御器所村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ごきそむら
御器所村
廃止日 1921年8月22日
廃止理由 編入合併
中村千種町東山村愛知町常磐村御器所村荒子村笠寺村呼続町八幡村小碓村西春日井郡六郷村杉村清水町→ 名古屋市
現在の自治体 名古屋市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
愛知郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 14,892
(1920年10月1日)
御器所村役場
所在地 愛知県愛知郡御器所村大字広路字池下22、23番地
座標 北緯35度09分01秒 東経136度56分03秒 / 北緯35.15022度 東経136.93417度 / 35.15022; 136.93417座標: 北緯35度09分01秒 東経136度56分03秒 / 北緯35.15022度 東経136.93417度 / 35.15022; 136.93417
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

御器所村(ごきそむら)は、かつて愛知県愛知郡に存在したである。現在の名古屋市昭和区にほぼ該当する。村名の「御器所」は、熱田神宮が祭礼に使用する土器を製作していた地という意味であるという説がある。1918年から1926年まで、愛知郡役所が設置されていた村である。

沿革[編集]

  • 江戸時代末期、この地域は尾張藩領、犬山藩領、寺社領などであった。
  • 1868年明治元年) - 名古屋村が分立し、名古屋村と東畑となる。
  • 1871年(明治4年) - 前津小林村の一部が名古屋城下に編入される。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 愛知県第二区に所属。御器所村、石仏村、東畑の一部、名古屋新田の一部が合併し、常盤村となる。
  • 1878年(明治11年) -
    • 前津小林村の一部が名古屋城下に編入される。
    • 藤成新田、川名村、伊勝村、五軒屋村、常盤村の一部(旧・石仏村)、東畑の一部、名古屋新田の一部が合併し、広路村となる。
  • 1884年(明治17年)8月1日
    • 常盤村と前津小林村が愛知郡第24組を構成し、常盤村に連合戸長役場が置かれた。
    • 広路村が弥富村とともに愛知郡第26組を構成し、広路村に連合戸長役場が置かれた。
  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行。常盤村と前津小林村が合併し、御器所村となる。
  • 1896年(明治29年)3月23日 - 御器所村と名古屋市で境界変更。旧前津小林村の地域が名古屋市に編入される。
  • 1906年(明治39年)5月10日 - 御器所村と広路村が合併し、御器所村となる。
  • 1909年(明治42年)10月1日 - 第10回関西府県連合共進会の敷地(現在の鶴舞公園)として一部を名古屋市へ編入。
  • 1913年(大正2年)5月 - 名古屋酸素株式会社の工場が成立する[1]
  • 1921年大正10年)8月22日 - 名古屋市中区へ編入される。御器所村が廃止となる。
  • 1937年昭和12年)10月1日 - 中区の一部(旧・御器所村)と南区の一部(旧・弥富村、瑞穂村、八事村の一部)を併せて、昭和区が新設される。

交通機関[編集]

学校[編集]

神社・仏閣[編集]

史跡[編集]

  • 御器所西城址
  • 御器所東城址
  • 吉野城
  • 御所屋敷跡(伝・大政所出生地)

その他[編集]

  • 愛知郡役所跡地は、現在は名古屋保育・福祉専門学校となっており、愛知郡役所の石垣の一部が保存されている。
  • 旧・御器所村を中心に新たな区を設置するさい、区名として「御器所区」が候補であった。しかし、旧・御器所村内における広路地区の住民が激しく反発したため、当時の元号に由来する「昭和区」の名称が採用されることとなった。

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。全国書誌番号:49011382 

関連項目[編集]