桂文太

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桂 文太(かつら ぶんた)は落語家の名前。


かつら 文太ぶんた
桂(かつら) 文太(ぶんた)
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 片山 雅男
生年月日 (1952-07-10) 1952年7月10日(71歳)
出生地 日本の旗 日本京都府京都市
師匠 五代目桂文枝
出囃子 三下がりさわぎ
活動期間 1971年 -
活動内容 上方落語
所属 吉本興業
備考
上方落語協会会員

桂 文太(かつら ぶんた、1952年7月10日 - )は、日本落語家。本名∶片山 雅男出囃子は『三下がりさわぎ』。上方落語協会会員、吉本興業所属。京都府京都市出身。

来歴・人物[編集]

京都市立紫野高等学校卒業後[1]1971年3月3日三代目桂小文枝に入門。上方落語に留まらず、江戸落語芝居噺をアレンジした「贋作」など、珍しい噺も手がける。大阪市阿倍野区で定期的に行われている田辺寄席[2]には1974年の第1回より出演し、毎回「開口0(ゼロ)番(文太の前ばなし)」と1席(現在は仲入り前後に出演)を務めている。

50歳のころから網膜色素変性症の病気で失明。以後は盲導犬中村美律子の基金により育成された[3][4])とともに行動している。

2015年6月11日なんばグランド花月(NGK)で自身初の独演会を開いた[5][6][7]。以後、6月はNGKでの独演会が恒例となっている。

逸話[編集]

持ちネタの数が豊富で東西を問わず詳しく、兄弟子や他の落語家からの問い合わせがある。そのほかにも三味線・太鼓・笛などの鳴り物の技術も評価が高い。

上記の通りネタが豊富なため早い時期から桂派文枝系)の由緒ある名跡桂文都」の襲名が噂されていた。師匠五代目文枝も薦めていたようだが本人は固辞している。その後1998年に東京の落語立川流から六代目、六代目亡き後の2013年に月亭一門から七代目の文都が現れた。

失明以前より視力が悪かったため、高座の上がり降りの際のみ眼鏡をかけることがあった。

1999年9月から2003年9月にかけて、演目の頭文字を五十音順に落語を演じる「桂文太のあいうえおコレクション」を開催。続いて2003年10月から2004年12月にかけて、アルファベット順での落語会「Amazing Bunta Club(アメイジング文太くらぶ)」を開催。

出演[編集]

以下、NGKでの独演会の宣伝目的でゲスト出演。

受賞歴[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

以下、文太と同じ盲目の噺家

脚注[編集]

  1. ^ わたしの母校 紫野高校/3 文化祭“ドカ受け”噺家志す 落語家 桂文太さん”. 毎日新聞 (2020年1月28日). 2021年6月26日閲覧。
  2. ^ 毎月中旬の土曜日・日曜日に2日続けて開催(土曜日は昼席と夜席、日曜日は昼席のみ)。
  3. ^ 桂文太ぷれみあむ落語会inNGK”. まいどおおきに中村美律子です(ファンサイト). yahooブログ (2015年6月11日). 2019年8月16日閲覧。
  4. ^ webプレス社 (2010年9月13日). “中村美律子(キングレコード)、落語家桂文太さんら3人に盲導犬 17年連続の寄贈活動 [ボランティア活動]”. So-net ブログ. 2019年8月16日閲覧。
  5. ^ “日本点字120年:バリアフリーの心をもっと 中途失明の桂文太さん”. 毎日新聞. (2010年12月17日). http://mainichi.jp/universalon/clipping/archive/news/2010/12/17/20101217ddf041040014000c.html 2011年2月8日閲覧。 
  6. ^ “盲目の落語家、桂文太が6月に初のNGK独演会”. nikkansports.com. (2015年4月14日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1461392.html 2015年4月14日閲覧。 
  7. ^ 桂文太が涙…失明克服し高座復帰、史上最遅初独演会”. 日刊スポーツ (2015年6月11日). 2019年8月16日閲覧。

外部リンク[編集]