橘秋子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たちばな あきこ
橘 秋子
生誕 (1907-06-17) 1907年6月17日
日本の旗 日本 栃木県宇都宮市
死没 (1971-05-14) 1971年5月14日(63歳没)
国籍 日本
出身校 栃木師範学校(現・宇都宮大学
職業 バレエダンサー、振付家、バレエ学校経営者
団体 橘バレヱ学校
受賞 芸術選奨文部大臣賞(1960年)、芸術祭奨励賞(1966年)、
栄誉 紫綬褒章受章(1967年)、勲四等宝冠章(1971年)
公式サイト 橘バレヱ学校
テンプレートを表示

橘 秋子(たちばな あきこ、1907年6月17日 - 1971年5月14日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、学校経営者である。

栃木県宇都宮市生まれ。本名・福田サク。夫の牧幹夫もバレエダンサーで、一女の牧阿佐美も両親と同じくバレエの道に進んだ。

経歴[編集]

栃木師範学校(現・宇都宮大学)第1部卒業。師範学校卒業後は尋常小学校に教員として勤務、主に音楽や体育を教えていた。

1929年白系ロシア人エリアナ・パヴロワの踊りに感銘を受け、自身もバレリーナになることを志し、教職を辞して上京。小林宗作のもとでリトミックを学ぶ。

1930年、エリアナ・パヴロワに師事。内弟子となる。1932年もエリアナのもとから独立。杉並区高円寺に転居。同時期に牧幹夫と同居、新生活を始める[1]

1933年4月9日、杉並区宮前に「橘秋子舞踊研究所」を設立した。

1933年5月12日、第1子となる女児(牧阿佐美)を出産。しかし、バレエダンサーに転向したばかりであり、また、当時はバレエダンサーが結婚・出産することは舞踏家としての活動が不利になるため、生後18日目に知人の知人に養育を委ねる[2]。出生届をすぐに提出せず翌年まで持ち越していたため、実母が橘の従姉妹の子として手続きをしたため、阿佐美の戸籍には「昭和9年生まれ」「福田サクの養女」と記されている[3]

阿佐美には4歳の頃からバレエ教育を施すため、自身のバレエ教室にレッスンに通わせた。1945年12月、阿佐美が小学5年生の時に手元に呼び戻す。

1948年、阿佐美が15歳の時に「福田阿佐美ベビーバレエ団」を結成させ、自身のバレエ団の公演に参加させた。

1950年3月、港区に日本初の「公認 橘バレヱ学園」を創設した(1971年に渋谷区富ヶ谷に校舎を移転)。

1953年、アレクサンドラ・ダニロワを「橘バレヱ学校」の指導者として迎え、正統古典バレエのダンサーを育成する場を確立した。

1956年、娘の阿佐美とともに牧阿佐美バレヱ団を結成。

1971年死去。死後、勲四等宝冠章が授与された。

受賞[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 双方の家の宗教の違いから結婚を反対されたため、正式な結婚(入籍)はしていないという。(「日本バレエ史」(新書館)P.138-140)
  2. ^ 牧阿佐美著「バレエに育てられて」P.56-59)
  3. ^ 「バレエに育てられて」(新書館、牧阿佐美著)P.56-59

外部リンク[編集]