成田昇

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成田 昇
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県一宮市
生年月日 (1948-06-09) 1948年6月9日(75歳)
身長
体重
180 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1970年 ドラフト11位
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

成田 昇(なりた のぼる、1948年6月9日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手[1]

来歴・人物[編集]

愛知県立一宮商業高等学校から愛知工業大学へ入学し、1年生からエースとなる。愛知大学野球リーグでは、1965年創部の硬式野球部を1967年春季リーグから一部リーグに昇格させる原動力になった。昇格直後にはエース榎本直樹を擁する中京大を破り、成田旋風を巻き起こした。家庭の事情により2年生限りで中退したが、リーグ通算18勝を挙げる。サイドからの速球とくに内角シュート、外角ナックル式の落ちる球は見るべきものがあり、制球力も良かった。

その後、西濃運輸へ進むが活躍の場はなく、退社した1970年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトアトムズから11位指名され入団。しかし一軍の試合には出場することなく、1974年限りで引退した。

宇佐美徹也によると、1971年6月25日のイースタン・リーグロッテオリオンズ戦で、打席に立った飯島秀雄(代走専門選手としてプロ入り)から三振を奪っている[2][3]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

  • 一軍公式戦出場無し

背番号[編集]

  • 47 (1971年 - 1974年)

出典[編集]

  1. ^ B・B・MOOK284スポーツ・スピリット21シリーズ15「プロ野球ドラフト全史 2003年最新改訂版」205P、ベースボール・マガジン社、2004年、ISBN 978-4583612553
  2. ^ 宇佐美徹也『プロ野球記録大鑑 <昭和11年 - 平成4年>』講談社、1993年、p.716
  3. ^ 松村憲章が相手とする異説もある(“日めくりプロ野球4月 【4月13日】1969年(昭44) 世界初の代走屋・飯島秀雄 デビュー戦で初盗塁”. スポーツニッポン. (2008年4月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0804/kiji/K20080407Z00001930.html 2018年2月17日閲覧。 )。