]

  • 『ロシア読書ノート』(南雲堂 1985年)
  • 『ロシア雑記』(南雲堂 1987年)
  • 『ロシア文化ノート』(南雲堂フェニックス 2001年)

翻訳[編集]

文学作品[編集]

論文・実録[編集]