手塚貴子

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手塚 貴子
名前
カタカナ テヅカ タカコ
ラテン文字 TEZUKA Takako
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-11-06) 1970年11月6日(53歳)
出身地 日本の旗 日本栃木県宇都宮市
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
19??-1999 日本の旗 読売サッカークラブ女子・ベレーザ
0/0読売日本サッカークラブ女子ベレーザ
0/0読売西友ベレーザ
0/0読売西友ベレーザ
0/0読売ベレーザ
0/0NTVベレーザ
118[1] (83[1])
代表歴2
1986-1991 日本の旗 日本 41 (19)
監督歴
????-2010 日本の旗 ブランカFC/栃木SCブランカ
2013 日本の旗 浦和レッズ・レディース
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2013年1月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

手塚 貴子(てづか たかこ、1970年11月6日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元女子サッカー選手、元サッカー女子日本代表、サッカー指導者。現在は日本サッカー協会理事・女子委員会副委員長、日本女子プロサッカーリーグ理事、日本女子サッカーリーグ理事。元浦和レッドダイヤモンズ・レディース監督。現役時代のポジションはフォワード日本大学卒。2007年度、日本サッカー協会公認A級コーチライセンスを取得。U-20日本女子代表コーチナショナルトレセンコーチも務めた。

来歴[編集]

小学3年のとき担任の勧めでサッカーチームに入ったが、女子は手塚一人だった。リフティングが得意で1000回以上続けることもでき、10歳と12歳のときには全日本ジュニアボールリフティング大会で優勝した(10歳で優勝のときは来日していたペレと握手した)[2]。リフティング技術を買われて中学1年生の時に読売ベレーザに入団し15歳で日本女子代表に初選出された。

日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)では優勝3回に貢献。第1回日本女子サッカーリーグの開幕戦(1989年9月9日)では高倉麻子によるリーグ第1号ゴールを生み出すセンタリングをあげ、第3回日本女子サッカーリーグ(1991年)では最優秀選手(MVP)、最多得点(29点)、最多アシスト(31ポイント)の3部門を独占する快挙を遂げた。 また皇后杯全日本女子サッカー選手権大会では優勝4回に貢献し、第10回大会(1989年)でMVPとなった。

代表ではアジア選手権に4回に出場し、第11回アジア大会(1990年)で銀メダルを獲得。第1回FIFA女子世界選手権大会にも出場するなど40試合で19得点を挙げた[3]

1992年第4回日本女子サッカーリーグ後、就職により引退し、宇都宮市で少女チームの指導にあたっていたが、1995年第7回日本女子サッカーリーグ後期から現役に復帰した。

1999年のシーズンをもって引退後はサッカースクールなどで指導にあたり、のちにはNPO法人ブランカを結成。栃木県スポーツ振興審議会委員も務めている。2004年6月20日には日本サッカー協会特任理事に就任した。

2007年2月、代表を務める栃木県女子サッカーリーグ1部所属のブランカFCが、Jリーグ栃木SCの女子チーム「栃木SCブランカ」となった[4]。同チームでは2010年まで監督を務め、後任の監督には元浦和レッズレディース田代久美子(2009年~コーチ)が就任した。

2011年、栃木SCアカデミーセンターコーチに就任。同年11月、AFC U-16女子選手権AFC U-19女子選手権で日本を優勝に導いたことにより、アジア最優秀女子コーチに選ばれた[5]

2013年シーズンから浦和レッドダイヤモンズ・レディースの監督に就任[3]したが、同年6月、体調不良を理由に辞任した[6]

2018年3月、日本サッカー協会理事に就任[7]

2023年4月、新たに創部される矢板中央高等学校女子サッカー部監督に就任予定。アドバイザーとして女子サッカー部を支えるつもりであったが、実績と知名度から監督を任されることとなった[2]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 皇后杯 期間通算
1989 読売サッカークラブ女子・ベレーザ 10 JLSL 10 6 -
1990 15 12 -
1991 18 29 -
1992 読売日本サッカークラブ女子ベレーザ 9 -
1995 読売西友ベレーザ 26 L・リーグ 9 1 -
1996 9 18 5
1997 11 3
1998 読売ベレーザ 17 9
1999 NTVベレーザ 4 3
通算 日本 1部
総通算

代表歴[編集]

試合数[編集]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1986 10 1
1987 4 0
1988 3 1
1989 9 6
1990 4 6
1991 11 5
通算 41 19
  • 出典: なでしこジャパン(日本女子代表)試合別出場記録[8]

ゴール[編集]

# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1 1986年12月18日 香港の旗 香港 マレーシアの旗 マレーシア ○ 10-0 1986 AFC女子選手権
2 1988年6月1日 中華人民共和国の旗 広州 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ● 2-5 国際女子大会
3 1989年1月14日 中華人民共和国の旗 アモイ フィリピンの旗 フィリピン ○ 13-0 アモイ国際大会
4
5
6
7 1989年12月19日 香港の旗 香港 インドネシアの旗 インドネシア ○ 11-0 1989 AFC女子選手権
8
9 1990年9月6日 大韓民国の旗 ソウル 大韓民国の旗 韓国 ○ 13-1 国際親善試合
10 ○ 13-1
11 ○ 13-1
12 ○ 13-1
13 ○ 13-1
14 1990年9月9日 大韓民国の旗 釜山 大韓民国の旗 韓国 ○ 5-0 国際親善試合
15 1991年5月28日 日本の旗 福岡県 香港の旗 香港 ○ 4-1 1991 AFC女子選手権
16 1991年6月1日 マレーシアの旗 マレーシア ○ 12-0
17
18
19 1991年6月3日 シンガポールの旗 シンガポール ○ 10-0

指導歴[編集]

  • 2005年・2011年 U-19日本女子代表コーチ
  • NPO法人ブランカFC監督
  • 2007年 - 2010年 栃木SCブランカ監督
  • 2010年 U-17日本女子代表コーチ
  • 2011年 U-16日本女子代表コーチ
  • 2011年 - 2012年 栃木SCアカデミーセンターコーチ
  • 2013年 浦和レッドダイヤモンズ・レディース監督

脚注[編集]

  1. ^ a b 手塚貴子 栃木SCブランカ監督 U-17日本女子代表(U-17女子ワールドカップトリニダード・トバゴ2010)コーチ就任のお知らせ”. 栃木サッカークラブ公式サイト (2010年2月19日). 2014年4月23日閲覧。
  2. ^ a b 新年連載「栃木県150年」⑥ はばたけ、女子サッカー部 朝日新聞デジタル2023年1月7日
  3. ^ a b レディース新監督に手塚貴子氏が就任”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE (2012年12月27日). 2014年4月23日閲覧。
  4. ^ 下野新聞 2007年2月3日付
  5. ^ なでしこ宮間、アジア女子最優秀選手
  6. ^ なでしこ浦和 手塚監督が体調不良で辞任 日刊スポーツ 2013.6.18付記事
  7. ^ 田嶋幸三会長が再任、日本サッカー協会新体制発足公益財団法人日本サッカー協会公式ウェブサイト
  8. ^ なでしこジャパン(日本女子代表) 試合別出場記録”. 日本サッカー協会 (2008年7月29日). 2021年6月12日閲覧。

外部リンク[編集]