横山通夫

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横山 通夫(よこやま みちお、1900年1月25日 - 1983年5月12日)は、日本の経営者栃木県出身[1]

経歴[編集]

1922年慶應義塾大学理財科を卒業[1]九州電灯鉄道東邦電力での勤務を経て、1942年に中部配電(のちの中部電力)理事に就任し、常務を経て、1951年に副社長に就任し、1961年4月に社長に昇格した[1]1969年5月には会長に就任し、1977年6月から相談役を務めた[1]

中部経済連合会会長、日本電気協会会長、日本ラグビーフットボール協会会長、名古屋鉄道監査役、東海銀行参与なども歴任した[1]

1960年11月に藍綬褒章を受章し、1974年11月に勲一等瑞宝章を受章した[1]

1983年5月12日脳出血のために死去[2]。83歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1981, よ31頁.
  2. ^ 1983年 5月14日 日経産業新聞 p11

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第31版 下』人事興信所、1981年。