斎藤茂吉記念館

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齋藤茂吉記念館
SAITO MOKICHI memorial museum
施設情報
前身 上山市立齋藤茂吉記念館
館長 秋葉四郎
管理運営 公益財団法人齋藤茂吉記念館
建物設計 谷口吉郎谷口吉生
延床面積 1,394㎡
開館 1968年昭和43年)9月1日
所在地 999-3101
山形県上山市北町字弁天1421
外部リンク http://www.mokichi.or.jp
プロジェクト:GLAM
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公益財団法人齋藤茂吉記念館(こうえきざいだんほうじん さいとうもきちきねんかん)は、山形県上山市にあり、歌人で医師であった齋藤茂吉を記念する山形県の登録博物館である。運営は公益財団法人齋藤茂吉記念館。

概要[編集]

歌人精神科医である斎藤茂吉の記念館であり、開館時は、発起人の一人で記念館建設実行委員会委員長を引き受けた大久保傳藏元山形市長の個人コレクションを中心に、茂吉の遺族らから寄贈品も受け展示を行った[1]。その後、逐次、収蔵資料の充実を図り、茂吉が残した業績に関連する資料や、茂吉の生活を伝える書画などを展示している。当初は市営による運営であったが、設立の際の構想に基づき、1983年8月1日、財団法人に運営を移管した。

1968年に開館した建物は、今泉篤男の推薦で谷口吉郎が設計を担当。表札は安田靫彦揮毫した。また、1989年8月2日には茂吉の甥である守谷誠二郎から遺産数十億円の寄贈を受け、谷口の子息である谷口吉生が設計を手掛けた改修・増築工事が竣工。増築となった記念館は地下棟を新設し展示室を拡大した他、展示物も大幅に拡充された[2]

2003年には茂吉没後50周年記念として、新たな展示設備と、検索装置を設置。さらに2018年4月27日には、開館50周年を記念した改装工事が完了し、リニューアルオープンした。リニューアルによって、新たに茂吉が帰郷時に作った作品を展示するコーナーを新設した他、エレベーターの新設や多目的トイレも設置。バリアフリー化も進めた[3][4]

記念館は、茂吉の生家である上山市金瓶(かなかめ)の南にあり、明治天皇東北巡幸に際に小休止されたことに因む「みゆき公園」に位置する。この地には茂吉も時折足を運び、作歌に勤しんだという。また公園内には、茂吉が箱根山荘勉強部屋と呼んだ箱根の別荘の離れが移築されているほか、茂吉、伊藤左千夫島木赤彦歌碑も建つ[5]。加えて、明治天皇が小休所した環翠亭も復元されている。

沿革[編集]

  • 1965年
    • 2月 - 茂吉十三回忌の席上で、記念館建設の構想が発表。
    • 8月 - 建設実行委員会発足。資金調達や展示資料収集のための活動が開始。
  • 1966年8月 - 起工式。
  • 1967年11月3日 - 竣工式。
  • 1968年9月1日 - 上山市立斎藤茂吉記念館として開館。
  • 1983年8月1日 - 設立当初の構想に基づき財団法人に移管し、斎藤茂吉記念館に。
  • 1985年 - 博物館法に基づく登録が行われる。
  • 1989年8月2日 - 谷口吉郎の息子である谷口吉生が設計を担当し、2年がかりで改修・増築工事が竣工。再オープン。床面積、展示規模・内容が大幅に拡充。
  • 2003年 - 茂吉没後50周年記念として、新たな展示設備と、検索装置を設置。
  • 2018年4月27日 - 開館50周年を記念した改装工事が完了。リニューアルオープン。

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『博物館研究』1984年2月号
  2. ^ 「斎藤茂吉記念館が新装」『朝日新聞』山形版 1989年8月2日
  3. ^ 「短歌に通じる 茂吉の人間観察 書簡発見 上山の記念館できょうから公開」『朝日新聞』山形版 2018年4月27日
  4. ^ “茂吉記念館が新装オープン 上山・エレベーター新設、バリアフリー化”. 山形新聞. (2018年4月27日). http://yamagata-np.jp/news/201804/27/kj_2018042700553.php 2018年5月4日閲覧。 
  5. ^ 『新版山形県大百科事典』p.260

参考文献[編集]

  • 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『新版山形県大百科事典』 山形放送、1993年。

関連項目[編集]

  • 茂吉記念館前駅 - 奥羽本線山形線)の駅。記念館への最寄駅であり、この記念館が駅名の由来になっている(1992年に北上ノ山駅から改称)。記念館から約100メートル。

外部リンク[編集]