水野健次郎

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水野 健次郎(みずの けんじろう、1913年10月7日 - 1999年4月15日 )は、日本実業家ミズノ社長・会長を務めた。父はミズノ創業者の水野利八(次男)[1]。長男はミズノ会長の水野正人、次男はミズノ社長の水野明人

来歴・人物[編集]

大阪府大阪市出身[2]1936年大阪帝国大学理学部化学科を卒業[2]大日日本電線での勤務を経て、1942年5月に美津濃取締役に就任[2]1947年に副社長に就任し、1969年には社長に昇格した[2]。社長在任時には、1969年アメリカに現地法人を設立するなど、ミズノを世界有数のスポーツ用品メーカーに育て上げた[1]1988年に会長に就任[3]

1972年から1994年までに関西経済同友会幹事を務めた[1]

1999年4月15日肺炎のために兵庫県西宮市の病院で死去[1]。85歳没。

栄誉[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 1999年 4月19日 日本経済新聞 朝刊 p39
  2. ^ a b c d 興信データ株式會社 1997, み87頁.
  3. ^ ミズノスポーツ振興財団創立50周年記念誌 p2

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第39版 下』興信データ、1997年。